第四章 第一話
にぎやかだった俺の家が静かになってはや三日目となった、日曜日の午後。
俺を守る理由がなくなった今となっては、花鶏も佐奈の家の方が何かと暮らしやすいのだろう。今のところはこっちに帰ってくる気配はないようだ。なんだか奥さんが実家に帰ってしまった旦那さんの気持ちが、ちょこっとだけわかるような気がするよ。
俺はと言えば、ももいろあやかし騒動からこっち、ろくに手をつけていなかったフィギュア制作に今朝まで没頭し、そこから眠りについて今しがた起きたところだ。で、シャワーを浴びてふとある事に気が付き、部屋中を駆けずり回っている。実を言うと、先日までご飯も掃除も洗濯も全て佐奈や花鶏に任せっきりにしていたせいか、自分の部屋以外でどこになにがあるのやら見当も付かない状態なんだ。
「ちくしょう、俺のパンツさんはいずこにおわす?」
家中のあちこちを探すこと一時間。花鶏が使っていた部屋で、行方不明だった俺のパンツやシャツ、タオルや靴下などなどが、取り込まれたままの姿で発見された。どうやら花鶏のやつ、たたむのを忘れて佐奈ん家に行てしまったらしい。
「まったく、綺麗にたたんで仕分けしてから行けよな」
そんな独り言を漏らす俺の目が、無造作に置かれた洗濯物の中に、はたとあるものを見つけた。それは白地にブルーのストライプもまぶしいパイル地のパンツで、俺の記憶が正しければ、こいつは花鶏が初めて現れたとき、佐奈に借りて穿いていた奴だ!
「花鶏の忘れ物か。そうだ、ちょうど今朝例のブツが完成したし、お披露目も兼ねて届けてやろう」
それは以前から二人に(特に佐奈に)気付かれないようコツコツと製作し、今日の明け方にやっとこさ完成した秘密の作品だ。
俺はそいつをナイロンリュックに入れ、花鶏のパンツをポケットに仕舞い、玄関へと向かった。
「へへ、きっと花鶏のやつ喜ぶぞ」
と、自然と浮かんだニヤケ顔を律するかのように、俺の携帯電話が鳴り響く。
「ん? 誰だろう?」
発信者不明の電話番号が携帯の画面に表示されている。特に気にする事も無く、俺はその電話を受けた。
「もしもし?」
『あの、もしもし……鍵野くんですか? 穂端です』
「あ、穂端さん? どうしたの」
『はい。実はですね、二人っきりでお話したいことがありまして。もしお時間があればお会いできませんか?』
「そ、それは(ゴクリッ)もちろんオッケーだよ! なにせ俺は君の所有物だもんね!」
『そう言って頂けるとうれしいです。では錠前神社の御神木の前で待ってますね』
「ご、御神木?」
『あの、駄目でしょうか?』
俺は少し躊躇った。あの日以来、佐奈のじいちゃんから御神木へは近づくなと言われてある。そりゃそうだ、またぞろ変なものの封印を解きかねないからね。
「 ソ ッ コ ー で 行 き ま す ! 」
なんて事は一切無く、じいちゃんからの言いつけなんぞ露程も思い出さずに、穂端さんからのお誘いを最優先事項と定め、駆け足で約束の錠前神社にある御神木へと向かったのだった。
「ハァ、ハァ。ほ、穂端さんおまたせ!」
西の空の朱色が御神木への参道を染める中を、俺は自己最高記録を出したであろう脚力で、彼女が待つ場所へと駆け抜けてきた。
「鍵野くん、来てくれたんですね。うれしいです」
満面の笑みで俺を迎えてくれる穂端さん。初夏を思わせる薄手の清楚なワンピース姿の彼女は、まるで恋人を待つ乙女のような印象だ。
「どうしたのさ? 急にこんなところへ呼び出して」
「申し訳ありません。でも、どうしても鍵野くんに知ってもらいたい、伝えておきたい事があったんです」
「そ、それは……?」
「私の、胸のうちです」
彼女の双眸から繰り出される、熱く、まっすぐな視線。そいつが俺を捕らえて離さない。
「穂端……さん」
「あの日から……いえ、以前からずっとあなたのことが気になって……どうかこの気持ち、受け止めてくださいませんか?」
そのどでかい胸の前で祈るように手を組み、潤んだ瞳で俺を見つめる。けれど、男なら誰しも無条件ですぐさま答えを出すはずのこんな極上のシチュエーションに、不思議と俺の気持ちは軽快さを欠いていた。
「ちょ、ちょっと待ってくれないかな? いきなりそんなことを言われてもさ……」
その訳は――どこかで一度味わったことのある感覚が、俺の胸中に去来しているんだ。この感覚は何だっけか? ……そうだ、そうだよ、佐渡先生に体育館へと誘われた時と同じ感覚だ。どこかの誰か達に申し訳ないと思うこの気持ち。すごく嬉しいんだけど、何故か意にそぐわないと感じる矛盾したモヤモヤ感。あの感覚が、俺を今一歩前へと進ませなくしているんだ。
けれど、前回佐渡先生に誘われた時とはちょっと違うところがある。そいつは俺にとって不本意な事、納得し難い事だ。その「すまない」と思う相手の中に、俺が作ったフィギュア達が入っていないんだ。そして胸の奥にふと思い浮かべるのは誰あろう――
『プルルルルル、プルルルルル』
突然鳴り出した携帯電話に、脳内龍一ワールドから現実世界へと連れ戻される俺。
「誰だ? この忙しい時に」
携帯の画面には『佐奈』という文字。なんだか俺の心を見透かされているような気がした。
「もしもし、佐奈か?」
『いや、わしじゃ』
電話に出たのは花鶏だった。ははぁ、判ったぞ! お前ら二人で俺に恋愛をさせないと言う、嫌がらせの呪いをかけてるんだな? あぶないあぶない、危うくその術中に陥ってしまうところだったぜ!
