第一章 第三話
神社の手伝いの途中だろうか。
巫女さんの衣装に身を包んだ佐奈が、懐中電灯を手に、一本道の参道をこちらに向かってくるのが見える。きっと誰かに自慢せずにはいられないと言う俺の逸る気持ちを、花鶏ではないまた別の神様が察してくれたのだろう。サンキュー神様!
「おー! 佐奈、聞いてくれ! すごいぞ! すごいんだぞ俺!」
手をぶんぶんと振って、ここにいるぞー! と体いっぱいに嬉しさをアピールする俺。
「何よ、さっきは言いすぎちゃったから落ち込んでるんじゃないかと思って心配して来てみたのに、ぜんぜん元気じゃない」
「これを見てくれ! 彼女は、いや、この神様は花鶏といって九十九神と言う神様なんだ! 俺が復活させたんだぞ! なんかご先祖のすっごい血が俺にも流れてるとか言うんだぜ!」
「はいはい、何がすごいかわかんないけど良かったわね」
「佐奈、とにかく俺ってすごいんだ! ああ、上手く伝えられないこの気持ちがもどかしいぜ」
「そんな事より、どうせご飯食べてくんでしょ? ちょっと作りすぎてあんたの分も偶然できちゃったから、食べたければ寄ってって……」
突然、懐中電灯を照らしたままの佐奈が微動だにしなくなった。薄明かりの中に見える彼女の表情は、何かどえらいものを見てしまったと言うぎょっとした形相だ。
「佐奈、固まっちゃってどうしたんだ?」
ん、何事なんだろう? と振り返り――そして俺もぎょっとした。
「あっ……裸」
さてここで問題だ。人気のない夜の神社の境内で、少年と少女がいるとする。少女は生まれたままの姿ですっぽんぽんのぽん。少年はハイテンションで鼻血出してる。この状況をたまたま通りがかった第三者の少女が見たとして、どう思い、どんな行動に出るだろうか?
一、大声で叫び、走って逃げ去る。
二、何事もなかったように振る舞い、完全スルー。
三、全裸少女に負けじと自らも裸になる。
俺としては三番目の佐奈も負けじと裸になると言う答えが理想的なのだが、恐らく正解は四番『プロレスラーを一発でK・Oしたと噂される錠前佐奈が放つ幻の左ストレートが、俺の顔右側面に深々と突き刺さる』だと思う。
それでは正解をご覧いただきましょう!
「りゅうぅぅぅ! キ・サ・マ・この神聖なる境内で何やっとんじゃぁぁぁぁ!!」
恐らくは音速を超えたであろう佐奈のダッシュが俺との間合いを一瞬で縮め、ゴールドセイント並みの光速を超えた拳が俺の顔面を的確にヒットした。
「うぼぁぁぁぁぁぁぁ!!」
正解は五番『ゴリラを一撃で失神させたと噂される御翔高校伝説の右光速拳が、俺の顔左側面を容赦なくぶっ飛ばす』でした。
木の葉のように宙を舞う俺から、鼻血が血飛沫となって飛散する。その様はまるでスローモーションを見ているようにゆっくりと舞い、地面へ、そして御神木へと静かに降り注いでいた。
薄れゆく意識の中、俺の体が糸の切れた操り人形ように力なくバタリと崩れ落ちる。
もうだめだ、人生終了モード突入と言う文字が浮かんできたよ。親父、先に行く不幸を許してくれ。母ちゃん、今行くから向こうで仲良くやろうな。錠前家の皆さんお世話になりました。俺は案外幸せでした。さようなら……。
――いや! 俺はまだまだ死ねない!
まだいろいろとやりたい事や、やり残している事がたくさんがあるんだ! まだ未組立てで積んだままのフィギュアがいっぱいあるんだ! 来週コンビニで行われる、キャラクターくじの景品フィギュアだって手に入れなきゃいけないんだ! まだこんなとこで死ぬわけにはいかないんだ! 生きたい! 生き残りたい! 現世モードよ継続してくれ!!
