レイル・ブラッティという男
遥か昔、この世界の生態系の頂点に君臨していたのは吸血鬼族だった。
人の十数倍の能力をもち、血を飲むだけで永く生きることができる。何より、当時の人間族よりも魔法の技術が発達していた。
個体は少なくとも知能のある種族を隷属出来るほどに、吸血鬼族の力は圧倒的だった。
しかし、その黄金時代は永くは続かなかった。
時が経つにつれ、人間族の人口が増加したのだ。
それだけでは、吸血鬼族の支配を断つことはできないが、ある事件が起こった。
吸血鬼族が独占していた魔法技術の一部が人間族に流出したのだ。
力を手にした人間族は数の力で吸血鬼族を圧倒した。
個体一つ一つは優れていても、力をもった圧倒的な数には吸血鬼族は勝てなかった。
追い込まれた彼らは、国を抜けバラバラになった。
吸血鬼族の黄金時代は終わった。
しかし、時代は終わっても、悲劇は終わっていなかった。
人間族は革命時に殺した吸血鬼の死体を研究し、吸血鬼の肉体を材料に特殊な魔法技術で加工すると長寿の効果を持つ薬が作り出せることを発見したのだ。
強欲な人間族は、その薬を求めて吸血鬼を狩り始めた。
吸血鬼狩りである。
時代が進むにつれ、吸血鬼族は狩りの影響から急激に数を減らしていった。
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生まれ落ちたときから世界に歓迎されていない。
常に、吸血鬼は命を狙われ、身を隠しながらひっそりと暮らしていた。
同じ場所に長く暮らすことはなく、一年後とに暮らす場所を移動する。
人間の目が届かないように、山のなかで暮らすことが多かった。
辛くはなかった。その暮らしが自分にとっては、常識で、当たり前のことだったからだ。
暮らす場所を決めたあと、人の目につかないように、特殊な結界を張ってその場所に小さな村を作った。
百年続いている『吸血鬼狩り』の影響で、数の少なくなった吸血鬼たちは協力しあって生きていた。世界に散った同族たちはお互いに助け合うため集まり、小さな安定を守るために一つの村を作って暮らしはじめたからだ。
自分達はそうやって、年毎に村ごと移動して生きていた。
人間族の魔の手から逃れるためだけに。
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「ーー人間どもに此処が知られた!」
「奴等もうこの村を囲ってやがる!」
「女、子供は地下道を使って先に逃げろ!…俺達は人間どもの足止めにまわる!」
強欲な人間どもの生への執着は凄まじい。小さな安定さえ、自分達は奪われる。
全てが変わってしまったあの日。
同族の者の裏切りにより、人間に隠れ里がばれ、自分達は追い込まれた。
当時レイルは十九歳。それでも、同族のなかでは若い方だった。
レイルは女の同族たちと一緒に地下道から逃亡した。しかし、裏切ったのは同族の者、その道まで人間どもに知られていた。
地下道の出口で待ち伏せしていた百を越える人間たちに、流石の吸血鬼たちも突破は難しかった。永く戦闘から離れて生きてきた吸血鬼の女は戦えなかったのだ。
「ーーっ!ラ―サさん!」
同族の女吸血鬼が捕まった。腕を肩から切り落とされ、鎖を首に巻きつけられ数人の兵士に押さえつけられていた。
「にっ、に…げて」
ラーサの声にレイルははじかれるように動き出した。そばにいた妹の手を掴んで包囲が薄い箇所を場所を力任せに突破した。
「何故、こうなるんだっ!」
滲んでゆく視界。降りかかる理不尽を呪った。
自分達は何かをしようとしたわけではない。先祖のように力で人間族を支配しようとしたわけでもない。
ただ、普通に生きたいのだ。
なのに、
それだけを願っただけなのに。
「何故!奪われる!」
ただ、自由に生きたいだけなのに。
不意に繋いでいた右手が軽くなった。
響く少女の痛ましい叫び。
レイルは握っていた妹の手に視線を滑らした。
「っが、ぁぁぁああああああああ!」
純粋な痛みの感情が大地を震わせた。
妹の腕は肘までが切り落とされて、レイルより後ろで倒れていた。
「アネモネ!」
その事を理解するよりも早く、妹の名を呼んでいた。否、それは叫びに近かった。
レイルはこの時、当然ながら走るのを止めていた。そして、後ろで腕を切り落とされた妹を見て一拍硬直していたのだ。口だけが反射的に動いていた。
その隙を、人間どもに与えてしまった。
横から死の圧力と共に、刃が向かってくるのを感じた。
レイルは尋常じゃないそれに、本能的に身体を動かされ、回避をした。
一瞬で視界が白く染まり、妹のことも、この状況のことも、なにも考えられなくなった。
後ろに大きく跳び、足の爪先が地面についた瞬間に正気に戻った。
鮮明になった視界で、レイルが理解したのは絶望だった。
何処もかしこも人間で包囲されていた。逃げ道は、打開策は無いに近い状況だった。
何もかもがスローモーションに感じた。景色がゆっくりと動き出す。
前列にいる人間どもが弓を構える。その先は自分であった。
後列にいる黒いローブを纏った人間どもを中心に魔力の反応が強くなった。おそらく、自分を狙ってだろう。
ーー死
圧倒的な終わりの三拍子が鳴り響く。
そして、レイルの理性は焼切れた。