そして、あなたに幸せを
「お母さんに会いたいかい?」
聴こえる筈がない。叫び声にかき消されるほどの声量に感じたのに、あらゆる騒音を通り抜けてそれはジニアの耳に入ってきた。叫びはいつの間にか消えていた。
「やあ、はじめまして」
うつむいていた顔をあげると、そこには黒いフードを被った男が立っていた。
「お母さんに会いたいかい?」
男は先ほどと同じ問いをジニアに掛けた。
男の声は恐ろしいぐらいにジニアを惹きつけた。まるで、体中が男の言葉を何よりも最優先に聞き取ろうと動いているように感じた。
「お前は…?」
男を見つめたまま視線が反らせなかった。
やっとのことで絞り出した声はかすれていた。
「名乗るほどのものではないよ。僕らの種族は名など必要としないからね。」
男は恐ろしいほどに惹きつけられる声で礼儀正しく腰を折った。
ジニアはそこらに転がっている普通の人間にはまず負けない自信があった。それほどの力を自分は持っていた。
しかし、目の前にいる男にジニアは本能で勝てないと感じた。次元が違うのだ、傷つけることをしたくないと思わせる、不気味なおとこだった。
「僕の力で君を過去に連れて行ってあげるよ」
男は思いがけないことを口にした。
ジニアは目の前の男を害しようなどの感情などは湧いてこなかったが、警戒心に体を強張らせた。
「あー、過去って言い方が悪かったか。僕は、今まで君をこっそりと見ていてね。あまりにも可哀想で納得いかない終わりだったから同情しちゃってね。君の望みを叶えたくて来たんだ。」
「僕にはね、空間を行き来できる力があるんだ。その力で、この世界同じ時間を刻む世界に君を送ってあげようと思ったんだ。…ん?なんで、それが君の願いを叶えることになるのだって?…いや、会いたいのだろう?」
「この世界が存在する空間とは別の空間に、この世界と全く同じ時を刻む世界が存在するんだ。でもその世界は今から十七年前の時を刻んでるんだ。君のお母さんたちが生きている時代だ。」
ジニアは息を呑む。男の話を、戯言だと笑い飛ばせなかった。
なぜか、男が嘘をついているとは疑えなかった。むしろ、この者が嘘などをつくわけがないと、理解不能な確信が生まれていた。
「そこに君を行かせてあげる。その後は、好きにすればいいよ。母に会うなり、父を殺すなり。」
ジニアは体中にしびれが走るような感覚に襲われた。
理想が、願いが分かってしまった。
自分は母を幸せにしたかった。たとえ、自分が母を不幸にした一因であっても。自分の世界にいたたった一人の家族を幸せにしたかった。
もし、この男が過去に飛ばしてくれるのならば、それが可能になるかもしれない。母が過ちに堕ちる前に、レイルを殺せば、今度こそ母は幸せになれるかもしれない。幸せに出来るかもしれない。
ジニアの瞳に光が戻った。
「…行かせて」
二度目に出した声は震えていなかった。男を見据える瞳は悲しみを断ち切って、希望に燃えていた。
雪が勢いよく舞う。風が強くなったのだ。
それはジニアと男を包み込むように集まり渦を巻く。
「…いいね、その目。やっぱり、命あるものはそのような目をしてないと。」
男はまるでこの世で最も輝く宝を見つけたように、満足気に口角を上げた。
「君の願いを叶えよう。」
その瞬間時が止まった。
吹き荒れていた吹雪はぴたりと止まり。雪も音も、何もかもが制止する。
ジニアが驚き辺りを見回している間に、空中で制止していた雪が集まりだしジニアの足元で巨大な陣を描きだす。
見たことの無い、不思議な回路が足元で画かれ、最後のワンピースがつながった瞬間世界が揺れた。
ジニアは頭部を殴られたような衝撃を受けよろめいた。ルイを落とさないように、足に力を入れて踏ん張る。
世界は瞬きをするたびに色を変えて、大きく揺れた。鐘の音が地の下から鳴り、やがて耳元で大きく響いた。
気づいた時には目の前にあり得ないほどの巨大な魔力を感じた。顔を上げると、そこには何百の人間の魔力を一点に集めた様な大きな魔力の塊が一点に凝縮されていた。
男が指を鳴らすと、魔力が爆発し空間が裂けた。
ジニアと男の地面が割れ、空が紙を破いたように裂けた
ジニアは空に引かれた。浮きあがり空の裂け目に吸い込まれてゆく。
不安は無かった。
ただ、願った。
どうか、あなたに幸せを
「今度は間違えないようにね」