そう思った矢先、誰かが俺を呼び叫ぶ声がした。
「龍一よ!」
どうやら誰かがプッシュボタンを押したのか、復活演出が発生したようだ。
くわっと目を見開き、派手な効果音とともに復活のレインボーオーラを沸き立たせる! 俺はまだまだ戦える! 戦えるぞ!
そう思って覚醒した瞬間、殴られた右頬の激烈な痛みも同時に覚醒した。
「ギャアア痛ってぇ!! 死ぬほど痛ってぇ!」
あまりの痛さに地面をのた打ち回る俺に、またどこからか声がかかる。いや、復活演出はもういいよ。こんなに痛いんだから、もうそっとしておいてくれ! いや、いっその事楽にしてください!
「龍一よ、芋虫ごっこをしておる場合ではない。どうやら貴様等、えらい事をしでかしたようじゃぞ?」
「へっ?」
声の主は花鶏だった。いやいや、この痛みはのた打ち回らなければ耐えられないですよ!
「ちょ、ちょっと何? このとてつもない邪に満ちた妖気は!」
次いで俺の人生を終了させようとした張本人、佐奈の声が響く。なんだか尋常じゃない様子だ。
「まったく、俺が生死の境をさ迷った以上に大変な事があるかってんだ…………あ、あった」
そうブツクサ呟きながら見上げた御神木に、まぎれも無くそれはあった。
巨樹から立ち上る禍々しい蒸気のようなうねりと、渦巻くねっとりと生温かい旋風。それは所々に人の顔をイメージさせる形状を作り出し、重い空気と共に周囲に漂っている。こいつはまさに魑魅魍魎の復活祭りといった感じだ。
「な ん だ こ り ゃ ?」
呆気に取られながら、俺は花鶏を、佐奈を見た。二人ともえらい事になったと言う表情で、その煙のようなものを凝視している。俺には何がなにやらさっぱりだった。だが、二人の緊迫した空気から、こいつは非常事態だということはひしひしと伝わってくるぞ。
「龍一よ、貴様の血じゃ。その飛び散った血が封じの神木に付着した折に『現世に戻りたい』と強く念じたであろう。その念が、封じておった物の怪を開放してしまったのじゃ」
「もののけ? かいほう? なんだよそれ」
俺のとぼけた言葉の後、佐奈がはたと何かを思い出したように叫んだ。
「誰だか知らないけどアンタ、物の怪ってもしかして我が一族の先祖がここに封印したって言う『ももいろあかやかし』の事?」
「そうじゃ。お主の一族、妖封宮司の衆によってこの神木に封じられた、ももいろあやかしじゃ」
ももいろあやかし? またいろいろとそそられてしまうネーミングだな。なんだかその『ももいろ』って部分に、そこはかとなく男心をくすぐられてしまうよ。きっとこの名前を考えた人とは、夜通しいい酒が飲めそうだな。
「な、何でアンタが我が一族の素性や封印された魔物の事を知ってんのよ!」
「ん? わしなんぞと話し込んでおってよいのか? ほれ、今にもあやかし共が向こうて来るやも知れぬぞ」
「くっ! それもそうね。このままだと龍が狙われてしまう! それだけは阻止しないと」
珍しく佐奈が俺の事を気遣ってくれているようだ。だが俺も男だ! ここは一発ガツンと決めて、佐奈達を安心させてやらなければ。
「心配すんなよ佐奈。どうせアレだろ、名前から察するに、男を色香で誘って精気を吸い取るとかいう、モテない男からすれば本望な最後を送らせてくれる幸せ配達人のような妖怪なんだろ? まぁ要は奴等の色仕掛けに乗らなけりゃ良いんだよな? だったら俺は百パー大丈夫! だって俺には心に決めている女性がいるからな!」
