信じられないほど簡単なお仕事です
"moonlight"
月光と訳されるこの英単語は、夜間のアルバイトという意味も持つ。
その日、都市には雨が降っていた。人工物を濡らす雨の匂いが都市を満たす。
男が一人、所在なさげに、傘もささずに歩いていた。
あたりを包む匂いを感じて、たまらず鼻をスン、とならす。
スーツではなくコートを羽織った男の風貌は、どう見ても都市のビル郡で働く人間のそれではない。
どう生活をしているのかを男が語っている訳では無かった。
だが、にじみ出る気配は獣じみた暴力のそれであった。
男は人間では無い。狼人間と呼ばれる亜人だった。
いつから人類はおとぎ話の世界に迷い込んだのだろう。
それを明確に答えられる者はいない。理由は一つではなかった。
多くの理由……あまりに多くの理由が、真実を薄めてしまっていた。
確かなことは、まさしく『何でもあり』の時代が訪れたという事だ。
かつては物語の中にしか存在しなかった出来事が、現実となっていた。
フィクションはノンフィクションとなり、ノンフィクションは歴史の一コマとなった。
かつては日常に存在している「帯刀した軍人」が、時代劇に追いやられたように。
"Moonlight" ~近未来 負け犬物語 ~
世界は変わった。
いまや人類は唯一無二の種族から、複数の種族へと枝分かれしていた。
国家のあり方が変わり、既存の科学技術は魔法という概念で混乱している。
今、この世界を目の当たりにした過去の人間がいたとすれば、何を思うだろう。
地獄だと思うだろうか。あるいは何も信じないだろうか。
「信じられないぜ」
目の前でおおげさなジェスチャーをする斡旋屋が、言った。
今、この時代に生きていながら、何も信じられないらしい。
「こんなシンプルな仕事を引き受けない旦那が、俺には信じられない」
「そういう事か」
長時間雨に打たれる趣味は無い。
普段よく利用するバーに入った俺を待っていたのは、斡旋屋と呼ばれる男だった。
名前の通り、仕事を斡旋して、その手数料で食っていくことを生業としている者を、そう呼ぶ。
風体は自分同様スーツの似合わない男だが、着衣のセンスという奴は自分より遥かに上等だった。
どこか清潔感のある雰囲気がウケるのか、女性から声を掛けられているのを見かける事もある。
本名を名乗ったことも、聞いた事も無い。そんなものに意味がない事は、互いに承知済みだ。
それにしても、簡単だ、問題ない、という話ほどあてにならないものは無い。
今までに何度か仕事――とても危険な――を斡旋された時も、同じような事を言っていたように思う。
もっとも、自分が仕事を選り好みできる身分ではない事は理解している。
よほどの事情が無い限りは斡旋屋の仕事を受けるのが、負け犬たる自分のスタイルとなっていた。
「受ける前に、もう少し話を聞かせてくれ。スープを飲みながらで構わんだろう?」
「好きにやってくれ。詳細はこうだ……」
味は薄いが値段も安い。この店の料理を気に入っている所以だ。
目の前の斡旋屋の話をまとめると、次の三つだ。
ひとつ、ある設備に進入する。ふたつ、中にある物を運び出す。
みっつ、用意された証拠の品を残す。よっつ、仕事中の生死は不問。
……しまった。みっつでは無くなってしまった。
「偽装強盗か」
「旦那の他にも2、3人が参加するって聞いてるぜ。な?簡単な話だろ」
ああ、と生返事をしてから、最後の言葉が少し引っかかった。
「聞いている、と言ったか?つまり誰が来るかは知らないのか、お前」
今の質問は想定していたらしい。男は懐から端末を取り出すと、画面を見せてきた。
どいつもこいつも、ご同類という雰囲気だ。
「こいつらが候補者さ。旦那を含めて、ある程度の経験があるメンバーだね」
「頼もしい話だ」
経験、という言葉に含まれる背景を想像した。この何でもありの世界において
経験について回るバリエーションは豊富すぎた。
いくつもの簡単な話があり、いくつもの危険があった。
世界は変わったが、それでもなお不平等は残り続けた。
何でもありになった故に狼人間である事は何の意味も持たなかった
人類には依然、基本的人権という名の神が君臨している。
しかし、誰も彼もがその神に跪いて恩恵を得られるわけではない。
確かに基本的人権とやらに縋って生活の手段を探っていく選択も、あるにはあった。
しかし、人類に対する優越性が大きい狼人間に対しては、その種の贅沢は許されなかった。
運動能力。病気への抵抗力。治癒能力。いずれも人類の規格からは、ごっそり外れている。
外見が大きく異なっていれば、ご同類のコミュニティに参加することもできる。
だが狼人間ときたら、エルフやオークなどの連中に比べてしまえば遥かに人間に近い。
あまりにも人間に近いため、医療機関の世話にでもならなければ問題にもならない。
そういうわけで、自分はひたすらに才能を活かせる仕事に従事していた。
きっかけは良く覚えていない。近所のごろつきに声を掛けられた時か、あるいは親が失踪して施設に送られた時か。
軍人や警官という方向に進む未来もあったのかもしれないが、現実は残酷だ。
ご覧の通り、暴力を売り物にして今日を生きるのが精一杯の負け犬となってしまった。
「……で、集合地点から現場までは車で送ってくれるそうだ。旦那、聞いてるかい?」
「半分は聞いていた。集合地点から送迎付き。至れり尽くせり。合ってるか?」
「まぁ、そういう事にしておくよ」
場所は秘密という事だ。情報が漏れるリスクを考えれば正しいと言える。
会ったこともないメンバーとよく判らない場所に偽装強盗に向かう。
当日の集合場所から現場への移動中に、初めて顔を合わせる四人のミーティングが行われた。
偽装強盗、という話になるからには被害者が存在する必要がある。
どの程度の規模まで暴れて、どこで切り上げるのか。
依頼人から派遣された代理人に確認したが、かえって来た言葉は
「皆様の経験にお任せします」という、何とも泣かせてくれる言葉であった。
そして経験に基づき合意できた結論――皆殺し――を代理人が承知して、決行に至ることになった。
ところで、無から有が生まれるなんていうのは哲学か魔法か宗教の話だ。
動けば腹は減るし、撃てば弾は無くなるし、傷を負えば自分は痛い。
いくら再生能力が人間の規格外にあるとは言っても、現実はそんなものだ。
仕事の出だしは順調だった。難なく設備に入り込み、用意された証拠の品を残した。
常駐していた警備員とセキュリティシステムは黙らせた。目当ての物を探し出すことに成功した。
誤算は、警備会社がとても熱心な事だった。連絡が五分途絶えただけでだけで増援が来た。
既に一人は動かなくなっている。残ったメンバーで逃げようとしたが、現場まで送ってくれた車は既にいなかった。
こちらは二名、向こうは沢山。捕まれば死ぬ。逃げ切れば金が手に入る。
何とも簡単な話。やれやれ。言葉にするだけなら、いつだってそうだ。
「あいつ、帰ったら、覚えてろ」
斡旋屋を殴る算段をしている後ろで、警備隊の重火器がうなり声をあげている。
理不尽な鬼ごっこが、幕を開けた。
友人と会話してるプロセスで「狼人間モノで作品を」という意図から書いた作品です。
何を書こうかと悩んだ結果、自分の中で今一番アツいネタで書いてみました。




