だって好きなんだから仕方ないのです!
「いい天気ねー」
「ですねー」
今日は志穂先輩と一緒に、高校の近くの公園へピクニックにやってきました。
最近少し肌寒くなってきましたが、今日は雲一つない晴天。
ぽかぽかして、とても気持ちのいい陽気です。
「あいかさん。さっそくだけど、お昼にしましょうか」
子どもたちが元気に走り回っているのを横目に、志穂先輩がバッグから弁当箱を取り出しました。
それをそのまま私たちが座っているベンチの上に並べます。
「遠慮しないで食べてね。腕によりをかけて作ってきたんだから」
「は、はい! いただきます!」
志穂先輩が弁当箱の蓋を開けると、色々な料理が目に飛び込んできました。
おにぎりに、卵焼きに、たこさんウインナーに、プチトマト、ブロッコリー……。
お弁当の中身としては、割とメジャーな物が並んでいます。
さすが志穂先輩! 全部美味しそうです!
「それじゃあ……まずは卵焼きかな」
志穂先輩は自分のお箸で卵焼きを挟むと、それをそのまま私の目の前に突き出して、
「はい、あーん♪」
なんですと!?
「え、えーと……先輩?」
「……? どうしたの?」
志穂先輩は不思議そうな表情を浮かべていました。
どうやら冗談ではないようで、首を傾げた志穂先輩はこちらに腕を突き出したまま、私の目をじっと見つめています。
……そ、そんなに見つめられると、何か変な気分になってきちゃいますね。
志穂先輩は美人さんなのです。
雪のように白い肌に、絹のようにさらさらとした黒髪。
そして、その黒曜石のような真っ黒な瞳を見つめていると、吸い込まれそうになるような錯覚さえ覚えます。
で、でも、ホントに志穂先輩に「あーん」なんてしてもらってもいいのでしょうか?
……いや、これはチャンスなのです。
こんな機会は、今日を逃したらもう二度とないかもしれないのです。
「そ、それじゃ、いただきます……」
それに、このまま志穂先輩に腕を上げさせ続けるわけにもいきません。
私は意を決して、志穂先輩の持つ卵焼きを口に入れました。
「どう? おいしい?」
「……! おいしいです!」
想像していたよりも柔らかく、ふんわりとした食感。
その中にほのかな甘みも感じます。
文句なしにおいしいです。
「そう? よかったー」
志穂先輩は安心した様子で胸をなで下ろしました。
「――っ」
また、です。
自分でも、自分の顔が赤くなっているのがわかります。
志穂先輩の笑顔を見ると、いつも決まってこうなってしまうんです。
……だって、しょうがないじゃないですか。
その顔を見るたびに、どきどきするんですから。
身体がぽかぽかしてきて、胸が温かくなっていくのですから。
でも。
「たっくんも、喜んでくれるかしら……」
「っ――ええ、喜んでくれると思いますよ」
志穂先輩が彼の話を口にするたびに、私の心は張り裂けそうになります。
わかっていたことなのに。
志穂先輩が、彼とのデートの予行のために、私を連れてきたんだってことぐらい、わかっていたことなのに。
痛いです。
この痛みは、どうすれば消えるのでしょうか。
どうすれば、なくなってくれるのでしょうか。
「よかった! じゃあ、次はウインナーをお願いしようかな」
「っ……はいっ!」
私は今、ちゃんと笑えているのでしょうか。
そんな答えの出るはずもない問いばかりが、私の頭の中を埋め尽くしていました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……さん! あいかさん!」
「…………ふぇ?」
意識が、ゆっくりと、でも確実に鮮明になっていく感覚がします。
そして、幻聴でしょうか?
