第二章 第二話
朝の通学路を、佐奈と花鶏が二人並んで仲良く歩いている。そしてその背後をまるでストーカーのように、数メートルの間隔をキープしながら歩く俺がいる。一歩外にでれば、佐奈にまるでゴミ同様の扱いをされている俺だ、当然一緒には歩いてくれない。だが離れるわけにも行かないので、仕方なく二人の後をのこのこと歩く他ないという訳だ。
「よっ! 龍一」
そんな俺へと勢いのいい挨拶が飛んできた。コータの奴が俺を見つけて駆け寄ってきたようだ。
「なんだ、今日も錠前をストーキングしながら登校か? そのうち殺されるぞ」
「やれやれ」と外跳ねっ毛の頭を振りつつ、俺に諭すように言う。ああ、今朝すでに殺されかけたけどな。
「んで、例のヤバい夢はどうだよ? 今朝も見たのか?」
「あー、いやその。ど、どうやら治まったみたいだよ。以前借りたコータ選抜の二軍選手達を収めたDVDのお陰さ。二軍落ちとは思えない、なかなかの破壊力だったぜ」
「だろー? 当然『チーム関口』の厳しいポジション争いに惜しくも敗れていった猛者達だ、二軍とはいえ一軍に引けはとらないぜ……つーかさ、やっぱたまってたんだよ! いろいろとさ」
くぬぅ、このままじゃ俺がただのエロエロ少年で終わっちまうじゃないか! でも、花鶏の素性の事は絶対口外しないようにと、佐奈に念を押されているんだ。仕方ない、ここは俺がただのエロ少年なだけという無実の汚名を甘んじて受けよう。そして汚名ついでにぜひ一軍のスタメン選手を集めたDVDを貸してくれるよう掛け合おうじゃないか!
「バーカ、一軍選手はそう易々と貸せない……おい、誰だありゃ?」
「ん? どれ?」
「ほれ、錠前と一緒に歩いてる奴! あんな美人、御翔高校じゃお目にかかった事無ぇぞ?」
コータの口と足が止まる。その視線の先には、佐奈と肩を並べて歩く花鶏の姿があった。
咄嗟に、『私と花鶏が龍ん家に寝泊りしてるって事を少しでも外部に漏らしたら、一寸刻みでその身体を刻んでやるから』などと言う佐奈の脅しが脳内再生された。
「あぁ、彼女か? えーと、あれは……そう、俺ん家の遠縁でさ……昨日からウチに……いや、佐奈ん家に居候してる九十九花鶏って娘なんだ。なんでも両親が海外に長期出張したとかでさ、俺ん家に来たんだが……ホラ、ウチは一人暮らしだろ? で、何かと具合が悪いんで、佐奈ん家に預かってもらってんだ」
「マ、マジかチクショウ! 俺にもついに春がやってきたのかぁ~!」
何をどう考えればそんな思考にたどり着けるのか? いくつ手順をすっ飛ばせばそんな結論を導き出せるのか? 長年の我が友ながら疑問でならない。
「と、とりあえずよ龍一。いつでもいいから俺のことを彼女に紹介してくれよ、な? 無論我がスタメン選手ばかりを集めたDVDを……いや! メジャーリーグの人気選手を集めたドリームチームのDVDを君に焼き増し進呈して差し上げるからよ!」
「な、何! そ、そんな、彼女達よりまだまださらに上があったとは!」
まぁ、紹介ぐらいなら買って出てやっても罰は当たらないだろう。花鶏にとっても、友達が増えることは悪い事じゃないんだし。
悪い事だった。いや、正確には俺にとって悪い事だった。
「九十九花鶏じゃ。皆、よしなにの」
クールと言おうか、ぶっきらぼうと言うべきか。ホームルームでの花鶏による自己紹介の一言は、実に控えめかつ慎ましやかなものだった。しかしながら、その仕草が彼女の外見と相俟って、何と言おうか、実にキマっていたんだ。
そしてその日以来、花鶏にハートを盗まれた男子が大量発生し、何故だか俺は『親友』が一気に増えるという奇妙な事態に陥ってしまった。
「おお、心の友よ! 君の口から彼女に僕の熱い思いを伝えてはくれまいか!」
やだよ、自分で言ってきなって。
「お前が親友でよかったよ。今日お前ン家、遊びに行っていいかい?」
えっと、君は何組の……誰だっけ?
