第二章 第五話
「で、それに何の意味が?」
佐奈が俺に問う。
「ん、特にないよ? 俺の自己満足のためだけだ」
「……は?」
「いやさ、もしブランカがホロウのフィギュアみたいにあられもない姿にされちゃうかもしれないんだったら、その前に本懐を遂げておこうかなと」
「ハァ!? りゅ、龍……アンタってアホはこの切羽詰った状況で――」
「だ、だってさ、ブランカが巨大な狼に変身した後じゃ、喋れるかどうか判らないじゃないか」
「憑依した人形とまったく同じになれるんでしょ? なら心配しなくとも喋れるじゃない!」
「あー、でもさ……やっぱ獣化したブランカより、人間体で言ってもらった方がいい――」
「そ、そんなつまんない事で……コロスッ!」
佐奈の両の拳が殺意に満ちた輝きに変わった。もちろんターゲットはあやかしではなく俺ですよね?
「知れたこと! そこになおれ、龍!」
「ちょ、佐奈! お前はどっちの味方なんだよ! あやかしよりおっかねぇじゃねぇか?」
「う、うるさい! 錠前家秘中の奥義で滅殺してやるから覚悟なさい!」
俺の命が超絶ピンチ! と、そんな時――花鶏ブランカは「くくく」っと俺と佐奈のミニコントに小さく笑った。
いや、笑ったのは俺達の掛け合いにじゃない。
「そうか、わしももうろくしたわ。佐奈よ、かまわぬぞ。これはあまりの激痛にかまけて、龍一の心を読まなんだわしの失態じゃ」
そう、どうやら自分自身へと苦笑していたようだ。
「花鶏……でも、こんな時にふざけてる龍にお灸を据えてやらなきゃ――」
「なに、かまわぬ。龍一めも覚悟した様子じゃし、これにて相殺よ」
にこり、と微笑むブランカ。しかしその瞳には、些かの楽しげな感情も篭っていない。あるのはただ――怒。
「あ、あの花鶏さん? もしかしてお気に触りましたか?」
「ん? 気にする事は無い。そうか、このブランカなる獣娘も巨狼に変化できるか。よしよし、龍一めの溢れんばかりの愛情を存分に使い、この身を変えてやろうぞ? さぞかし強き狼になるであろうな」
俺の心を読んだ花鶏の、血も凍るような愛情パワーの乱用宣言!
「いや、ちょっとまって! 花鶏さん、俺の話を――」
「憑依を解いた後のこの人形の末路を考えるといたたまれぬが……わしに恥をかかせたバツじゃ。これにてあいこ、潔う腹を決めよ」
そ、そんな! ちょっとしたお茶目のせいで、ブランカのフィギュアがホロウと同じ末路を辿るのが確定事項になっちまった!
「す、すまない花鶏! ほんの出来心だったんだよー!」
そんな俺の懇願むなしく、ブランカはこげ茶色の毛をざわざわと全身に生やしながら、メキメキと身体を軋ませ、まるでそびえ立つ山のような、巨大なケダモノへと変貌を遂げていく。これもアニメで見たそのままの光景、狼の化身ブランカの真の姿ってやつだ!
「ふぅ、ちと力を無駄に使いすぎたかの? まぁよいわ」
「良かねぇよ!」と突っ込みを入れるのも忘れるほど、その姿は雄々しく、ともすれば恐怖の象徴と言っても過言ではない程だった。
「さて、ケリをつけようぞ」
巨狼ブランカと比べると、まるで子犬となった蜜柑。その目には幾許かの怯えが見え隠れしているようにも伺えた。
「蜜柑! こいつは分が悪い、一旦引いて体制を整えるぞ!」
佐渡先生の声が飛ぶ。それは賢明な判断だと誰しもが思う事だった。が――
「ご、ご主人様のため! こ、怖くないワンッ!」
蜜柑はそんな先生の言葉を無視して、猛然と目の前の巨大な敵へと襲い掛かっていく。
「ウォォォォーンッ!」
全身の力をその一蹴りに集約して、弾丸の様に飛び掛るその目標は、己の身の丈を上回る巨大な狼の喉元ただ一箇所のみ!
「ギャウンッ!」
喉笛めがけて鋭い牙が襲い掛かる。
その圧倒的威力にねじ伏せられ、たまらず悲鳴を上げて崩れ落ちる巨体。しかしながらソイツは、はなっから負け戦の様相を呈していた蜜柑の方だった!
巨狼ブランカは電光石火の早業で蜜柑の攻撃をかわし、逆に一瞬の隙を突き、見事な一撃を与えたんだ!
「ミ、蜜柑!」
ぐいぐいと締め付けられるブランカの容赦ない力に、「きゃいんっ」と一声鳴きながら、怯えと悲しみのこもった目で先生を見る魔犬蜜柑。
この瞬間、まさに勝負の是非は付いた。
「さ、佐奈! 今がチャンスじゃないのか?」
「言われなくたって判ってるわよ! それより龍、カバンから封魂壷を出して!」
「あ、あいよっ!」
「さぁ、覚悟なさいももいろあやかし! 封技、闘の術型、幻者封――」
だが佐奈は、その先の封印の言葉を躊躇した。戦う意思を放棄した蜜柑と佐奈の間に、佐渡先生が立ちはだかったのだ!
