夜明け前こそ
翌朝目を覚ますと、私は死体になっていた。
こうして自意識が残っているし生物としては健在であるが、私は死んでいた。
「他の企業追跡を防止するための配慮だ」
カレラはそういって、新しい身分証明書を渡してくれる。
もっとも、その身分が証明する内容にさしたる意味があるとは思えない。
せいぜいがファイルに関連付けたタグだろう。
「完全偽装ですか。お見事ですね」
さぞ事後処理は楽な事でしょう、という一言は飲み込んだ。
目の前には自室の写真と、倉庫の中の写真。
家具にはカバーがかけられ、私物の類は、部屋のタグがついた箱に放り込まれている。
自分の記録を追跡すると、ローカルな情報を除けば
存在した記録が抹消されていた。
登録上、私がかつて過ごし、つつましいながらも積み上げたキャリアは
いよいよもって葬られた事になる。
どのような方法を使ったのかを考える無意味さは、ここ数日で学んでいた。
私という人間が企業に所属している部分に多くを依存している以上、
逆もまた然りであることは想像に難くない。
誰かの記憶に残ってるかもしれないが、記録には無い。
私もまた、前任者と同様に幽霊男となったわけだ。
「他に何か?レポートは日報で提出したはずですが」
「無いな。追加で金が必要なら幾らか置いていくが」
「前任者は、そんなに金を?」
「最初はな。お前みたいに酒を飲んで女を呼んで、服を買い車を買い……」
「……そして仕事をして、死んだんですね」
お前もそうなるんだろう?と値踏みするような目線に、そう反論してみる。
昨晩どこかに落としてきた怒りが残した、私なりのささやかな自己変革。
「まぁ……そうなるな」
驚いた顔をする。あれだけ仏頂面だった男にも人間性は残っているらしい。
黒服にミラーシェードの時には、そんな素振りは感じられなかったが
こうなると、完全なサイボーグという訳でもないらしい。
「この前にもらったお金で何とかしますよ。無ければ、また連絡を」
「わかった。進展があったら教えてくれ」
そういって去るカレラを見送り、私は、ここにお似合いの服を身にまとう。
といっても、向こうにいるときと何一つ変わらない私服なのだが。
昼に店に出向くと、準備中という看板が下がっていた。
時間を間違えたかと悩んでいると、中から昨日の男が出てくる。
「今日は酔ってないな、黒焦げ」
「はい……その、昨晩は失礼しました」
「いいさ。とにかく入れ」
約束の時間を明確に決めていたわけではなかったが
先に行って待っていたのだろう。テーブルの上の食事がそれを物語る。
「すまんな。昼飯を食いながら待ってたんだ」
合成された肉と野菜とパン。そこだけ見れば不思議ではないが、量が多い。
シラフに戻って目の当たりにした体格の良さからすれば妥当なのだろう。
「いえ、私もまだでしたので」
「じゃあ食いながら話そう。ここの飯は他の酒場と違って、意外といけるぞ」
「え?準備中じゃ……」
表に出ていた看板を思い出して言う。
すると伏……野良は、宿泊客には飯を出す、と言った。
ややあって野菜のスープとパンが出てきたので、素直に口にする。
たしかに美味しい。
薄味だが、それが逆に出来合いの品ではない事を物語っている。
食事をしながら、伏という男性の状況についてを共有した。
野良と呼ばれる、孤独な裏稼業者であること。
ハッカーを探している事。屋敷に行って像を壊す……もちろん非合法な……計画がある事。
伏自身は、そういったテクノロジーの恩恵を受けていない事。
そんな体にもかかわらず、魔法の絡んだトラブルに悩まされている事。
その悩みを聞くうちに、今度は自分の話を切り出す。
「仕事でトラブルにあいまして、トラブルを解決しないと元のポストに戻れません。
ある場所から石をひと欠片でも持ち出せれば、そのトラブルはかなり解決できるのですが」
嘘は言っていないが本当の事をさらけ出す気もない。
もったいぶった言い方になるが、初対面相手にすべてを出す気にはならなかった。
「……ある場所ってのは?」
「占い師の館だそうです。データが正しければ、ですが」
伏は私をじっと見つめてくる。
そして、確認するようにゆっくりと、声を落として訪ねてきた。
「区画は13。中年から老人がいる場所か」
「区画はそうですが……もしかして」
彼が言わんとしていることを理解し、頷いた。
手元の端末に地図を表示し、像の図を見せる。
「俺たちにとって、いい仕事になりそうだ」
希望が見える。絶望の夜を乗り越える、ささやかな希望。
すがりつきたい衝動はこらえて、機を逃すまいと報酬を相談する。
夜明け前こそが最も暗い。確かに、像を壊して欠片を持ち帰れねば
私は倒れてしまうし、伏だってどうなるか分かったものではない。
「……互いにワケアリなんだ。カタがついたら相談といこう」
歯をむき出しにして笑う伏の表情は
まるで獲物を見つけた猟犬のそれだ。
敵に回すとさぞ恐ろしいのだろう、と私は思いながら
スープの残りを、口に運ぶのだった。




