第一章 第六話
俺や佐奈の家の近所にある桜林公園は御翔市の中央に位置し、その敷地面積も結構広い。名前の通り、公園周囲と中央にある芝生広場への並木道に、桜の木がまるで林のように植えてあり、昼間は市民の憩いの場として愛されている公園だ。だが夜ともなると人気はまったく無く、「ちかんに注意!」という看板が、公園の夜の顔を伺わせている。
俺は青々と茂る葉桜の並木道を抜け、なにやら格闘アニメのような効果音を響かせる芝生広場へと急いだ。と、そこで見たものは――やはりと言おうか、首なしライダーのホロウと化した花鶏と、ももいろあやかしであるセクシーダイナマイトの甜瓜との、息を飲むほどの凄まじい攻防戦だった。
まるで腕が幾本にも見えるほど繰り出される甜瓜の拳を、右に左にホロウが紙一重で見切る。その応酬の凄さ速さたるや、高速で走り去る車のダッシュボードに置かれたフィギュアを、すれ違いざまにそのキャラ名やポージング、製造元や有名原型師の作品であれば製作者の名前まで言い当てられるほどの動体視力を持つ俺でも、視認困難なくらいだ。
そして一瞬途切れた攻撃の隙を突いて、ホロウのハイキックが敵の側頭部を襲う。だがこれを察知していたかのように、上体を逸らしてかわす甜瓜。鼻先十センチ程を亜音速でつま先が駆け抜け、その風圧により肌が波打つ様は、常人なら肝を冷やすどころの騒ぎじゃないだろう。
「うわぁーすっげー」
間の抜けた言葉しか出なかった。べつに驚きの表現が下手と言う訳じゃない。深夜の公園で繰り広げられる、魂の震えと熱い血の滾りを呼ぶ、瞬きも許されないほどの『感動すら覚える激闘』を目の当たりにして、ようやく搾り出せた一言なんだ。決して激しい動きに揺れ動く二人のおっぱいに見とれて零した本音じゃないぞ。
「アナータなかなかやりマスねー」
流石はもののけ、常人じゃない。にやりと笑って余裕を見せる。
「そうかの? 残念じゃがわしはまだ本気ではないぞ」
バトルモノにありがちな台詞を吐く花鶏。まるで今にも掌からエネルギー波でも出しそうな展開だ。
「デハ、ワターシもホンキをダシまショー」
――ヴンッ! 十メートル以上は離れているこの場所でも、空気を切り裂く音が聞こえる回し蹴り。改めてももいろあやかしなる者が人間ではないんだなと実感させる。けどそれ以上に、花鶏は――いやいや首なしライダーの妖怪ホロウはおっかない。その蹴りの一閃をバク転でかわしたかと思うと、裂帛の気合と共に一瞬で間合いを詰め、甜瓜の引き締まったボディーに深々と拳を埋める一撃を放った。
「グハァッ!」
悲痛な声とキラキラ輝く嘔吐物が、大きく開かれた口から飛び出す。流石のもののけでも、悶えずにはいられないらしい。
そしてチャンスとばかりに、ホロウのラッシュが始まった! 縦横無尽に打ち込まれる怒涛の拳に翻弄されるももいろあやかし。
この光景は依然どこかで見た覚えがある。そう、そいつは以前、突然の悪戯な突風にスカートが舞い上がりパンツを垣間見せてしまった佐奈が、後ろを歩いていた俺に、
『りゅうぅぅぅ!! みぃーたぁーなぁー!』
『みみみみてないよ! 白地にパンダさんの顔のバックプリントなんてぜんぜん知らないよ!』
『問答無用だ! 食らえ、記憶消去の拳!』
と俺の弁明を無視して無実の罪を着せ、タコ殴りにしてきた、あの時の光景のようだ。ああ、あのマシンガンのようなラッシュは、今思い出しても背筋が凍る思いだよ。
ふと、拳によって蝶のように舞い踊らされた者だけが知る恐怖が、俺の胸中を駆け巡る。そうだ、あの時の恐ろしさは身をもって味わった者しかわからない。俺には今のももいろあやかしの甜瓜の気持ちが痛いほど良くわかる! いくら俺の命を狙っている妖怪とはいえ、同情を禁じえない!
「や、やめろ花鶏! もうそれくらいでいいだろ!」
ふと考えもなしに言葉を叫んでしまった。
「あほうめ、またぞろ操られおって!」
ホロウとなった花鶏の声が、俺へと飛ぶ。言われてはたと気が付いた……ああ、俺はまた操られちゃてたらしい。
どうやらその俺の一言は、まんまと甜瓜の図に当たり、一瞬の隙を与えてしまったようだ。そう、ほんの少し気を抜いた一発を、甜瓜は見逃さなかったんだ。
ホロウの小さなほころびを思わせる右を払いのけ、渾身の一撃を放つ甜瓜。その右腕は鋭利な鏃のように鋭く尖り――ホロウの被ったヘルメットの、漆黒のシールドを貫いたのだった!
「ア……アトリッ!」
目を覆いたくなるような、凄惨な光景! 甜瓜の右腕は完全にヘルメットを貫き、勝敗の是非を雄弁に物語っていた。
「ザンネ~んですネ~。ワターシのかちデース!」
にやりと笑う甜瓜。その勝ち誇った笑みが、ゆっくり俺へと向けられる。そりゃ美女の微笑みは嫌いじゃない。だけどこの微笑みは即ち、俺の死を意味しているんだ。誰か、誰か助けてー!
「そこまでよ! ももいろあやかし」
と、いいタイミングで現れる心強い声。佐奈だ!
