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業火

目の前の全てが紅にそまっていた。


「お、かあ…さん」

その光景にジニアは言葉が出なくなった。

やっと絞り出した声は掠れていて燃え盛る業火の音にかき消された。


ジニアは認められなかった。

数刻前まで自分もあの業火の中にいた。

数刻前まで焦がれていた存在が、手を伸ばせば触れられる距離にいたはずなのに。


なのに、ジニアはここにいる。

まるで、あの邸の中でのことが無かったように。


「ォギャ…ォギャア」

意識がくらみそうなほどの思考の渦からジニアを引き戻したのは、腕の中にいる幼い生命の声だった。


「ルイ」

腕の中にいる確かな存在に安心する。

大丈夫だ。あの邸でのことは幻ではない。

だってこの子供はあの邸で母から託されたのだから。


「どうして…?」

蘇るのは母の最期の言葉。


ーージニア、幸せになって

ジニアは母を救えなかった。


――――――――――――――――――――――――――――――――


あの日、森を飛び出して、母を追った。

先のことなど、考えられなかった。ただ、母に会いたかった。

しかし、世界はジニアを嫌った。


ジニアは森の外の世界での生き方を知らなかった。母以外の人間と接触したことも無く、外の世界のことを何一つ知らなかった。

無知と言うのはこの世で一番愚かで、哀れなことだ。

外の人間は非道で極悪だった。母が万が一に備えてためていた金銭は僅か数日で尽き、搾り取られた。食べるものにも困ってしまった。

奴隷狩りに遭い、売り飛ばされかけたこともあった。

命からがら逃げ出し、ゴミの中から食べ物を漁り生きてゆく毎日。

外は絶望しかなかった。


それでも、諦めきれなかった。

絶望する度に、それは強くなった。

辛く、潰れそうになるたびに目に浮かんだのは、幸せだったあの頃の思い出だった。


ーーおかあさんにあいたい


幼い少女の儚い願望がジニアを生かしていた。もう、ジニアには母しかいなかった。

そして、それは最初で最後に成就した。もう、叶えることは出来ない。


母は死んだ。灼熱に包まれ。


母を拐ったのは、とある貴族に仕えていた兵士。後から知った話だが、母はかつてその領主の屋敷に仕えていた使用人だった。

かつて、母はその貴族の時期領主と身分差の恋に落ち、結婚したそうだ。つまり、ジニアの母は結婚していたのだ。

しかし、ジニアはその貴族の娘ではない。ジニアはある男・・・と母の間で生まれた過ちの子。


男は母と同じくその屋敷に仕える執事だった。そして、母を愛していた。

叶わぬ想い。激しい妄執。思いは深まり、一夜の過ちを犯したらしい。

そして、男はその屋敷を去った。


しかし、それだけでは終わらなかった。

その数か月後、母の身体に変化が起こった。子供を身籠ったのだ。

己の腹に宿る子から感じる生命力に、母はその男との過ちが実を結んでしまったことを、確信した。


そして、母はその屋敷から何もかもを捨てて、逃げ出した。

母は夫を愛していた。しかし、腹の中の子を生かしたかった。

それがジニアだった。


ーー信じることができなかったの。

自分は夫を信じれなかった。過ちを犯した、裏切った自分を許すわけがないと。腹の中の子を殺すのではないかと。

母は懺悔した。灼熱に包まれる館のなかで、夫の亡骸を見つめ。


母の夫は最愛の妻が姿を消し、壊れてしまった。

ジニアと同じ様にただ、母に会いたかったのかもしれない。それが、いつしか狂気に変わった。


ジニアには、よく理解できなかったが、母はかつての夫の姿を見て己の過ちに気付いた。しかし、もう手遅れだった。

狂気に憑かれた哀れな男は、数々の恨みを買い、殺された。館にも火を放たれる自分ももうすぐ息絶える。


そんな、母の前にジニアが現れた。

ジニアは五年の月日をかけ母を探しだした。

右も左もわからないかった少女が、一人で隣国にいる母親を見つける。それは、奇跡に近い。ジニアの執着に近い強い思いと、血を吐くような努力がそれを可能にしたのだ。

しかし、ジニアが母のいる屋敷にたどり着いたとき、状況は最悪だった。


屋敷は真っ赤に燃えていた。


最初、ジニアはその光景を受け入れることができなかった。

屋敷が燃えている。それはつまり、なかにいると想われる母は、と想うとどうしても受け入れられなかった。

ジニアには母しかいない。今までジニアがこの世界で生きてこれたのは、母の存在があったからだ。

