ジニアの世界
ジニアの世界は小さい。
彼女にとっての世界は自分が住む森のなか。木々の隙間から零れるように注ぐ太陽の光。光に照らされ宝石のように輝き流れる川。鳥のさえずり、鹿の野を駆ける足音、川を昇る魚たちが造り出す水の飛沫、それらから感じる生命の息吹。そして、唯一の家族と思っていた母親。
ジニアは物心ついたときからずっと森の中で生きていた。
たったそれだけのものがジニアにとって世界の全てであった。
その世界の先に何かが存在することを知ったのはいつだっただろうか。
ジニアがまだ四つもいかなかったころ。家の近くに珍しく鹿がやって来ていて、幼いジニアは興奮してその鹿の後を追った。しかし、なりふり構わず追ってしまったため道に迷ってしまった。
いつもは母が連れていってくれた場所しかジニアは行ったことがなかった。外で遊ぶときは母がいつも一緒にいて、知らない場所には一人では行ってはいけないと、母との決まりだったからだ。見知らぬ森の風景にジニアは焦りや不安で泣きそうになった。
そのとき、血相を変えた母がジニアを見つけてくれた。母は決まりを破ったジニアを散々しかりつけた。ジニアは泣きながらも己の行動を深く反省した。一人ぼっちはとても寂しいことだったからだ。
それは、その帰りに気づいた。
母に手を引かれて森を歩いていたとき、ジニアは何かを感じ足を止めた。母はいきなり止まったジニアを不審に思い振り返った。そして、自分の娘が見ている先にあるものに気づき息を止めた。
不思議な音だった。獣が通ってできたのか、それとも別のものが造ったのか、草の生えない道の先から獣の鳴き声でもない木のざわめきでもない不思議と生命を感じる音が聞こえて来たのだった。どことなく自分と母と何かが似ているように感じさせる音だ。
あの音は何なのか、と疑問に思い視線だけで母に尋ねた。
母はそんなジニアの視線を見て、とても苦いものを口に入れた様な顔をした。そしてジニアの見つめていた先に顔を向け、口を開いた。
「あの道の向こうはとっても恐ろしい場所なのよ」
その時の母の顔はなに顔思い出すようにうつろで、切なかった。
「おかあさん。どうしたの?」
ジニアは、母がなぜそのような顔をするのか不思議で、首傾げて母を見上げた。
母は何かに気がついたように数回目を瞬き、隣にいたジニアに視線を向けた。
ジニアを見つめる母の表情が、まるで自分を通り抜けたその先にある何かを見ているようだった。
今にも消えてしまいそうな尊い心情が母から伝わってきて、なぜかとても苦しくて不安になった。
「お、おかあさん!」
思わずつないでいた手を強く握りしめて、母にすがるように身を寄せた。
急に飛びついて来たジニアに、母は目をわずかに見開き数歩後ろに下がった。そして、強く握りしめられた己の手に気づき眉を下げた。
ジニアには分からなかった。母がなぜあの道の先を恐ろしい場所だと言うのか。自分ではない誰かに向けられた視線に不安を覚えるのか。
今思えば、あのときの母の表情がとても儚くて、何処かに行ってしまいそうな程危うく感じたからだった。
その日から、世界の先にある何かはジニアにとって、自分の世界が消えてしまうような恐ろしいものになったのだった。