志穂先輩の声が聴こえたような……。
ああ、なんということでしょう。
志穂先輩のことを強く想い過ぎたせいで、幻聴まで聴こえるようになってしまったに違いありません。
あ、でも落ち着いて考えてみれば大した問題じゃないですね。
むしろ、志穂先輩がいないときでもあの美しい声が聴けると思えば、神さまからの素晴らしいプレゼントのようにすら思えてきます。
……そこまで考えて、私は目を閉じたまま、ふるふると首を横に振りました。
いや、さすがにその考え方はマズイでしょう。
自分のことながら、なんだか思考がどんどんストーカーじみてきている気がします……。
そんなことを考えながら薄く目を開けると、十センチと離れていないほど近くに、志穂先輩の顔がありました。
「ひゃぁああっ!? し、志穂先輩!?」」
思わず、その場で飛び上がってしまいました。
な、なんで私の目の前に志穂先輩のお顔があるのでしょうか!?
「ち、近い! 近いです志穂先輩!!」
咄嗟の判断で、両手で自分の顔を隠しました。
私の顔は自分でもわかるほどに熱く、真っ赤になっていることは間違いありません。
顔が赤くなっているのは志穂先輩にバレバレだと思いましたが、細やかな抵抗をやめることはできませんでした。
「もう……そんなにびっくりしなくてもいいじゃないの」
そんな私の態度に抗議するように、志穂先輩は軽く頬を膨らませています。
ものすごく可愛らしい表情ですが、今はそんなことを考えている場合ではありません。
「そ、そうですよね。すいません……」
両手を自分の顔から離して謝ると、志穂先輩は柔らかな笑みを浮かべました。
その表情に、更に顔を赤く染めながら、私は志穂先輩から少しだけ視線を外します。
そこでやっと、私はここがどこなのかを知ることができました。
生徒会室です。
目の前にあるテーブルの上には、志穂先輩と私が片づけるはずの書類が置かれていました。
パソコンや電子レンジなどの備品が壁際に置かれ、本棚にはよくわからない資料や本が大量に詰め込まれています。
そんな見慣れた生徒会室の中を、夕焼けの光が幻想的に照らし出していました。
壁にかけてある時計を見ると、もう五時半。そろそろ帰る用意を始めなければならない時間です。
「――ぁ」
そうです。思い出しました。
私と志穂先輩は、今日中に終わらせなければならない生徒会関係の書類があったので、放課後二人だけでここ、生徒会室に残っていたのでした。
その作業の途中で、私だけいつの間にか眠りこんでしまったようです。
ちなみにさっきまで見ていた夢は、先週末に志穂先輩と一緒にピクニックに行ったときのものでした。
……な、なんという不覚。
せっかく志穂先輩と楽しく過ごせたはずの放課後の時間を、私は棒に振ってしまったのです。
「あ、あの。志穂先輩、書類のほうは――」
「急ぎで片付けなきゃいけないものは、もうないから大丈夫」
慌てた私を安心させるかのように、志穂先輩は朗らかに笑いました。
「あう……ごめんなさい」
私が眠っている間に、志穂先輩は今日終わらせなければならない分の書類を片づけてくれたのでしょう。
でも、私の目の前に積み重なっている書類の束を見るに、相当な重労働だったことは想像に難くないです。
志穂先輩に大きな負担をかけてしまったことが心苦しくて、うまく言葉をつむぐことができません。
「いいのよ。疲れてるみたいだったし。よく眠れた?」
志穂先輩のその言葉は、何の裏もなくただ純粋に私の身体の調子を心配してくれているものでした。
そんな志穂先輩の優しさが、今は申し訳なくて、でも嬉しいです。
「はい、おかげさまで。……ありがとうございます、志穂先輩」
志穂先輩は手にしていた書類をテーブルに置くと、私の目を見ました。
そして、不意にその口元を緩めて、
「――やっと、名前で呼んでくれたわね」
「えっ?」
何のことだかわからずに、私は戸惑いの声を上げました。
そんな私の様子が可笑しかったのか、志穂先輩はいたずらっ子のような笑みを浮かべて、
「名前よ、名前。あいかさん、いつもわたしのことを〝先輩〟としか呼んでくれなかったじゃない? だから、ずっと距離を感じられてるのかと思ってて……」
…………あれ?
さっきから私、志穂先輩って声に出しちゃってる!?
「ち、違うんです! これは、あの……そのー……えーっと……」
心の中に秘めた想いを悟られまいと、私は必至で言い訳を考えます……!