と、俺は佐奈を熱く見つめ、ビシッと親指を立ててキメてやった。
「な、何言い出すのよこんな時に……そんな事、急に言われても……そりゃあちょっと位は嬉しいけど……」
「なにせ俺は二、五次元人《フィギュアの女の子》にしか興味が無いと言う生粋のオタ人種だからな。大丈夫だよ佐奈、こう見えたって妖怪ごときの色香に惑わされるような、浮っついたハートの持ち主じゃないぜ?」
精一杯の爽やかな笑顔で、歯をキラリと輝かせてのキメ台詞。どうだ佐奈、俺に惚れるなよ? あ、でもアニメや漫画の二次元少女も捨てがたいかもしれない。
「こ、このドアホ! 変態! アンタの心配なんか一ナノたりとももしてないわよ! あやかし共に食われて死んじまえ!」
佐奈が妖怪よりも禍々しい顔で、俺の事を怒鳴り散らす。何怒ってんだよ? まったくカルシウム不足なやつだな。
「やっぱこの場を収めるには……龍! アンタが今ここで死ぬしか無いわ! そうよ、こうなった責任を取ってこの場で死んで詫びてちょうだい! 私が介錯してあげるから!」
相変わらず佐奈は無茶な要求ばかりしてくる。
「何言ってんだよまったく。てか、こうなった責任ってのは、事情も聞かずにいきなり殺人パンチを繰り出したお前にもあるんじゃないのか?」
「ぐっ! 龍のくせに生意気にも痛い所を……仕方ない、アレをやるしか……」
そう口ごもった佐奈が、改めて御神木へと向き直り、取り巻く禍々しい妖気と対峙する。途端、いつもは子猫のような佐奈の瞳が、突然獲物を狙うライオンのように眼光鋭くなった。
「絶対に一般人の前では使うなと言われていたけど……ままよ! 今はそんな事言ってる場合じゃない!」
一言前置きをしてから、すうっと深呼吸を一度。そして大仰なほどゆっくりと両の腕を御神木へとかざし――そして吼えた!
「錠前家封技、初の術型――妖・鬼・滅・威・封・却・陣!」
それは、陰陽師系の映画なんかに出てきそうな光景だった。なんだか難しい漢字を叫んだ佐奈の足元に、透明感溢れる輝きを放つ線が、小さな竜巻を生み出しながら円陣を描く。
もしかして俺が中学・高校と国語の授業をサボリがちだったせいだろうか、読み方も意味もわからない文字達が、またぞろ輝きを放ちながらその円陣を取り巻くように現れる。途端、より一層旋風が激しく逆巻き、佐奈の髪を、そして服をにわかに激しく躍らせた。
俺の目の前に繰り広げられる、スーパースペクタクルな超常現象バトル風味の超絶展開! 幼馴染がこんな映画のワンシーンによくあるビジュアル・エフッェクツ効果さながらの攻撃能力を繰り出せるなんて、今まで知りえなかった事だ。だが俺は、不思議とそれをさもありなんと受け入れた。なんたって俺自身、神様だか妖怪だかを封じ込めてた巨樹から、そいつらを開放する能力があったんだ。普段から街の不良達をも恐れさせる佐奈の事だ、目からビームが出たりおっぱいがミサイルになって飛んで行ったとしても、何の不思議も無いだろう。
そう考えると佐奈がなんかすごくかっこよく見えてくる。まるでバトルアニメの主人公のようだ! ライトノベルに登場する異能力ヒロインのようだ! この状況をインターネットの掲示板に書き込めば、『映画化決定!』というレスが返ってくる事間違いないだろう!
