生者の帰還、因果の応報
楽な仕事だと思って取り掛かったわけではない。だが、この状況は明らかに修羅場であった。
一人は頭部が吹き飛び、一人は手の骨が砕かれた激痛で失神していた。
だが頭が吹き飛んだ男は数回の痙攣の後、呻きながら立ち上がる。
吹き飛ばされたはずの頭部は、信じられない速度で再生をはじめていた。
どのような理屈であろうとも本来ありえるものではない。
「本当に、本当に物覚えの悪い奴だ」
忌々しげにそう吐き捨てるフェリックスは、倒れないように壁に手を突いて、肩で息をしている。
見た目こそ治りはするが、それを構成する要素を欠いてしまったようであった。
胴体に弾を受けてなお悠然としていた頃の余裕は無い。
外法にせよ超科学にせよ、頭部が重要な点であることは克服しきれなかったようであった。
一報で伏は、獣と戦っていた。合成獣としか言いようがないそれは、突然部屋に生じたのだ。
まるで獅子のような外見であったが、体には鱗が所々に覗いている。
影獣、と呼ばれる種類の攻撃的な使い魔である。本来は見えるものではない。
術者が差し向ければ、相手はわけのわからぬままに不可視の獣に喰われるしかない。
臆すこと無く襲いかかり続ける影獣は、フェリックスの持つ必殺の存在であった。
だが細かいことなど戦っている当事者にはどうでもよい事だ。
蹴りとばし、殴りつけ、手元の木片を投げつける。
打撃は有効打となっているが、木片は獣をすり抜けた。
伏にとって、カレラとフェリックスで話をつけてもらおうとしたのは感傷によるものだった。
別にこうなることを見越したわけではなく、単なる人情を考慮した結果に過ぎない。
それが甘い判断で、プロのすべき選択ではないと承知はしていた。本来は、問答無用で取り囲み、脅迫すべきだと。
だが偶然であったとしても、ウェットな選択は二人の身を助けた
目には目を。獣には獣を。影獣と伏は互いに人外の膂力で戦っていた。
フェリックスが既に頭部の再生を半分も終えた所、伏はボロボロになっていた。
「せっかくの新品も台無しだ……いいか、新品だったんだぞ」
上着を放り投げて目隠しをし、その隙に横腹へ蹴りを叩き込む。
ウロコを蹴り破るような音がすると、たまらず転がる。
その隙を逃さず、容赦なく踵から踏み抜かれた。
数度の痙攣の後、霧のように姿を消す獣を眺める伏は、顔を上げてフェリックスと対峙する。
「馬鹿な……なぜ見えている?」
「何でだろうな?だがどうでもいい事だ。要求を飲むか、死ぬほど痛い目にあうか。二秒で決めろ。いーち」
指を一本立て、二本目を立てる手前で、わかった、と返事があった。
「……今すぐに手配しろ。できないとは言わさん」
「いいとも。今から言うコードを使って社のデータベースにアクセスしてもらえばいい」
伏は卒倒しているカレラの上着から通信端末を取り出して、ベイカーに連絡を入れる。
コードが使えるかどうかを確認する必要があるからだ。
「話せ」
口頭で聞いたコードを使ってアクセスすると、しばらくして確認がとれた旨の回答があった。
「甦れそうか」
『……はい!』
「よかったな。ハッピーバースデイ。さて、これ以上やりとりする気は無いから。失礼させてもらうよ」
頭部が再生したフェリックスは舌打ちをすると、手で追い払うような素振りを見せた。
伏はカレラを担ぎあげると、正面から堂々と出て行く。まるで男一人を担いでいるとは思えない身軽さである。
二人の姿が通路に消えてからしばらくすると、警報アラームが作動した。じきに警備員も来るだろう。
何もかもが遅い……否、三人の行動が早かったのだ。
完全にしてやられたフェリックスは、荒れ果てた屋内でソファーに腰掛けて、ウイスキーをあおる。
アルコールが回っていくのを感じながら、次の手を構想していた。
「……さて、どうするか」
手駒を失った手痛さ、実際に傷を負わされた苦痛を噛み締めながらそう呟く。
ごう、と割れた窓から風が吹き込んだ。じっとり湿った空気が部屋の中に流れ込む。
天気は悪くなり、風まで出てきたようだ。
フェリックスは割れた窓に眼を向けると、そこに一つの影を見た。
「どうするか?死んでしまえば悩むこともあるまい……礼に来たぞ」
「馬鹿な。二重、三重で封殺して依代にしたはず……」
それはかつて封じ込めた相手。因縁。そして今の彼にとっては死神であった。
「よく作られていたよ。だが解呪された時点で、もっと慌てるべきだったな?」
舌打ちをしたフェリックスが手早く詠唱して手で印を描く。
発光した印から光が放たれるが、浮かぶ影は意にも介さなかった。
「対応策は練っておいたよ。あの若造に感謝せねばな」
影が人の形を成し、腕を振り上げて、下ろす。
その後、駆けつけた警備スタッフが見たのはフェリックスの死体だけであった。
本件は強盗殺人事件として処理されたが、犯人は見つかっていない。