「おのれ、バケモノどもめ! 私の隷属者に、これ以上の仕打ちは許さんぞ!」
なんだか傍から見ていると、どっちが悪者かわからなくなってきたな。
「せ、先生どいてください! そいつはももいろあやかしと言って、悪事を働く悪い魔物なんですよ」
だが、佐奈の叫びは先生には届かない。聞く耳を持たないんだろう。もしかしてあやかしに操られているのか?
「主人がペットを守る、そんなもの当然の事だ!」
佐渡先生は頑として引く気を見せない。その目の奥には、信念にも似た何か熱いものが見て取れる気がする。
「で、ですが先生……そいつを現世に留めておけばどんな災いが――」
と、そんな佐奈の言葉を、花鶏は穏やかな声で遮った。
「もうよい、佐奈」
言って、優しく蜜柑の喉から口を離す花鶏ブランカ。そして「くぅーん」と、悲しい声を上げて佐渡先生の影へすごすごと逃げ込む蜜柑。
「えっ、ちょ、ちょとまて花鶏! わざわざ敵を逃がすって、それはどういう事だよ!?」
「うむ。この者、殺気や悪気を放っておらぬ。いや、放っておらぬと言うより、元よりそんな気は持っておらぬようじゃ」
「な、なんで! そいつはももいろあやかしでしょ?」
佐奈も俺も驚きを隠せなかった。それってつまりは、俺の命を狙っていないと言う事なのか?
「左様じゃ。いや、わしも殺気を気取られぬように隠しおく、なかなかの手練かと思うたが……どうやら違うようじゃ。そしてそれ、佐渡なる者も心を操られてはおらん。ただの人よ」
「えっ! で、でも俺は現に先生に襲われた訳で……」
「それはじゃな……」
言葉を濁して、スッと佐渡先生の方を見やる花鶏。その視線へと答えるように、先生は言う。
「フン、お前が普段からそこの二人にいい感じでシバかれ、なじられしている様を見るに、私のペットにしたくなった。それだけだ」
「え……それってただたんに……先生がSの人だってだけの事ですか?」
「ま、まぁそうとも言う。大体だな、鍵野龍一! キサマが天性のドMっぷりを私に見せ付けるからいけないんだ! そんな物を見せつけられたS嬢が辛抱できると思うか!」
まさに教師にあるまじき言動! やっぱ先生ごと封印してしまおうよ!
「それにな、ここまで堅固な主従の契り……わしともあろうものが、少しばかり情に絆されてしもうたわ。佐渡よ、今後この龍一の命を狙う事はあるまいの?」
「……命を狙う? 私は仮にも擁護教諭だぞ! 生徒の怪我や病気を診察こそすれ、命を奪ったりするわけないだろ。それにペットを陵辱的に虐めはすれども殺したりはしない。そんなもったいない事が出来るか!」
いや、先生……もう何言ってんのかわかりません。
「とにかくじゃ。害は無いようであるし、あったとしても龍一がおなごに変わる位なものじゃ。そのあやかしの蜜柑とやらは無理に封印せずともよいではないか? のぉ、佐奈よ」
「う、うん……まぁ、花鶏がそう言うんだったら私はいいけどさ」
「いやいや、よくないだろ! 俺のいろんな場所が危険に晒されてるんだぞ? 下手をすれば、大人になる前にオカマさんにされてしまいかねないよ!」
「オカマさんだけで済めばいいがな?」
先生がにやりと笑みを浮かべて一言つぶやく。佐奈、やっぱこの人だけでも封印してくれ!
「今回はこれで引き下がってやるが……鍵野、いつかキサマを私の隷属にしてやるから、それまでしっかりとM属性を磨いておけ!」
「そ、そんな属性持ってないですよ!」
「ふっ……キサマはまだ気付いてないだけだ。自分はダイヤの原石だと言う事を覚えておけ。いくぞ、蜜柑!」
そう言うと、先生はくるりと踵を返し、颯爽と体育館を後にした。そして巨大な魔犬だった蜜柑がしゅうしゅうとしぼんでいき、人間形態へと変貌を遂げる。
「わふぅ、まってください~ご主人さまぁ」
わたわたと佐渡先生の後を追うももいろあやかしのその姿からは、俺を襲って魂を食らい世界を牛耳ろうなんて一ミクロンも感じ取る事はできそうもない。花鶏の言う通り、本当に害は無いのだろう。
「残るももいろあやかしはあと一体って事か」
「そうじゃな」
「花鶏、アレって本当に封印しなくて大丈夫なの?」
佐奈が尋ねる。
「そのときはそれ、いつでも封印してやればよし。ただし、龍一の去勢が済んだ後にな」
獣姿から人の姿へと変化を解いたブランかが、くくくと笑いながら俺を見る。やっぱまだ怒ってらっしゃるようだ。そうだ! 怒っていると言えば……
「あ、花鶏さん? あのですね……憑依を解いて頂いた後の事なのですが……」
「おお、そうじゃったな。さて龍一よ、お主えぐられるのと突き刺されるのと焼きつくされるのと内部破壊されるのとどれがよい?」
やけに物騒な行為の羅列。しかも選択肢があると言う事は、俺はそのいずれかを強いられると言う事か!