「封技、闘の術型――幻者封身! 現れ出でよ、悪しき業を成す魔道の者! そして還るがいい、在るべき封却の間へ!」
佐奈がまたかっこ良く呪文だかなんだかを叫ぶ。途端、御神木の周りを彷徨っていた禍々しい煙のようなものが、激しく波うち、渦巻き、三つの煙の塊へと分裂する。
その煙は密度を増し、だんだんと人の形を成し始め、やがて苦しみ悶えるような形相をも形作り始めた。
「ほう、流石にやりおるのう」
腕を組み見入っていた花鶏が、にやりと笑い、零した。お前も神様ならなんとかしろ。
「ばかもの。要らぬ世話など焼かずとも、アレは一人でやりきりよるわ」
「へ、へぇ。佐奈って実はすごいんだな」
「まあ、あやかし共が開放された直後でまだ力が弱く、本来の姿では無いと言う事もあるがの」
それでも一般人からすれば、たいしたもんだ。なんだか佐奈を心から褒め称え、激励したい気分になってきたよ。
「すごいよ佐奈! 感心するよ! 感動するよ! 愛しちゃうよ! 抱きしめたいよ! チューとかしてやりたいよ! あと記念におっぱいに二拍手一礼させてくれよ!!」
ふと、調子に乗って妙な事を口走る俺。いや、最初の感動すると言う件は紛うことなき俺の気持ちであり、真実の言葉だ。だが後は違うぞ! そんな抱きしめたいとかチューしたいとか耳たぶに息をかけさせてほしいとか靴を舐めさせてほしいとか考えた事も無いぞ! あ、でもおっぱいに二拍手一礼させてほしいと言うのは有りかもしれない。
「バ、馬鹿な事言わないで!」
それは一瞬の出来事だった。そんな俺の淫質な言葉達を耳にして清純な佐奈の心が乱れたのか、あやかし達を押さえつける力に一瞬の隙を生んでしまったようで……人の形を造り悶え苦しんでいた白い煙の一つだか一匹だか一人だかが、
「ゴガァァァァ!!」
と宙をすべるように疾駆し、素早く佐奈へと咆え迫った。
「キャッ!」
咄嗟の事に、つい身構えてしまった佐奈。素人目にも判る事だが、それは同時に、あやかし達を拘束する力が途切れる事でもある。
更に悪い事に、驚いて身構えた拍子にバランスを崩した一瞬を狙って、地球の重力がその存在を如何なく発揮し、佐奈のかわいい小尻を地面へと引き寄せた。
「いったぁぁぁい!」
とすん。と言う小さな音と共に、佐奈の悲痛な声が境内に響く。錠前神社の怒れる獅子が普通の子猫に変わった瞬間だ。
それは誰がどう見ても大ピンチだ。インターネットの画像掲示板に、間違えて無修正画像を貼り付けてしまい、すぐに消したけど「既に通報しました」と書き込まれるぐらい大ピンチだ!
もしくはおっぱいぽろりが無くなったオールスター水泳大会くらい風前の灯だ!
だが運が良かったのか悪かったのか……ももいろあやかし達はこれを機にと一斉に三方へと飛び馳せ、それぞれが闇へと溶けて消えたのだった。
「ほう、あやかし共もやりよるわ。龍一を操り使こうて淫猥な言葉を吐かせ、妖封宮司の隙を作るとはな」
花鶏が格闘漫画お決まりの解説キャラよろしく、さっき俺が佐奈にかけた謎の言動を説明する。何だ俺は妖怪に操られたって事か……おい、それって大丈夫なのか、俺。
「なに、それは一時的なものよ。心や言葉を奪われたわけではない、心配するな」
と、花鶏は笑ってのたまう。いや、ちがう! ちがうんだ花鶏! 俺が心配してるのは――
「こんのぉばか龍! さっきは大事なところでよくもよくもよくもぉ~!!」
うん、やっぱり大丈夫じゃなかったようです。だってそう叫んだ佐奈の方をふと見ると、そこにはもう残像しか残ってなかったんだ。で、実体の佐奈さんはと言うと、もう既に俺の目の前数センチのところまで間合いを詰め、俺の顎下数ミリまで拳を繰り出している状態――あ、今当たった。
途端に体と意識を根こそぎ吹っ飛ばされた。もう痛さなんて感じてる暇は無いや。
どうやら今度こそ本当に現世とはお別れのようだ。じゃあみんな、来世でまた会おう!
最後まで目を通していただき、まことにありがとうございました!