『ファーストコンタクト・2』
「はぁ、んで」
「んで、って…それだけだよ」
昼。
高校。
そして屋上だった。
春近く、最近は気温も暖かい。
空は、―――やっぱり良い日だった。
「ふーん………」
ブリックのヨーグルトを、ストローでずごごごごご、とすすりながらそいつ……芥代仗は興味なさそうに呟いた。
何を言われるかはわかっていたので、脱いだ学ランを枕にして、早々に昼寝と洒落込んだ。
昼休み。
男二人で屋上パン食い。
………。
……………。
せつねぇー………!!
「しかしねぇ」
きゅぽ、という音と共にストローから口を離し、仗は呟いた。
眼鏡の奥の瞳は、相変わらず底知れない。
ちなみに、今はすっごい眠そう。
「声を聞いただけで能力を使って成仏までさせるなんて……」
やれやれ、といった感じに首を振りながら呟く。
「君は本当にロリコンなんだねぇ」
「違ぇだろそこは!!」
そこは『お人よしなんだねぇ』とかそういう台詞が続くだろ!
何だよ、人助けしてロリコン呼ばわりされる僕って!!
「あれ、違うの?」
「意外そうに言うな!!」
あまりの発言に飛び起きてしまった……。
疲れる………。
「でもさ、発言だけ聞いてたらそうだよね。『お嬢ちゃん今いくつ?』だの、『好きなものは何?』だの」
「……ぐっ…」
「極めつけはほら、あれだよね。『ママにあいたい?………グフフ、じゃあおじちゃんについておいで』」
「そこまで変態チックな言動じゃ無かっただろ!!」
しかも僕はおじちゃんじゃねぇ!!
そんなん完璧『誘拐犯』じゃねぇか!!
ガチ変質者じゃん!
「そっか………ロリコンじゃ無かったのか……」
「そうだよ……わかってくれたか」
うん、と仗は頷いて、
「シスコンだったんだね」
「何でそうなるんだ!!」
リアルにやめろ!
幸い僕に妹はいないから良いようなものの……!!
「ねぇ周士君、僕には小学4年生の妹がいるのだけど」
「腫れ物扱うみたいな眼で見るな!!心配しなくてもてめぇの妹にはこれっぽっちも興味はねぇよ!!」
「そうかい?それなら良いけれど」
それだけ言って、仗はふっつりと黙った。
こいつ………僕の事を本当に変質者かなんかだと勘違いしてる節があるからな。
まぁ、第一印象が悪すぎた事は認めるけど。
「でもねぇ周士君」
「んだよ」
眼鏡の奥の眠そうな、底無し沼みたいな眼が僕を見据える。
「わかっているよね」
「…………」
「わかって、いるよね?」
底無し沼が、言う。
「見えない隣人である彼らに、どうやら僕らは関わる術をもって生まれた……。だけどそれはあくまで『それだけ』の話で、深く関わる事は絶対にいけない」
「……あぁ」
わかってる。
わかって、いるさ。
それがまだわからなくて、弁えていなくて。
この17年間、酷いめにあってきたのだから。
「別に君の心配をしているわけじゃないけれど……。『彼ら』に関わりすぎるのは良くない。何故ならそれは『彼ら』の活性化を意味するからだ。本来『在るだけ』の存在だけれど、『観測者』の存在が『在るだけ』の彼らに『存在理由』を与える。理由無くいるだけだった連中が、名前と力を持つようになる―――そうなってくると、君だけの問題じゃなくなる。この町に住んでいる『交渉人』の一人として、それは注意して欲しいことだよ」
「わかってるよ」
それは―――嫌と言うほど。
それが原因で僕は。
大事なものをたくさん、落としてしまったのだから。
「わかってる、わかってます。………今日の事だって、本来ならあんまり良い事じゃないこともわかってる」
わかっているけど。
わかっちゃいるけど。
泣いている子供を無視して捨て置けるほど、僕は大人じゃないだけの話だ。
聞こえないなら無視すれば良い。
敢えて聞こうとする必要はどこにも無い。
けれど、聞こえるなら。
そして、助けを求めているなら。
「動いてしまうんだよね、君は」
やれやれ、といった調子で仗は首を振った。
癖なんだろうな、首振るの。
「君みたいなのが何で『聖母の耳』を持ったんだか……本当、神様ってのは残酷だよ」
「……信じて無いくせに何ぬかす」
「はは、確かに」
