前任者からのメッセージ
『焦げ付き』というのは、あくまでも自分が抱える病状のイメージに過ぎない。
最初に焼けるような熱を妄想し、次に自分の頭が焼けるイメージに支配される。
そんなことを冷静に考えながら悪い思い出を必死に思い出さないようにする。
1分が長い。
昔は悠々と情報の海を泳いでいたのに、今となっては溺れる事に怯えている。
暗がりに置いていかれた、一人ぼっちの子供になったような錯覚を覚える。
感覚が現実から仮想に移り、目を開く。
緑とも青とも取れるような空間に、無数の通路が走っているようだ。
ふと、何かの気配を感じた。
何も存在しないように視界では処理されているが、
読み込んでいる感覚からも、"居る"と言うの事はわかる。
「君が後任か」
話しかけられた場所に、人の姿をしたアイコンが表示される。
最初こそ顔のないマネキン人形のようであったが、
10秒もしないうちに外装がエルフに書き換わった。
「前任者は死んだ、と説明を受けましたが」
世界が魔法とテクノロジーに覚醒し、災厄の華が咲き乱れて以降、
世界中で、医学的な死という物に若干の抜け道が生まれていた。
『死』が持つ重みは依然変わりなく認識されているが、
死後の世界に逝く代わりに、このようにネットワーク上や
霊界で意識を残したままで残る物も居る。
端末に繋いで確認しろ、といった課長の意図は、こういうことなのだろうか。
「そんな困った顔をするな。私は生前のバックアップメモリーだ。
記憶の一部分のみを転写した擬似AIで、現実の私は既に死亡している」
「えらくあっさり言いますね」
「後任者への引継ぎが目的であり、こうして会話している事が
既に『私』という存在が消えた証明だからな」
あまりに感情が感じられない物言い。
私にとって、それは擬似AIである事を信ずるに足る理由だった。
「引継ぎというのは?」
「不正接続の接続元と、障壁の正体に関するものだ。
それから、ナノマシンを注射されているだろう?その誤魔化し方について」
「ありがたいですね。特に最後は」
「接続元はドキュメントから拾ってくれ。障壁だが……電子的な物ではない。
私が死んだとすれば、それは間違いなく魔法障壁だったという事だ」
魔法、と当然のように口にしている目の前の男に、私は幾らかの不安を覚えた。
確かに魔法は存在しているが、ネットワークの遮断に使える魔法なんて、
長い時間を情報収集に費やしていても、聞いたことが無い。
「いやに断言しますね。もし魔法だったとして、私はどうすれば?
今の今まで、魔法のマの字も程度しか信じていないのに」
「その障壁を発生させている物がある。それを破壊するんだ。
破壊する際は、頼もしい連中を頼れ」
「あの特命対策課の人たちでは何か問題が?」
「もし霊廟に対して別の企業が工作員を派遣していた場合、
創設間もない特命対策課では分が悪すぎる。
それに、企業間の抗争は泥沼化を避けたがる上層部が、横槍を入れてくるだろう。
数に余裕がある訳ではない」
前任者の年齢が何歳だったのかは定かではない。
だが、私よりも遥かに過酷な環境で仕事をしていたようだ。
「そうだったのですか」
「そうだ。ナノマシンの誤魔化し方を知れたのも、頼もしい連中のお陰さ」
そう言ってニヤリと笑った前任者の体が、ノイズで不定形になる。
「体が……!」
「くっ……思ったより時間が無いか。誤魔化し方だが、別のナノマシンで
今のナノマシンに偽装データを送ればいい。入手経路については、俺を調べるんだ」
ネットワーク上に逃れた死者の最後、あるいはAIにおける死は、
データそのものが失われるか、均一なるマトリクスの向こう側への拡散が挙げられる。
だが、目の前で起きている現象は、それらと似て非なる物。
どうやら前任者は、自らを単なるドキュメントとして変換しているようだ。
「……気をつけろ。特命対策課の中に裏切り者が居る」
「えっ、待ってください。どうして一番最初に、そういう大事な事を」
「いいか、俺を調べるんだ。そして、必ず……」
必ず何をして欲しかったのか、それを聞くことなく
名前も知らぬ前任者は、単なるドキュメントとなった。
必ず、何をして欲しかったのだろうか。
変換された『彼』に一通り目を通しても、それは書かれて居ないようだった。




