寂しがり屋な住人
寂しがり屋な住人
我が家に住み始めた三人目の住人は、変な行動をよくする女の子だった。
名前は橘冬花。
17歳の彼女は僕の一つ年下で、学校では隠れているようで隠れていないファンが沢山いる、艶やかな漆黒の長い髪をした美人だった
彼女は両親が海外転勤をすることになったらしく、あまり親戚とも仲良くないとのことで、友達である母さんが引き取ると言い出して、三ヶ月前にやって来た。しかし母子家庭のうちは母さんが働きづめであり、帰ってこないこともしばしばあるので、物理的に彼女と二人きりで家にいる時間が長くなってしまう。
そういう時になると決まって、彼女は唐突に変な行動をし出すのだった。
「スカイツリー!」
両手を真上に掲げながら、冬花は叫んだ。
「東京タワー!」
体の姿勢を何も変えないで、続けざまに叫ぶ。
「通天閣! ポートタワー!」
「何の違いがあるんだ?」
僕は思わずツッコミを入れてしまった。
「高さ!」
「いや、全く、全然変わってないよ」
ぷくーっと頬を膨らますと、彼女は走って僕の前から消えてしまう。
しかし僕はあまり気にしなかった。というのも、いつものことだからだ。
冬花とは徐々に打ち解けてきたけど、別に最初から変な行動をするやつじゃなかった。
三ヶ月前の僕と冬花は、食事の席だけでポツポツと話すくらいの関係だった。しかし徐々に親しくなっていき、今じゃ顔を合わせれば会話するし、時たま自分達から相手の部屋に出向くこともするようになった。
だがそれと平行して、彼女は変な行動を起こすようになった。それがさっきのスカイツリーだ。
僕は初期の頃、本気で病気にかかったのではと心配したのだが、そういうわけでもないらしい。かといって無視をし続けると、反応するまでし続け、さっきのようにツッコミを入れると、ニコニコしながら消えることもあれば、拗ねて消えることもあった。どっちにしろ消える。
そんな風に回想していたら、何だか変化球を投げてみたくなってきた。
よし、次だ。さぁ、冬花。貴様の反応が少し楽しみだよククククク……。
僕は大王になった気分で次の機会を待ち続けた。
「ラブ注入!」
「ぐはぁ!」
冬花の行動に対して、僕は床にドサッと倒れた。別に冬花に殴られたとかそういう訳じゃなく、自分から倒れた。
「あああああああああ! 僕の中にラブが! 愛が入ってくるよぉ! 痛い! 痛いのに! 何だか気持ちいい……っ!」
胸を押さえて悶絶する演技をしながら、冬花のことをチラッと見る。
しかし冬花の表情は、僕の期待とは裏腹に無表情で、目は吹き荒れる吹雪のような冷たさを放っていた。
なんで!? どうしてだ! 一体何がいけなかったと言うんだ!?
僕は演技を続ける。
冬花は踵を返すと、僕の前からいなくなった。僕も無言で立ち上がると、恥ずかしさのあまり自室に急いで向かって頭から布団を被った。
失敗だ。失敗した。つまりあの行動にノっかるのは駄目だってことか?
わからない。だが次だ。次こそ僕の本当の力を見せてやる……!
