腹ごなしに、夢で歩く?
結局、店を出たのはさらに1杯の酒を飲んだ後だった。
ポケットには、紙にペンで書かれた連絡先が入っている。
携帯端末が無い自分に男がくれたものだ。
「この時代だ。端末の1つや2つは常備化しておけよ」
と苦笑いされてしまうと、流石に恥ずかしい。
空の色から察するに、夜更けどころか朝が近い。
うっすらと見える雲を眺めていると、水滴が顔にぶつかった。
小雨が振り出していた。ここ最近は雨に降られてばかりだ。
本降りになられてはたまらない、と駆け足で戻るべき店に急いだ。
「戻ったか」
境界の石の店主は相変わらずの調子だった。
この時間に客がいる事に驚きだが、何人かは既に机に突っ伏して寝ているようだ。
「いつものメニューを頼む。それと、幾つか買いたい物がある」
寝ている客を起こすのも何か悪い気がして、小声で注文する。
報酬のカードを1枚見せると、店主は少しだけ笑ってくれた。
「買い物は明日にしておけ。もちろん食事代は前金で貰う」
「ああ」
走るわ撃たれるわ獣化するわで、身体が猛烈に栄養を求めていた。
自分がこの店をよく利用するのは、そこらの店より安くメシが食える事が大きい。
レジまで歩いてゆき、手に入れたカードをスリットに通すと、給仕のロボットがおしぼりをくれた。
それで手を拭きながら店主が持ってくる料理を待つ。
5分後、思ったよりも豪勢な食事が自分の前に並んでいた。
野菜のスープ、乾いたパン、クラッカー、チーズ、気の抜けた炭酸ジュース。
どう見ても今日の残り物を並べただけだが、自分にとってはご馳走だ。
その日、処分する予定の食料にスープをつけた物が、いつものメニューとなっていた。
いつから店主と自分の間でこの裏メニューがやりとりされるようになったかは覚えていない。
パーティのあった日などは豪勢な晩餐だが、何も無ければスープとパンだけになるメニューだ。
料金は端数の小銭程度のものなので、今日は比較的、料金の割りにリッチだといえるだろう。
まず乾いたパンをスープに放り込んでふやかす。
その間に、ジュースでチーズとクラッカーを味わった。
パンが水気を取り戻したのを確認してから、スープの野菜とパンを交互に食べる。
礼儀作法など投げ捨てたような、まさに『犬食い』であったが、特に咎めるものはいない。
食べようと思えば普通に食べられるが、今は衝動に身を任せて空腹を満たす事に専念した。
「寝床はどうする。棺ホテルに行くのか?上も空いているが」
10分ほどで食い終えた俺に、店主はそう尋ねてきた。
上の階は、宿泊できるようになっている。値段も高くは無い。
棺ホテルは、ここから三軒となりのビルにある宿泊設備だ。
文字通り棺のようなカプセルとロッカーのついた部屋で眠ることができる。
料金は安いが、寝心地といえば『床や道路で寝るよりは良い』という感想でお察しだ。
「今日は上を借りる。昼まで寝ていたら起こしてくれ」
「わかった。毎度あり」
もう一度スリットにカードを通し、店主からカードキーを受け取ると
そのまま割り当てられた部屋に直行し、個室を満喫しながらベッドに横たわった。
――夢。夢を見ていた。
雑踏を歩く夢。目的地は無く、ただ歩いていた。
やがて道行く人々を観察している奴がいる事に気が付いた。
雑踏の中にいる奴を指差しては、近づいて声を掛けている。
声を掛けられた連中からは、「鋭利」なものを感じる。
だが声を掛けられた人間は、それに気づいている気配が無い。
それを理解すると、観察している奴は悲しそうな顔をして、また違う人に声を掛ける。
どれだけ見ていただろうか。
一瞬、自分が観察者を意識しなかった瞬間に、観察者は消えていた。
どんな顔だったか。どんな風貌であったか、まったく思い出せない。
いや、そもそもどうして自分はあれを観察しているのだと思ったのだろうか?
そう認識した瞬間に、何か良くない気配がすると、己の血が告げる。
理屈などない。だが今までに己の血が自分を騙した事はなかった。
とにかくここから離れよう。
そう思った刹那、自分と観察者と視線が交わっていた事に気が付く。
「……見つけた」
そこで目が覚めた。時刻は午前10時過ぎ。
雨は止み、午後には晴れ間が見える、という事を部屋のディスプレイが告げてくれる。
「見つけた……?」
目覚めた自分の頭が、はっきりとその声を覚えていた。




