過去
両親は、幼稚園の頃に離婚した。
俺は母親に引き取られ、田舎へ引っ越した。
ほどなくして、母は再婚し、新しい父親が出来た。
新しい父親は、呑んだくれのギャンブル中毒で、よく俺は理由もなくぶん殴られた。
最初の頃は怖かったと思うが、小学校も高学年に差し掛かると、べろべろに酔っ払ってロレツも回っていないオッサンのパンチを避けるのはたやすく、逆に反撃して懲らしめるようになってた。
そのたびに母はやめなさいと俺を叱った。俺が殴られていた時には、なにも言わなかったくせにと言う思いもあったが、女手ひとつで二人の面倒を見てきたことを考えると、文句を言えるはずもなかった。
そんな母が小五の時に亡くなった。残されたのはクソ親父と遺品を整理していた時に見つけた一枚の紙切れだけ。紙切れには東京の住所と元父の名前が書いてあった。
東京に戻る気も、元父を頼る気もなかった俺は、紙切れを破いて捨てようとしたが、母の残した最後のメッセージだと思うと、どうにも捨てることが出来なかった。
それから半年も経たないうちに俺はグレた。当然と言えば当然だろう。呑んだくれのギャンブル中毒と二人きり、グレるなと言う方が無理な話だ。
クソ親父は、母が亡くなってから更に酒の量が増え、家にいる時にはケンカが絶えない毎日。俺がキレて家を飛び出すこともあった。とは言え小学生、行くアテもなく、しょっちゅう交番のお世話になっていた。
せまい田舎町、二度目にお世話になった時にはもうすでにクソ親父のことも、俺のことも、オマワリには情報が入っていたようで、ゆっくりしていきなさいとお茶や菓子を出してくれた。
オマワリもクソ親父に説教を試みてはいたようだが、馬の耳に念仏と言った感じで、飲酒もギャンブルもやめる様子はなかった。
そのクソ親父も母の死から約一年後、後を追うようにポックリと逝ってしまった。
清々したと言う気持ちも、寂しいと言う気持ちもあったが、これからどうなるんだろうと言う、何よりも不安な気持ちが大きかった。
幸いと言って良いのかどうかわからないが、俺は施設に行くことなく父方の伯母に引き取られることになった(後から聞いた話だとかなりのゴタゴタがあったらしい)
そして、俺は移り住んだ島根の中学校でカンナと出会うことになる。