でも、なかなか思いつきません。
「え? 違うの……?」
私の否定的な言葉を耳にした志穂先輩の表情が、少しばかりの悲しみを帯びたものに変わるのを見て、私は咄嗟に口を開きました。
「いえっ! 違いません! 大好きですっ!」
「………………えっ?」
志穂先輩の表情が固まりました。
「……あっ」
そんな志穂先輩の表情を見て、不意に我に返りました。
……なにを言っているのでしょうか。私は。
なにを言ってしまったのでしょうか。私は。
「ち、ちが……」
そこまで口にして、ふと思いました。
本当に、このまま、自分の気持ちに嘘を吐き続けていいのでしょうか。
自分の気持ちを誤魔化したままでいいのでしょうか。
「……違わない、です」
驚きに軽く目を見開いている志穂先輩に向かって、そう言いました。
だってそんなの、いいはずがない。
「志穂先輩」
不思議なことに、その声は、まるで私のものじゃないみたいに落ち着いていました。
いつまでも、自分の気持ちを誤魔化したままじゃダメなんだって。
この気持ちは、今伝えなきゃダメなんだって。
そう思ったから、そう思えたから、
「私、志穂先輩のことが好きです。大好きです」
……言っちゃった。
言ってしまいました。
「……えっと。それは、Like的な意味ではなくて?」
私の告白を聞いて、しばらく硬直していた志穂先輩がようやく喉の奥から絞り出したのは、そんな言葉でした。
もちろん、それに返す言葉は決まっています。
「いいえ。Love的な意味で志穂先輩のことが、好きです」
この気持ちが恋でないなら、いったい何が恋だと言うのでしょう。
「こんなの、変だってわかってはいるんです。女同士、だなんて。それに、志穂先輩には彼氏さんがいるのに……」
不意に、志穂先輩がビクッと身体を震わせました。
「だから、これは私の自己満足なんです。それも、ただ志穂先輩を困らせるだけの最低な……」
そう。これはただの自己満足なんです。
何かを得ようなんて大それたことは考えていないのです。
だから、
「……いいわよ」
「…………えっ?」
その志穂先輩からの返答を聞いて、きっと私は、呆けたほうな表情を浮かべていたと思います。
意味がわからなかったのです。
だって、
「志穂先輩には、彼氏さんが――たっくんさんがいるじゃないですか!」
「ふふっ」
志穂先輩は、怪しい笑みを浮かべています。
そんな志穂先輩の表情を見たことがなかった私は、一瞬だけ見とれてしまいました。
「いいのよ」
志穂先輩の手が両肩にかけられました。
そしてそのまま、抱きしめられるような体勢にされてしまい、
「目、閉じて……」
「えっ……ええっ!?」
志穂先輩の顔が、私の顔にどんどん迫ってきます。
抵抗なんて……できるはずもありません。
私がそのまま、志穂先輩のことを受け入れようとした――まさにその瞬間。
最終下校時刻を伝える、音楽の放送が流れてきました。
志穂先輩から漂っていた、怪しげな雰囲気が霧散します。
「えーっと……あいかさん、そのー……」
もとの雰囲気に戻った志穂先輩は、わずかに頬を赤く染めながら、
「……帰りましょうか」
「……はい!」
私の返事を聞いた志穂先輩は苦笑いを浮かべながら、ドアのほうに向かって歩き出します。
「志穂先輩」
「何? あいかさ――」
こちらを振り向いた志穂先輩の唇を、私の唇と重ねました。
「――っ!?」
驚きの表情を浮かべた志穂先輩の顔が、すぐ近くにあります。
柔らかく、しっとりとした感触が、私の唇に触れていました。
……しばらく感触を堪能した後、ゆっくりと唇を離しました。
「っ――。あいかさん……あなた、そういうキャラだったかしら……?」
「志穂先輩の前だけでは、積極的なんです、私」
「……い、行くわよ」
「はいっ」
顔を真っ赤にしながら私の前を歩く志穂先輩を見て、思いました。
私は今、とてもいい笑顔を浮かべているのだろうな、と。