そう言って仗は横になる。
僕も、横になった。
横に寝ている男………芥代仗。
普通の家に育ったごく普通の人間。
自分の事を、『交渉人』と言った。
僕は、こいつに―――、
命を救ってもらったのだ。
同学年にして、クラスメイト。
出席番号1番で、僕は2番。
芥代、仗。
『交渉人』。
「しかし、周士君」
「何だよ」
「君が遭遇する連中は何でみんな女性なんだろうな」
………。
なんでだろう。
確かに、今日の事もそうだし、今までなんどかああいう事はあったけれど……。
「意外と女難の相なのかもね、周士君」
「お前のその手の発言は大当たりしそうで怖いんだよ…」
しかも、相手は全員実体無しだし。
あっても全然嬉くねぇ相だな。
「きっと、近いうち、現実にも女難がくると思うけどなぁ……」
ぼんやりと、仗は言った。
「なんだよそれ、預言か?」
僕は冗談めかして相槌をうつ。
「んーん……勘、だよ」
ふあぁ、と欠伸をしながら仗は言った。
「安心してよ、僕の勘はだいたい外れるから」
「それは自慢できることではないがな」
まぁ男の勘は当たらない、って言うしな。
別に心配はしちゃいない。
当たっても当たらなくても、結局起こる出来事は―――変えられないのだから。
帰り道。
学校で行う全ての業務を終えて、僕は帰路についていた。
時間は午後4時。
今日も図書館に行くつもりだった。
この『図書館通い』は、日課という程では無いにしろ僕の生活に馴染んでいる。
帰宅部だけれど、気分的には読書愛好会だ。
読むのは『伝承・歴史』だけだけど。
「んー」
ゆっくり傾く日光を眺めながら、図書館に向けてぶらぶらと歩く。
歩きながら、昨日の女子校生の事を思い出した。
真っ黒。
真っ黒女子校生。
大きな眼が忘れられない。
「今日もいんのかね……?何であんなのが図書館に居るんだか」
あんな、場違いな。
あれほどに、場が違うものが。
まぁ、考えてもしょうがないけどな…。
僕には関係の無い話だ。
だいたいあの高校の制服も見たこと無いし……。
まさか中学生って事はないだろうが。
そんな事をうらうらと考えながら、道を曲がる。
人通りの少ない……というより、人が通らない道。
住宅街の隙間のような場所。
人が居るはずなのにいない、この妙な空気が好きで、僕はここをよく通っていた。
いた、のだけれど。
「―――!」
背後から突然衝撃を感じ、僕は思わず足をとめた。
僕の両脇から、腕が生えている。
セーラー服だろうか、何かの制服に包まれた腕。
これは……、
後ろから、抱きしめられている、のか?
その手が次の瞬間、わきわきっと動いたかと思うと、僕の胸をそれぞれ掴むかのように伸びた。
学ランの下を通り、カッターシャツ越しに指の感触。
「―――、ちょ」
「動かないで」
密やかな声。
女の声だ。
無感動な声。
首もとに、息がかかるのを感じる。
同時に、背中に柔らかい感触が二つ。
……。
………………。
あれ?
何か、今僕幸せ?
「あの」
「喋ることも許しません。余計な事を言うと」
めぎっ……、という感触。
「がっ………!」
「呼吸器に一生、障害が残るわよ」
……。
前言撤回。
一日野周士、人生で最大のピンチ。
「わかったかしら」
「…、わ、わかった……」
「そう。ものわかりが良いのは良いことだわ」
そう言いつつも、僕の肋骨と肋骨の間に差し込まれた指の強さは変わらない。
息を吸うたびに、肺がきりきりと悲鳴を上げる。
振り払うことも、できない。
どっかで見た事ある……、これ多分軍隊かなんかの捕虜捕獲法だ。
図書館で暇つぶしに読んだ本が、まさかこんな時に役に立つとは。
………、あれ?
役に立ってない気がする。
「単刀直入に言います」
女が喋るたびに、首筋に吐息がかかる。
多分、僕の身体を支点にしているからだろう、背中の柔らかい「このへん」と「そのへん」はさっきから僕の背面神経を徹底的に刺激している。
……。
男って……。
生命的危機にあっても、そういう事考えられるんだ……。
何かショック。
「あなたの耳を―――よこしなさい」
「…………!!」
今―――こいつ、何と言った?