「お兄さん! 彼女を僕にください!」
兄じゃないし。強いて言えばお父さんかな? でも絶対やらないし。つかお前誰だよ。
などと、今までまともに会話したことすらなかったクラスメイト達が一斉に俺の所へやって来て、花鶏への紹介やプロポーズ、果ては彼女との老後の設計案までも申し込んでくる始末。ええい、皆あっちいけ鬱陶しい!
「あ、あのぉ……鍵野くんが迷惑がってますよ? それにもうすぐ授業が始まっちゃいますので、皆さん席についてください」
「うっせぇな。今、俺の将来のかかった問題について鍵野と討論の真っ最中なん――げ、ほ、穂端!」
そんな迷惑この上ない状況で、俺に助け舟を出してくれたのは、クラスの委員長でもある穂端枸櫞さんだった。
「あ、あはは。そ、そうだね! いい加減にしないと鍵野くんに迷惑だもんね!」
何故男共は穂端さんの言うことを素直に聞き、従順に従うのか。実は彼女、佐奈とは小学生の頃からの親友で、過去に彼女をいじめよう(かわいい女子にちょっかいを掛ける程度だけど)とした男子が、佐奈に天誅と称して地獄を見せられたと言う実しやかな伝説があるんだ。まぁその伝説の可哀想な主人公は俺なんだけどね。
だが、男子達が彼女に絶対服従する訳はそれだけじゃない。何を隠そう、彼女には必殺の武器があるんだ。それは……。
「ヤダッ、私ったらもしかして空気を読まずに皆さんへ注意を……す、すみません! クラス委員長なのにクラスの和を乱しちゃって……私ったら……クスン」
そう、そいつは透き通るような肌の頬を伝う、まるで真珠のような一筋の『涙』だ。男なら誰しも息を呑み、己の怠慢や不純さを恥じ入るその美しい輝きの前では、いかなる屈強な漢の威勢も無力化されてしまう。
「あ、ああいや……穂端は悪くないよ! な、なあみんな?」
「も、もちろんさ! あ、もう授業だ! 先生が来る前に皆着席しようぜ」
清楚で可憐な外見だけど、華奢で臆病な性格の上に類稀な泣き虫さんの彼女。そのくせ、なかなか豊満なバストときている。コイツが男子の心に響かない訳が無い。
こうして彼女の涙を見たヤロウ達は、己の行いを恥じ、まるで蜘蛛の子を散らすように自分達の席へと着いたのだった。
「ありがとう。穂端さんのお陰で、周囲にいたゴミ達が一掃されたよ」
人差し指で涙を拭う穂端さんの仕草は、まるでネット注文したフィギュアが届いたときのような感動を、俺に与えてくれる。
「そ、そんな……私はただ、授業が始まるからと……学級委員長の務めですし」
俺の眼差しが眩しいかのように伏せ目がちに視線をそらし、そして儚げな唇が、か細く言葉を紡ぐ。流石に三次元の女性にはあまり興味の無い俺でも、ぐっと来る仕草だ。
「せ、先生が来ちゃうから私はこれで……」
そう言い残すと、穂端さんは頬を赤らめながら小さくぺこりと会釈して、肩までのセミロングのさらさらヘアをふわりとなびかせながら、てこてこと自分の席へと戻って行った。あまりまともに会話した事ないけれど、なかなかに素敵な女子だなぁ。どこかの貧乳殺戮マシーンとはどえらい違いだ。女の子ってのは是非こうあって欲しいもんだよな。
てな感じで、一週間ほどが何事も無く過ぎ去ったんだが……ここに来て、周囲の花鶏への関心に大さな動きがあったんだ。
登校初日からクラス内での人気を集めた花鶏だったのだが、あれから日が立つにつれ、俺達一年C組以外の男子はおろか、なんと女子までもが花鶏が放つ女だてらの凛々しさ、クールさに胸をときめかせはじめ、登校初日よりも花鶏の人気は日増しに高くなっていると言う事態になってきたんだ。
「なんてこったい、女が女に好意を寄せるだって? そんなの生物として間違ってる!」なんて事をのたまう狭心者もいる事だろう。
けど俺はそれはそれで結構な事だと感じているんだ。
なにせ百合系展開のアニメキャラが数多くいる昨今、そういった属性だって市民権を得てもいいと常々思っている次第なんだ。間違いだらけの世の中だって? 大いに結構じゃないか!