「まったく。家には誰もいないし、公園からは強烈な妖気が感じられるし。龍、アンタなんで連絡の一つも寄越さないのよ!」
突然佐奈のお説教が始まった。いやいや佐奈さん、それは後でお伺いします。今はそれどころではありませんよ。
「オー! だれカトオモエば、アナータはよーふーぐーじデスねー?」
甜瓜の声に改めて向き直る佐奈。
「その通り! ももいろあやかし、今この私が成敗して――」
が、現状を視界に納めた佐奈が、一瞬息を呑む。
「こ、これは……なんてことを!」
ヘルメットを手刀で貫かれ、動かなくなっているホロウを目の当たりにした佐奈。流石にショックが大きいようだ。
「佐奈、アレは花鶏だ。俺のフィギュアに――首なしライダーのホロウに乗り移った花鶏なんだ!」
「あ、あれが花鶏?」
「そうだ、花鶏なんだ! くそ! 俺がももいろあやかしに操られて、余計な事を口走ってしまったばかりに……ごめんよ、許してくれ花鶏!」
「花鶏……首なしライダーの人形に乗り移ったの……よね?」
「ああそうだ。首なしライダーのホロウだよ! デュライダー・ホロウってアニメの!」
「それって首から上、どうなってるの?」
「どうって……首なしライダーだぜ? 首から上なんてあるわけ無いだろ…………あ」
俺が『その事』気付いた時には、既にホロウの右拳が、勝ち誇り油断しきっていた甜瓜の顔面を捉え、串刺しにしていたヘルメットごとぶっ飛ばしている最中だった。
鈍い炸裂音と共にももいろあやかしの身体が五、六メートル程の弧を描き、ズシンと重い落下音が地面を伝い聞こえた。そして腕から抜け落ちたヘルメットが、勢いよく芝生の上を転げ、俺の足元で止まる。
「ひ、ひぃ!」
おそるおそる見ると、やはりと言うかヘルメットの中身は空っぽだった。そう、元から首から上なんて無かったんだ。
「あ、花鶏! よかった、無事だったんだ」
喜び叫んでホロウへと目を移す。首から上は何も無く、ただヘルメットがあった空間に、黒く禍々しい煙のような『影』が立ち昇っているだけだった。
「誰が勝ったじゃと?」
ゆっくりとした歩調で、地面に這い蹲る甜瓜へと近付くホロウ。歩一歩と間を縮めるにつれ、ホロウの首から上に渦巻く禍々しい影の量が多くなる。まるで花鶏の怒りを表しているようだ。
「物の怪如きの分際でわしを怒らせた罪は重いぞ……覚悟せよ」
凄みの利いた言葉とともに、ホロウの首から巻き上がる漆黒の影が、まるで意思を持っているかのように右手へと漂い、一つのとあるモノを模り始めた。そうだ、劇中の彼女はその首から巻き上がる『影』を操り、様々なものを具現化させていたんだ。中でも好んで具現化させ、愛用していた武器がある。そいつはあまりにも大きな死神の鎌――命を刈り取るデスサイスだ!
「滅せい!!」
――ヴンッ!!――
一瞬、空気をも切り裂いたかと思うほどの見事な一閃が、地面に蹲る甜瓜へと走り――そして静寂。
「むう、些か馴染みが悪い」
ポツリと零したホロウ。その直後、甜瓜の身体の中央を真一文字のラインが走る。真っ二つ……見事な一刀両断ってやつだ。
「グアァァァァァァ!!」
断末魔の咆哮をあげながら、セクシーダイナマイトの甜瓜が蒼炎に包まれ崩れ落ちる。
「や、やった! すごいよホロウ! 一撃であやかしをやっつけるなんて!」
「いや、どうにもしっくり来ぬ故手元が狂った。あやつの魂の根を刈り取れなんだわ」
ふと見ると、青白い炎に包まれた甜瓜の体から沸き立った煙が、人の形を成し始めた。そう、あの時御神木から抜け出てきた時と同じく、邪気に満ちたような煙だ。
「ほれ、何を惚けておる妖封宮司よ! 今があ奴めを封じる絶好の機会ぞ!」
花鶏の一喝が、あまりの出来事にボーゼンとなっていた佐奈へと飛んだ。そりゃまぁ無理も無いよな。自らガチバトルで勝利を勝ち取ろうと思っていた矢先、あんな見事なフィニッシュを決められちゃあ、どんな血に飢えた闘士だって茫然自失になっちゃうってもんだよな。
大体花鶏も花鶏だよ。見事な一撃かと思いきや、実は仕損じだったなんてさ。ひと思いに決めてしまえば、ももいろあやかしだって辛い思いをしなくてすんだのに……またこの先いつ果てるとも知れない封印生活を強いることにならなくてすんだはずなのに。
改めて考えると、そいつはあまりにも残酷な話だ。いくら悪意を持った妖怪だかなんだか知らないけど、その存在の一切を否定してやるってのは、人間のおごり高ぶり――そうエロだ! じゃないエゴだよ! そうだ、そうだよ。妖怪だって話せばわか――
「すまぬな龍一よ。お主がいるとまたあやかしに操られてややこしくなるで、暫し眠っておれ」
と、花鶏の言葉が聞こえた刹那、俺の後頭部に心地いい衝撃が走った。どうやらいつの間にか忍び寄っていた花鶏の手刀が、俺の後ろ頭をチョップして、催眠術(強制)をかけたらしい。
……ああ、なんだまた俺ってば、あやかしに操られかけてたのか。しかし今日はよく気絶させられる日だ。
「うう……あ、花鶏……気絶する前に一つ……聞きたいことが」
「なんじゃ?」
「お前……首から上が無いのに何故喋れ――」
――ドスっ! という重い衝撃がまた首筋に走る。今度こそ完全にスイッチをオフにされ――。
最後まで目を通していただき、まことにありがとうございました!