「何しようってんだよ? お、おっかねぇ事いいっこなしだぞ!」
「いやなにの……お主の大事なモノが土塊に還るところを見とうは無かろう?」
「そ、それはつまりブランカのフィギュア崩壊確定って事ッスか!」
「うむ! じゃからの、ならばいっそその前に、お主の目を見えぬようにしてやろうと言う、わしの小さな心配りじゃ」
恐ろしい事をさらりと言ってのける。流石に神様を愚弄した罪は重いという事なのか。
「じゃあ私が選んであげる。そうねぇ、じわじわと腐食させるってのはどう?」
「ふぅむ。なかなか乙じゃが、それでは人形が朽ちる様を見てしまう事となるでな」
「何マジ答えしてんだよ! どれもこれも御免蒙るわ! いいか、俺は腹をくくったんだ。愛しのブランカが朽ちる様を、俺はしっかと眼に焼き付ける! だから物騒な事は言うなよ?」
「まぁよい、その潔さに免じて五感を立つのは許してやろう」
ご、五感って……こいつは一体俺に何をしようとしてたんだ?
「さてと。しからば龍一、基本体をこちらに」
「う、うん。はいよ」
言われるままに、花鶏の制服バージョンのフィギュアを手渡す。愚図てったら本当に五感を断たれかねないもんな。
「それでは……憑依帰体!」
眩い輝きがブランカを包む。やがて光の塊は小さくなり、変わってもう一つの発光体を生み出した。
程なくして光が失せたそこには、花鶏の基本である姿と――小さなケモミミ娘のフィギュアが一つ!
「うおっ! おおおおおおっ! ブランカがぁ! ブランカのフィギュアが形状を維持してもどってきたぁ!」
こ、これは奇跡か! 完全に諦めかけていた大事な大事な俺のフィギュアが、ブランカの人間形態フィギュアが、俺の手元に戻ってきたぁ!
「ふふ、少し脅しが効きすぎたようじゃな。わしはこれでも物の神よ、愛情のこもった物品をそう易々と壊し去る事が出来ようか」
「あ、ありがとう花鶏! これからは調子に乗ってバカな事は言わないよ」
「うむ、わかればよい」
なんだかんだ言っても、流石は九十九の神様だ! 俺の愛着心をよく理解してくれている。
「だが龍一よ、気を付けて扱え。獣化への変化でお主の愛情を少々使いすぎたでな。いやこれはわざとではないぞ? 変化に際して、何かしらの貢物を頂戴せんといかんらしくての」
「そ、そうだった。狼への変化は易々とは行かないんだったっけ。まぁそいつは仕方が無いさ」
そこまで原作に忠実になんなくったっていいじゃないか。とはいえ、無事に俺の手元へと戻ってきてくれたんだ! これ以上の喜びは無いよ。
「で、じゃ。ぎりぎりのところでお主の愛情を残しておいたで、かなりもろくなっておる。なぁに、部屋に飾って毎日愛情を注げば、元の強度に――」
と、そんな説明の途中。
花鶏の小さな異変に気付いた佐奈が、慌てて声を上げた。
「た、たいへん! 花鶏、あなた頬から血が出てるじゃない!」
それは花鶏が基本体の時に、蜜柑から受けた一撃だ。見た目にはたいしたものじゃないけれど、こんな時女の子ってのは大げさになってしまうんだよな。
「ちょっとまって。今、手当てしてあげるから!」
佐奈はそう言うと、通学鞄からハンカチと絆創膏を取り出し、花鶏に手当てをと駆け寄った。
「俺の顔には傷どころか痣やコブまで作っても平気な顔してるくせに」
「うっさいわね! アンタのアホ面と花鶏の綺麗な顔を同じにするんじゃないわよ」
判ってはいたけれど、まったくひどい言い草だ。
まぁ確かに、女の子の顔に怪我なんて一大事なのは判るけど、そんなに慌て走ると躓いて転んじゃうぞ? ただでさえお前はおっちょこちょいなんだからさ。
「きゃあっ!」
そら言わんこっちゃ無い!
そんなに慌てるからけつまづいてスッ転び、俺にタックルする羽目になるんだぜ?
おまけにその衝撃で、手にしていたブランカのフィギュアが天高く弧を描いて宙を舞い、体育館の床に見事な着地を――――ってちょっとまてぇっ!
――カッシャァァァァァン!!
「うぎゃあああああああああああッ!!」
その日。俺の家の庭に、二つ目の墓標が立つ事となった。
最後まで目を通していただき、まことにありがとうございました!