僕の―――耳?
僕の耳をよこせ?
「いや………違うわね。力を貸しなさい」
「………」
「私には貴方の力が必要なのよ」
………。
男としては非常に言われて嬉しい台詞だけど。
この状況じゃ無ければなぁ。
「何とか言ったらどうなの?」
めり、とまた嫌な感触。
冷静になってみたら、この感触、マジで痛い。
多分、この女その気になったら本当に僕の肺腑を貫くことができるだろう。
何なんだろう、最近の女ってこんなに怖いんだろうか。
「…いや、しゃべるなって言われたし」
かろうじてそう応えると、女は
「あぁ、そんなこと言ったかしらね」
と応えた。
……。
なんか、マジでやばいぞこの女。
「で、どうなの?力を貸すの、貸さないの?」
「ど、どうなの、って」
「まぁもっとも」
みりみりみり、と。
胸郭の膜が悲鳴をあげるのがわかる。
洒落にならないくらい、痛い。
「貴方に選択権は無いけれど…」
「………………っ!!」
「悲鳴を上げないのね。男らしいじゃない」
まずい。
とりあえず、この女にまともな会話が成立するとは思えない。
まずはこの状況を何とかしないと…。
「わ、わかった…!わかったから!!」
「わかった?何がわかったのかしら」
相変わらずの調子で女が言う。
指の力は相変わらず…どころか、着実に圧力を増している。
あ…、何か痛いの通り越して熱くなってきた。
やばいやばいやばい。
「か、貸せってんなら…、貸すから!僕の力を貸してやる、だから」
「約束よ」
そう言って、女はするり―――、と。
僕からあっけなく剥がれた。
「がは………っ」
ずぼり、と。
胸から音が聞こえた気がした。
思わず膝をがくりと落とす。
うわ、めちゃくちゃ空気が美味い。
こんな都会で森林浴の気分が味わえるなんて!!
「ってそんな場合じゃねぇ…!」
すぐさま振り返って、距離をとる。
僕の背後の、気配無き女―――。
いったい何者、と見てみれば。
「―――は?」
真っ黒なセーラー服に、真っ黒な眼。
真っ黒な髪が、真っ赤なタイに映えている。
ソックスから革靴まで真っ黒。
肩口に、白いラインが二本入っている。
「約束したわよ。貴方は私に協力する」
女は―――女子高生は無表情に言った。
真っ黒くて大きな瞳が、僕を射抜く。
仄かに暮れかかった陽の光を浴びたその姿は、
「お前―――図書館の」
蜘蛛女だった。
女子高生はしばらくそのまま固まっていたが、すぐにす、す―――とあの動き方で僕の前に立ち、言った。
「青蓮寺蓮華」
「―――は?」
間抜けにも、さっきと同じリアクションで返してしまった。
んー、非常事態とは言え、冷静さを失ってはいけないな。
今後の課題だ。
「お前じゃないわ。青蓮寺蓮華よ」
無感動に、僕を見下ろして言い放った。
「よろしく、声が聞こえる貴方」
―――あぁ、なるほど。
多分、だけれど。
今日の朝のやりとり、見てやがったな。
目的が何かは知らないが、それで僕に声をかけたのか。
畜生、仗の言うとおりじゃねぇか…。
踏み込むとろくなことが無い。
……あ、加えて女難の相ってこれ?
もしかして、これ!?
難すぎる……!!
そして大当たりじゃねぇかお前の勘!!
「貴方、じゃない」
ゆっくりと立ち上がる。
驚いたことに、胸の痛みは消えている。
相当綺麗に技をかけられていたらしい……末恐ろしい女子高生だ。
「……じゃあ、何かしら」
僕はしっかりと相手の眼を見て、言った。
「一日野周士だ」
「そう。よろしく、一日野君」
普通の相手だったら、すぐさま逃げ出していたけど。
図書館のあの姿が、眼に焼きついて離れない。
少なからず―――、一日野周士は、青蓮寺蓮華に興味があった。
だから。
「よろしく、青蓮寺」
僕らはこうして、知り合った。