-66- 猪豚盗難事件?
山笹署に盗難捜査の依頼があったのは、猪豚生産業者からだった。山笹地区の猪豚は脂の乗りも肉質もよく、全国各地から買い入れの問い合わせが殺到する名産品だった。その猪豚が一匹、盗難にあったのだ。たったの一匹である。
「ははは…数え間違いじゃないんですか? その手の電話は、よくあるんですよ」
応対に出た若手刑事の東雲は、賑やかに頭を振りながらそう言った。
『そう言われますが、確認した上でお電話してるんですよ。よろしくお願いしますっ!』
「はいっ! …はい…はい…山賀町の鰐口さんですね? …はい! とにかく、明日にでも伺いますっ!」
東雲は心で突っぱね、口では渋々(しぶしぶ)、了解した。
「どうした? 東雲」
年配刑事の北木が東雲を窺った。
「猪豚が一匹、盗難にあったようなんですよ」
「一匹?」
「はい、一匹…」
そこへ歯を楊枝でシーハーさせながら現れたのは、課長の川南である。
「ははは…、今日の西岸[にしぎし]の昼飯は助かった。鍋がただで食えたぞっ! 昨日と偉い違いだっ! なんでも、もらいものの猪豚で、常連さんへのサービスだそうだっ!」
「食事処・西岸はなかなか評判の店ですからね。課長、それはよかった! 猪豚鍋ですか? こっちも猪豚捜査ですわ」
「猪豚?」
「はい。猪豚が一匹、盗難にあったそうでして」
「ほう…一匹?」
「はい、一匹…」
後日、事件? は馬鹿馬鹿しい笑い話で落着した。話の経緯は、こうである。捜査依頼の電話をかけた猪豚生産業者は、いつも食事処・西岸に世話になっている礼に猪豚を一匹、西岸に届けたのだが、そのことをうっかり忘れていたのだ。盗難ではなく、その肉を捜査課長の川南が食べ、署へ戻った・・と、話は、まあこうなる。
完