僕は布団の中で策を練りつつ、固く決意した。
「ポッポー。鳩は豆をご所望でござるー」
冬花が両手を広げてバサバサと振りながら、クルッポークルッポーと鳴いていた。
僕はふっと笑って冬花を左手で抱き寄せる。
「へ?」
彼女の目を丸くした表情を見て、内心ガッツポーズをした。それから今しがた食べていたチョコボールを一つ掴むと、ポカンと開けている口の中に極めて自然な動作を心がけながら放り込む。
そして冬花の口を右手の人差し指で閉じて、僕はクスッと笑う。
「小鳥ちゃん。僕からのプレゼントだよ。僕の思い詰まってるんだ。甘いって言ってくれるといいな」
そっと放心状態の冬花の腰から手を離すと、僕は彼女の視界から消えるまで余裕を持って動き、見えなくなったと思った瞬間に脱兎のごとく自分の部屋に走った。
扉をばたんと閉めると、床に膝をつく。
「死にてええええええええええええ!」
僕は床に頭を何度も打ち付けて、部屋中を転げ回った。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
息を切らしながらベッドに大の字になって顔を伏せる。
しかし、今回は完敗もいいところだ。
結局、僕の弱い心が堪えることをできなかった。
完敗だ。完敗というか自滅だ。
もう一度、もう一度だ。もう一度勝負して、僕の弱い心に打ち勝つんだ。
何だか趣旨が大分変わってる気がするが、そんなことは気にしない。
僕の中では勝利への執念という赤い炎が、激しく燃え上がっていた。
「プリンのようにぷるんぷるん♪ プリンのようにぷるんぷるん♪ 私は揺れるー♪」
冬花が身をくねらせていた。
僕はそれにパチパチと拍手すると、
「冬花可愛い! 日本一、いや世界一可愛い! 最早世界三大美女なんて目じゃないね! そこら辺を歩いただけでみんな君の虜になるよ! 宇宙から婚約しに来る宇宙人が阿修羅単位で来るよ! わぁ、髪も艶やかだよね! しかもとってもいい匂いだし! とっても癒される匂いだよ! 近くにいるだけで癒されるなんて最高! 君と一緒に暮らせるなんて、僕はビッグバンでできた世界で一番幸せ者だね!」
最後は自分自身も気が動転して何言ってるかわからなかった。しかし、冬花の顔がみるみるうちに赤くなっていくことから、多分成功したんだと思われる。きっとそうだ。そうだと信じよう。
「な、な、ななななな何言ってるんですかー!」
冬花は素に戻ったのか、僕のことを突き飛ばすと、駆け出して目の前から消えた。階段を駆け登る音を聞くに、どうやら自分の部屋に行ったようだ。
ふふ、勝った。勝ったぞ。僕の勝利だ!
僕は心の中で勝利の味をゆっくりと味わった。勿論、床を転げ回りながら。
ある日の夜のこと。
明日提出の課題に時間がかかって、深夜に風呂に入った。
もう早く寝たかったし、さっさと自室に戻る。
僕の部屋は二階への階段を登ると一番奥にあり、その間には母さんの部屋、冬花の部屋、と順番に部屋の前を通る。
ちなみに今日は母さんが帰ってきてないので、一番手前の部屋は主不在の無人だ。
まぁそんなことはどうでもよく、普通に母さんの部屋の前を通り過ぎると、僕は冬花の部屋の前で足を止めた。
部屋の中から啜り泣く声が聞こえたからだ。
僕は基本、靴下やスリッパというものが嫌いで、家の中じゃ絶対に履かない。裸足が好きなんだ。裸足で音をたてないように歩くのに、ちょっとした拘りがあった。
今日もそれは例外じゃなく、いつものように足音をたてずに歩いていたからなのか、冬花は僕の存在に気づかないようで、静かにすんすんと鼻を啜っていた。
やっぱり、両親に会えなくて寂しいのかなぁ……。
僕はこんこんとドアをノックすると、戸を押し開けた。
別に僕が寂しさを埋めてあげるよ! とか思った訳ではなく、まぁ同じ家に住む女の子だし、少しでも会話して気分が紛れるならそれでいいかなくらいの気持ちで開けた。
「覚さん……?」
部屋を開けると、そこには窓から射し込む月の光に照された美女が、ベッドに腰掛けていた。
まずい、と思った。
冬花は美人だし、今までも綺麗だなーと思ったことはあったが、今のは本気でときめいてしまった。
同じ屋根の下に住んでいるのに、そんな感情を抱くのは危険だ。そう思っても、なおも目を離すことができない。
「覚さん……?」
長いことみとれていたのか、再度呼ばれてハッと意識が戻る。
「あ、あぁ、ごめん。ちょっと呆けてた。いやさ、ど、どうかしたのかな……と思って……」