「なんだよもう、今忙しい――」
『忙しいもクソないぞ、何せお主の命にかかわることじゃからな』
藪から棒に物騒なことを言う。命の危機だって? ばか言え、もうももいろあやかしは三体ともケリが付いただろうに。
「な、何だよ、命に係わる事って?」
『よく聞け、ももいろあやかしはもう一体おる!』
「――っ! な、なんだって?」
『先日から佐奈もずっと気になっておったのじゃが、なにやら怪しき気配が未だ消えずにいよる。で、もしやあやかしの蜜柑のものかと思うたが、そうでもない。そこで今しがた蜜柑に問い詰めたところ、何かを隠しているようでな』
「で、何か喋ったのか?」
『うむ、蝋燭の蝋をたらしたり、鞭でぶったりと拷問にかけたのだが頑なに口を閉ざしおっての……で、拷問をやめると言うたらやめないでくれと言って簡単に口を割りおった』
「何故俺も呼んでくれなかったんだよ!」どっちの意味でかは自分でもわからないけど、そんな一言をぐいっと飲み込んで、俺はその後を尋ねた。
『よいか。この蜜柑なるあやかしはな、あの時封じの神木から逃れたあやかしではなく、遥か以前から世に隠れおった野良ももいろあやかしじゃ!』
「はぁ? どう言う事だよ」
『こやつめ、同族である三体のあやかしにそそのかされ、佐渡に龍一を襲うよう吹き込んだのじゃと』
「って事は――」
『うむ、一番厄介な奴が未だ残っておると言うことじゃ』
きっと俺の顔は、デスラー総統より青ざめている事だろう。だって、さっきから血の気の引く音が大音響で鳴りまくっているんだもん。
『ところでお主、今どこじゃ? 家か』
「い、いやその……錠前神社の御神木の前……」
『な、何ぃ!』
「だ、だってさ、ちょっと呼び出されてちゃって」
『誰にじゃ!』
「それは――」と、事の経緯を話そうとした時、穂端さんが俺の携帯を奪い、電源をオフにした。
「鍵野くん、まだ私の問いに答えてくれていません。改めて、どうなのでしょうか?」
「そ、そんな事急に言われてもさ」
しどろもどろになって答える俺へ、電源を切った携帯を手渡す穂端さん。そして微笑を浮かべながら静かに目を閉じ、そっと唇を差し出してきた。
睫毛の本数が数えられるほどの至近距離にある彼女のそこへ、俺はまるで自我を無くしたかのように吸い寄せられていく。
「――ごめんよ」
目を閉じ、浮かび上がるあいつの笑顔へと小さく呟く。が、その時だった!
「っいってぇ!」
首筋に激痛が走った! まるで鋭いものが突き刺さったかのような痛み、そして生暖かい感触。見ると、穂端さんが俺の首筋へと噛み付き、まるでゾンビか吸血鬼のように俺の血を貪っている!
「ちょ、ちょっと、やめてくれ穂端さん!」
彼女を突き飛ばし、距離を取る。ふらりと揺れる体に、にやりと笑う口元から滴る俺の血液。悪い夢を見てるようだ!
そうだ、こいつは夢だよ。今朝徹夜で仕上げたフィギュアが完成したと共に、眠りについちゃった俺が見ている夢なんだ。そうだ、きっとそうだよ!
……バカ言え。現実から逃げてんじゃないぞ、俺!
じゃあ、この首筋の激痛は何だ? 今にも破裂しそうな心臓の鼓動はどう説明する? 逃避するな、現実を見ろ、彼女が今俺に何をした?
そうだ、彼女こそ……穂端さんこそ、最後のももいろあやかしなんだ!