でもまぁ俺としては、そんな周囲の視線に少々困惑気味の花鶏がおもしろいのだが――その都度、佐奈に感化されつつある花鶏が、言葉攻めによる暴行を俺に炸裂させるのはどうにか勘弁して欲しいところではある。
余談ではあるけれど、間違いだらけと言えば佐奈の人気ぶりも、花鶏と結構いい勝負だって言う話だ。嘘か真か、隠れファンが結構多いと言う噂まである始末。かわいさは元より、文武両道にして義理人情を重んじ、おまけに明るく世話好きな優等生だと評判らしいのだが……世の中、正体を知らない事ほど幸せな事はないよね。
とまぁそんな事もあり、下校に関して少し問題が発生してしまった。
佐奈のやつが、このところ立て続けに生徒会の定例会議に顔を出さなければいけないという事態に見舞われ続けており、この間、俺と花鶏は佐奈を待つべくどこかで暇をつぶさなきゃいけなくなったのだが、
「のう、龍一よ。できればどこぞ人の来ない場所で佐奈を待たぬか? 周囲から好奇の目で弄られるは、少々気が重いでな」
そんな花鶏の人気ぶりが仇となり、どこか人があまり来ない場所でコソコソと隠れ待ってなきゃいけなくなった訳だ。
で、普段は鍵が掛かっていて立ち入り禁止となっている一年生棟の屋上にて佐奈を待つと言うパターンが定着してきた、そんなある日だった。
「遅っせぇなぁー佐奈の奴。先に帰ろうか?」
お日様がもうじき西の空へさよならをしようかと言う時刻。うっすらと茜色に染まりつつある空を見上げながら、俺はポツリと言った。
「龍一よ、命が惜しくばもそっと待っておれ」
さらりと言ってのける花鶏。それってあやかしと佐奈、どっちの意味でだろう。
「佐奈の祖父殿が申しておった。もう良いのでは? もう来ないのでは? と思う時期が一番危ないのだと。わしもそう思うでな」
「うん、まぁそうだろうけどさ。もう一週間近くあやかしが姿を見せないんだぜ? 佐奈や花鶏の存在に恐れをなしてあきらめたんじゃないのかな?」
「そうあってくれれば楽なのだがな」
そう零して、花鶏はため息のように小さく鼻を鳴らした。、愁いをおびた表情は、どこか疲れを訴えているようにも感じられた。
「疲れてるのか? 花鶏」
「ん? 何故じゃ」
「いや、そんな風に見えてさ」
「わしはこれでも神じゃ。疲れなどあろうものか……ただのぅ」
「ただ?」
「周囲の目がうるさいのは些か困ったものじゃと感じておる」
金網にもたれながら、五月の爽やかな風を受ける花鶏。長い黒髪とプリーツスカートがたなびく様と、どこかアンニュイに空を眺める仕草……そりゃ男はおろか、女の子だって心奪われる佇まいだよ。
「でもさ、友達ってのは多い方が何かと楽しいぞ? この前も言ったけど、俺の親友である関口だけどさ。未だ懲りずに花鶏とお近づきになりたいって言ってるぜ? ちょっとは言葉くらい交わしてやれよ」
フフフ、これでコータ秘蔵のDVDを借りる権利ゲットだぜ!
「フン、いかがわしいモノのためにわしを売るか? 相変わらず下心のままに行動する奴よの……まあよい。今更お主の変態性をとやかく言うても始まらん」
「ぎくぅ! ま、また勝手に俺の心の中を!」
まったく。若さ溢れる少年が、おちおちエロい考えも妄想もできないなんて、どんな拷問だよ!
だが、これもももいろあやかしなる妖怪共を封印してしまうまでだ。そう、花鶏は俺のために戦ってくれるんだからさ、少しは我慢しよう。
…………戦う? ちょっと待った。戦うだって? 誰が? 花鶏が? え、戦えるのか? 素の身体で。
そう考えを巡らせながら、花鶏をちらりと見る。まったくもって目を合わせようとしない花鶏から、何か怪しさが怒涛の如く溢れている感じがするのは俺の気のせいか?
「花鶏……何か隠してるな?」
「はて?」
「すっとぼけるな! お前、素の身体であやかしと戦えるのかって聞いてんだ。元々あるって言う神様の力だって、鍵を開ける程度の微妙な念動力みたいなのだけだろ?」
「フン、気付きおったか。まぁ無理じゃろうな。この基本体、戦う設定は成されておらぬ故、強き技などが出せぬからの」
「じゃ、じゃあどうやって戦うんだ? どうやって俺を守るんだよ! 鍵の掛かった扉を開けるのとはワケが違うんだぞ?」
「それはな、な・い・し・ょ・じゃ♪」
どこで覚えたのやら、唇に人差し指をあてがいカワイこぶって話をはぐらかそうとする花鶏。ば、バカヤロウ! ちょっとときめいちまったじゃないか。いやいや、そんな事じゃ俺ははぐらかされないぞ!