冬花の方を見ないようにしながら、僕は喋る。
冬花からの返答はない。
長い間沈黙が続いた。
やがて彼女が、ポツリポツリと言葉を紡ぎ始める。
「寂しかったんです……」
「それは……親と離れてってことか……?」
「それもありますけど……一番は前にいた地域の友達に忘れられていくような気がして……」
冬花は寂しそうに、手に握っていたケータイに目を落とした。
「でも……そんなの、杞憂じゃないのか……?」
「そうかもしれません。でも、そういうんじゃないんです」
そういうんじゃないんです……ともう一度冬花は言う。
「みんな、私の知らないことを話してて、何だか見ていて一人だけ取り残されたような、孤独な気持ちになったんです……」
でもそんなの当たり前じゃないのか、と言おうとして、僕は言葉を飲み込んだ。
そんなこと、冬花はとっくにわかってるはずだ。わかっててそれでもなお、孤独を感じずにはいられないんだ。
何て言葉をかければいいか悩んでいると、冬花が掛け布団を捲った。
「あの……もしよろしければ、今夜だけ一緒に寝てもらえませんか? あ、別に変な意味ではなくて……」
「え……」
「あ、べ、別に駄目なら全然いいんですけど……!」
僕はしばし黙考する。
悩んだ末、隣の自分の部屋から枕を持ってきて、了承した。
「私、覚さんに救われていたんです」
「な、なんで……?」
気をつけていても、声が上ずってしまう。
そりゃ無理だ。女の子と同じ布団で寝ているんだから、緊張しない奴なんて女の子慣れしてる奴に違いない。
冬花はふふふっと笑うと、続きを話始めた。
「その、やっぱり寂しくて、それで振り向いてほしくて、私変なことをしてしまってたんです……。やめようと思ってたんですけど、覚さんが振り向いてくれると寂しさが満たされて、それでやめられなくて……」
僕は黙って聞いていた。
色々と理由はあるけど、一番は今何か言うと、墓穴を掘りそうだったからだ。
「そして最近になって、私の変な動にノってくれるようになって……。とても嬉しかったんですけど、顔に出すとどうにもにやけてしまいそうで、それで無表情になったりして……」
なるほど、あれは照れ隠しみたいなものだったのか。
「その……覚さん、私が言うのも変ですけど、最近奇行が増えてどうしたことかと思ってたんですけど……」
うわああああぁぁぁぁ……。今すぐ穴を掘って埋まりたくなる。
「でも、嘘でも一緒に暮らせるなんて幸せだって言ってくれたのが物凄く嬉しくて……。あぁ、必要とされてるのかなって思うと孤独な気持ちが満たされて、私自身凄く幸せで……。この人なら好きになってもいいかなって思う自分がいて……ってあははっ……何言ってるんですかね私……」
彼女の言葉に、僕は何も答えなかった。
何も答えないで、そして彼女の方を向いて、彼女の唇を唇でふさいだ。
冬花が目を見張る。しかしすぐに目を閉じて、何度も形を確かめるように、口づけあった。
やがてそっと離すと、僕は冬花の言葉に答える。
「僕もさ、ずっと寂しかったんだ。うち片親で、父さんは小さい頃に他界しちゃってさ。学校とかじゃ大丈夫だったんだけど、いざ家に帰るとおかえりって言ってくれる人がいなくてさ。とても寂しかったんだ。テレビを見ても笑い合える人がいなくて、ご飯を作っても一人で食べるだけでさ……。でも冬花が来てくれて、おかえりなさいって言ってくれる人がいて、テレビを見たら面白いねって笑い合えて、ご飯を食べたら美味しいねって話し合える。普通のことなんだろうけど、それがとても幸せなことなんだって気づいたんだ」
僕は言葉を区切ると、気持ちの整理をつかせるように小さく深呼吸する。
冬花は黙って聞いていた。
「だからね、僕は冬花がいてくれて幸せだよ」
冬花の目の端から涙が零れると、彼女はニコッと笑ってこう言った。
「なんだ。私達は似た者同士だったんですね」
僕は頷くと、冬花と唇を重ね合わせた。
僕の寂しさを満たす冬花。
冬花の孤独を埋める僕。
僕たち二人は、互いに満たされるまで何度も体を求め合った。
全てが終わった後に、僕は彼女をぎゅっと抱き締める。
「例えどんなに僕のことがわからなくなって孤独を感じても、こうしてる間だけは僕はここにいる。こうしている間だけは僕はどこにもいかないから……」
僕が冬花の耳元で囁くと、彼女も僕の背中に手を回した。
「そうですね……。こうしていると、何だか落ち着きます……」
そうして僕たちは時間の限り、お互いを抱き締め合った。
終わり。