「いててて……穂端さん、君は……ももいろあやかしなんだね?」
「うふふ、やっと気が付かれましたか?」
いつもと変わらぬ物腰柔らかな物言いで肯定を返す。でもその目だけはいつもの彼女と違ってギラリと鈍く輝き、俺を狙っているようだ。
「でもね、私穂端枸櫞がももいろあやかしなのではなく、身体をのっとられているんです。このももいろあやかし『鋼鉄の委員長の檸檬』の特技『同化』によってね」
「同化?」
「そう、彼女の姉の甜瓜は『言霊奪い』、そして妹の苺は『隷属』。それぞれに人間を操る技を持っているんです。そして私の中にいるももいろあやかしのもその技を使い、穂端枸櫞として現世にとどまっているんですよ」
「ば、バカ言うな! ももいろあやかし、頼むから穂端さんから出て行ってくれよ!」
「んー、ちょっと無理ですね。だって、結構気に入ってるんですもの」
にこりといつもの微笑を浮かべる。もうそこには泣き虫だった彼女の片鱗すら残っていないように思えた。
「ももいろあやかし! お前が穂端さんの身体を気に入ったって、穂端さんが迷惑しているんだ――」
そんな俺の言葉を遮り、穂端さんが耳を疑う一言を発した。
「鍵野くんは誤解しています。私が――そう、穂端枸櫞が、このももいろあやかしの力を気に入ってるんですよ」
「な、何言ってるんだ、穂端さん!」
「聞いてください! 今まで私は泣き虫で臆病で、そして引っ込み思案なつまんない女だったんです。でも……でもね。あの日、九十九さんがこの学校に転校して来た日にこの身体を乗っ取られてそれ以降、勇気だとかたくましささだとか、そういった『強さ』が私の中に現れ始めたんです」
そう言えば、ミスコンでの花鶏の着付け。あれも自ら名乗り出たんだっけ。おまけにイチゴ党の暴動を鎮めたあの涙の一喝。普段の彼女からすれば、なんだか不自然に自発的だったような気がしないでもない。
「今はね、とてもすばらしい気分なんです。嫌だった事もやりたい事も思うがままに振舞える自分自身に、毎日が楽しくてたまらないんです」
「いや、おかしいよ! だって、そんなの今までの穂端さんじゃなくなっているじゃないか」
「おかしくなんてないです! 今までが、今までの私がおかしかったんです。今だってこんなにあなたと、鍵野くんとおしゃべりできているじゃありませんか!」
「そんなの前からしてるじゃない――」
「告白だってできたんですよ!」
穂端さんがまっすぐな瞳で俺を見つめ、強引に俺の言葉をねじ伏せた。
「だから……お願いです。鍵野くんを私だけのものにしたいんです。言ってくれましたよね? その生死を問わず、あなたは私の所有物だと。なら、今その誠意を見せてください!」
佐奈以上の無茶な言い分だ。
「だ、だからって魂を食べられちゃったらさ、俺は死んじゃうワケだし」
「ううん、魂は要りません。でもそのかわり、せめてもう一啜り……鍵野くんの血を飲ませて!」
言うが早いか、穂端さん――いや、ももいろあやかしがもう一度俺の首筋に食らいついた!
「いってぇッ! 痛いって穂端さん! お願いだからやめてくれよ!」
激烈な痛みが肩口から全身へと這うように伝わってくる! おまけに女子とは思えない力で俺を押さえ込み、退けようとしてもビクともしない。
彼女に少しでも昔の人格があると願って、幾度と無く止めてくれるようにお願いするけど、まったく聞く耳を持たない
ようだ。そりゃあ懇願程度で止めてくれれば苦労はしないさ、そう一人思うとなんだか全てが馬鹿げた事のように思えてくるのも無理は無い事だよな。
もう既に膝がガクガクと震えて、立っているので精一杯と言う状況だ。よくもまぁ佐奈はこんなおっかない出来事にも臆することなく戦っていられたもんだよ。
あぁ、意識が薄らいできたみたいだ。俺……もうダメなのかな?
なんだか幻聴まで聞こえてきたようだ……だってこんな境内のど真ん中で車のエンジン音が聞こえてくるんだぜ? ここは道路じゃないのにさ……でもなんだかそのエンジン音が、どんどん大きくなっていく気がする。
きっともうダメなんだろうな、俺。ふと目を開けると、細い砂利道の参道をギリギリの幅で一台の車が猛スピードでやってくるのが見えるよ。
ああそうか判ったぞ、もしかしたらアレが天国へのお迎え用の送迎車なのだろう。
でもどこかで見たような気がする車だよなぁ……そうだ、学校でよく見かける車とよく似ているんだ。
あれは確か、そう佐渡先生が乗っている真赤なミニクーパーだっけか。あはは、運転している人もよく似てるじゃないか。まるで鬼のような形相の佐渡先生と、その横で恐怖に引きつっている佐奈そっくりの死神も見える。
いやいや、待て! 前にも言ったけど、俺が死ぬときには今まで作ったフィギュアの天使達がお迎えにくるはず――てか、あれは本物の佐渡先生と佐奈じゃないか! 俺を助けに来てくれたんだ!
最後まで目を通していただき、まことにありがとうございました!