「そもそもじゃ。お主、この身体を作る際に、手を抜きおったじゃろう?」
「ぎくぅ!」
「愛に満ちておらぬとは言わんが、物を作る肝心の『魂』が些か欠けておる」
「ぎくぎくぅ!」
「出来合いの身体を小手先の変化のみで済ませおって。そのような事では、基本体で十分な力を発揮できぬぞ!」
「ぐぬぬ、言い返せない!」
「大体じゃな、人形に際限ない愛情をかけておると言う割には、わしの身体への気配りが足りておらぬとはどういう了見じゃ?」
「そ、それは花鶏が毎晩のように枕元に現れてさ、早く身体を作れってまくし立てたから――」
「否! お主、まこと人形への愛情があると言うのであれば、そのような夢など気にせず、一から丹念に作り上げるのが筋であろうが! 違うか?」
「は、はい。ごもっともです」
「声が小さい!」
「は い ! ご も っ と も で す ! ……ううう」
「判ればよい。今後は気をつけるのじゃぞ」
「はい……あぁ……俺なんて生まれてこなければ良かった、ぐすん………………いや、違うだろ。あっぶねー! また花鶏に言い負かされるところだった! ……で、何の話してたんだっけか?」
「ふふふ、すぐ忘れてしまうような他愛もないことよ」
「うーん、そっか……まあいいや。ところで佐奈のやつ、マジで遅いな。何
やってんだろ? 先に帰ろうか、花鶏」
少し苛立ちを見せた俺に、花鶏が失笑を浮かべながら言った。
「お主には学習やら記憶やらの能力はないのか?」
「ば、ばかにするなよな。これでも記憶力はいい方なんだぞ! 現にお前の身体を寸分違いなく作っただろ?」
「はいはい、そうじゃったそうじゃった。だがの、迂闊に動けば命取りじゃ、もそっと待て」
少しばかり小馬鹿にした言い草で、さらりと言ってのける花鶏。迂闊に動けば命取りか、それってあやかしと佐奈とどっちの意味でだろう……はて? なんかこの台詞、どこかで言ったような。
そう思った矢先の事、花鶏の表情が一瞬険しくなった。
「……ほれ、言うたそばから早速来おったわ」
「ドキリッ!」心臓の鼓動が一瞬早くなる。花鶏の指摘通り、屋上への入り口のノブがカチャリとまわり、ドアが開かれた。一体どっちがやってきたんだ?
「ごっめーん! 会議が長引いちゃってさ、遅くなっちゃった」
ぺこりと頭を下げ、掌を合わせる佐奈の姿。安堵で胸を撫で下ろしたよ。
「ぬ、違ったか……わしも些か神経質になっておるのかの?」
花鶏が苦笑いを浮かべる。
「ん? 花鶏、何か感じたのか? 佐奈の邪悪さなら俺も感じたけどな」
「誰が邪悪だ!」
ぎゅううううう! と佐奈が俺のほっぺをつねり上げる。
「い、いひゃいよひゃな! ……まったく、痛いじゃないか佐奈! 自分が遅れた事は棚に上げてさ。どうせ生徒会の会議中、ずっと居眠りしてたんだろ? よだれの跡が付いてるぞ」
待ちぼうけを食った腹いせに、冗談でからかってやった。
「えっ! うそ!」
と、佐奈が必死の形相で口の周りを掌で拭う。あれ? ……もしかしてお前!
「はっ! ま、まさか龍! ア、アンタ私をハメたわね?」
「あ、いや! ち、違うんだ! ほ、ほんの冗談で……」
「問答無用だァ! 塵に還れ!」
「ギャース!」
まさに問答無用の佐奈のブーメランフックが俺の頬に突き刺さり、(いろんなものが)塵のように夕刻の屋上に舞い散ったのだった。
「さ、こんなアホはほっといてさっさと帰りましょ花鶏!」
「うむ。龍一よ、あやかしに食われる前にはようついてくるのじゃぞ」
「ふ、二人とも……後生だから……帰る前に保健室によってくれ……」
朦朧とする意識の中、七対三でももいろあやかしより佐奈に殺される確率のほうが高いんじゃないかな? と言う思いが脳裏を駆け巡った。
この時――屋上に設置してある給水塔から事の一部始終を見つめる四つの目があった事は、俺や佐奈はおろか、花鶏でさえ気付く由もなかったらしい。
最後まで目を通していただき、まことにありがとうございました!