心の拠り所が無くなってしまったらどうなる。唯一、世界に自分を繋ぎ止めているものが消えてしまったら、自分はどうなる。

ピシリ、と何かが壊れていく音が聴こえた要な気がした。


ーーォッ……ギァ…、

ジニアは唐突に顔をあげた。意識を集中させて、耳をすます。

風に乗って生命の音が聴こえた要な気がしたからだ。

生まれたての、この世に来て間もない、無垢な鳴き声がした要な気がしたからだ。


ジニアは正気に戻る。そうだ、まだ決まった訳ではない。

母は、生きている。ここまで来たのだ、確信を得ないで手遅れにしてどうする。


ジニアは地を蹴り、灼熱の中へ駆けた。


焼けるようだった。気を抜いたら、この炎に身体をもっていかれそうだった。

うまく息ができない。喉が焼けて、視界が霞んできた。


ーーォッ…ギァァァァ、

まただ。生命の音が聴こえる。

ジニアは一度だけ此の音を聴いたことがあった。


「赤子…?」

何故、そのようなものがこの場所で聴こえるのだろうか。

ジニアはわからない。しかし、年を重ね培ってきた勘が彼女に告げていた。


ーーおかあさんがいる。

赤子の声に導かれるように足を進めた。

根拠の無い、本能の歩みであった。しかし、ジニアの胸は高まった。


ーーあえる!おかあさんにあえる!

そして、ひとつの扉の前で足を止めた。

その先に感じる、焦がれていた気配にジニアは歓喜した。


ゆっくりと手を伸ばしノブを掴んだ。

ジニアは感情のままにドアを勢いよく開いた。


その先に、母はいた。

青い夜着を身に纏い。燃え盛って行く業火の中心で、一点を見つめ座り込んでいた。


ーーおかあさん

存在に気づいて貰いたくて、言葉を発しようと手を伸ばした。しかし、それはあるものを見つけ、止まった。

母の見つめる先に人影があったからだ。

目を凝らし、それを見ようとした。

徐々に影が形になり、一人の男の亡骸が映った。


普段のジニアは、そんなものを発見しても何の感情も抱かない。しかし、ジニアは男の亡骸を見つけた瞬間、奇妙で、理解できない、焦燥のような感情を抱いた。

焦りはジニアの動きに現れた。伸ばしかけた手を戻し、後ろに後退したのだ。その時、足下にあった何かを踏んでしまい、小さな音が部屋に響いた。

母はその音に気付き、ジニアの方を振り向いた。

5年振りの母と子の再会であった。


母はジニアを見ると目を見開いた。

ーーおかあさん、かえろうよ

ジニアは手を伸ばした。一度は伸ばすのに躊躇した言葉は、焦がれていた母の顔を見て、堪えきれなく吐き出してしまった。だけど、母はジニアの手をとらなかった。

母は苦しそうに顔を歪め、首を振った。

そして、自分の傍らに横たわる男の亡骸を人なでした。


ーーお母さんはこの人を裏切った罰を、受けないといけないの。

そう、呟くと立ち上がりジニアのそばまで歩いてきた。

手をとるために来たのではない、とジニアは分かってしまった。

母は自分が抱いていた、布に包まれたものをジニアに渡した。それは、産まれて半年もしない赤子だった。


ーージニア

母は唐突にジニアを呼んだ。

ジニアは何故か嫌な想像が止まらなく、悲壮な顔をして母を見た。

母は笑っていた。あの森で幸せそうに笑っていた、ジニアが一番好きだった表情で。


ーーいやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ!!!!


駄々をこねる子供のように首を振った。言われるだろう言葉を聞きたくなかった。耳を塞いでしまいたい。でも、赤子を抱えていて両手が塞がっていた。


ーーその子は『ルイ』、あなたの弟よ

そんなジニアに、母は困った顔で口を開く。

ーーお母さんは、ジニアとはもう暮らせないわ。

いやだった。そんなことは言わないで欲しかった。もう一度、あの幸せな日々に戻りたかった。それだけを求めて今まで生きてきた。

ーーひとりにしないでよ

口にした言葉は震えていただろう。でも、どんなに情けなくても一人になりたくなかった。


壊れてしまう、崩れてしまう。今まで、それだけを求めて生きて来た。あの頃の幸せを求めて生きて来た。

それが無いともう、生きていけないのだ。

ジニアは生かしてほしかった。


母はそんなジニアを見て、優しく笑った。

ーーあなたは一人じゃないわ

それはジニアにとっては希望にはならなかった。

ーールイは半分しか血が繋がっていないけど、あなたの家族よ

それに、と母は続けた。


「あなたのお父さんがいるもの」




そして、母は死んだ。


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