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『ファーストコンタクト』

青蓮寺蓮華ショウレンジレンゲの第一印象は、今でも僕の頭に焼き付いている。

あの女の事は、多分一生忘れる事ができない。


僕はこの体質柄、色々な『モノ』をひきつけやすい。

だから自然と、『その手』の知識を身に付けるようになった。

その日も、だから僕は市の図書館で調べものをしていた。

昼が終わり、夜が目覚める。

太陽と月が同じ空に存在する時間。

ねじれた時間。逢魔ヶ時。

斜めに鋭く差し込む陽光に、あぁもうそんな時間なのか、と顔をあげた。

その先に、彼女はいた。

本棚の前で、所在無げに立ち尽くしている。

それは本当に『立ち尽くして』いて、彼女はそれ以外のことは本当にできないかのように、ひたすらに立ち尽くしていた。

赤よりも紅い橙色が、その横顔を照らしていた。

遠目にもわかる、その大きな瞳が印象的だった。

真っ黒な髪と真っ黒なセーラー服。

真っ赤なタイは、橙にまぎれてわからない。

そんな彼女が、立ち尽くしていた。

まるで幽霊のようだ、と思った。

それほどまでにその姿は儚げで、でも確かにそこにいる、という存在感があった。

不思議な人だ、と感じた。

どれだけ眺めていただろう。

僕も時間という概念を忘却していたから、正確にはわからないけど。

意外と短かったと思う。

それまで固まっていたのが嘘のように、彼女は歩き出した。

す、す―――と。

音のないその動きは、どこか着ていないのに着物を連想させた。

それも、十二単みたいに床に引きずるくらいの。

帰るのかな、と思ったらそうではなく、本棚の端まで移動すると、そこから本の背表紙に指を這わせ、一冊一冊、確かめるように、舐めるように、彼女は動き出した。

まるで指に眼があるかのように。

見えない糸を引くみたいに。

蜘蛛を連想させるその指の動きに、一瞬だけどきりとする。

あくまで無表情なその姿が、逆に美しさを引き立てていた。

眼を―――離す事ができない。

眼を―――外す事ができない。

まるで巣にかかった獲物の様に、僕は彼女に囚われていた。

す、と指の動きが止まる。

辺りをゆっくり見回して、ふと、僕を視界に入れる。

本来なら、すぐに眼を逸らすのだけれど、僕の身体は言う事を聞いてくれなかった。

僕を視界に入れた彼女は、でも僕を見てはいない。

ぼんやりと、ただ眺めただけだった。

そして再び、する、す―――、と彼女は蜘蛛に戻る。

僕は変わらず、それを眺め続けていた。

そうして、しばらく―――。

蜘蛛は満足したのか、また音のない静かな動きで本棚を後にした。

彼女が居なくなった後、好奇心から本棚を調べてみた。

彼女が見ていた本棚のジャンルは、僕と同じ、『民間伝承』だった。



「……ん、」

ふと、泣き声が聞こえた気がして、僕はその足を止めた。

その足、というのは通学路のアスファルトを踏む僕の足。

別段遅刻するような時間帯では無く、だから余裕をもって辺りを見回した。

服、食品、調度品―――ここは僕の町の商店街だった。

まだ朝、それも通学の時間帯。

商店はこれからが準備、目覚めの時だ。

だから開いている店は無かった。

僕と同じ学生がちらほら。

駅へ向かう社会人がちらほら。

そんな場所。

「気のせい、かな」

ぼんやりと呟いて、でも動かない。

ゆっくりと左眼だけを、閉じる。

そして、集中する。

左耳に、集中する。

「ぅううぅぅう……えっ……」

今度ははっきりと聞こえた。

気のせいでは、なかった。

6・7歳くらいだろうか。

少女の泣き声。

集中する。

左耳に集中する。

音から視覚を、音を立体に起こす。

少女の場所は、僕から斜め左、15mほど先。

ゆっくりと歩いて、近づく。

少女の目の前に立ち、声をかける。

「僕の声が、聞こえるかな」

「ぃぐ……ひっく…、お、お兄ちゃん、だれ?」

声が返ってくる。

か細い声。

「僕?僕は一日野周士イチガヤシュウジって言うんだ。近所に住んでるただの高校生だよ」

ゆっくりと、噛み含めるように言う。

膝に手をつき、眼線を下げる。

「どうして、泣いているの?」

「……っ、ま、ママに、ママと、は、はぐれちゃった、の……」

しゃくりあげながら、たどたどしく、言う。

その言葉が持つ意味に、僕は密かに眉をひそめた。

無論、少女には悟らせない。

「はぐれちゃったのか…」

「……、だ、誰に言っても誰も返事してくれなくて、こ、声を聞いてくれなくて、寂しくて、怖くて、こ、怖い、こわいよぅ……、怖い、」

あー。

ままぁー。

そこまで言って、また彼女は泣き始めてしまった。

僕は彼女が気付かないようにさりげなく、アスファルトの上に足で印を擦り付けた。

靴に残った砂でぼんやりと、刻んだ模様と文字が浮かぶ。

「泣いちゃ駄目だよ、君。泣くことはないんだよ」

できるだけ優しく、柔らかく少女に言う。

暖かく、声をかける。

「名前を、教えてくれるかな」

「っく、ぃ…、煌木キラメキきらら…、だ、よ」

「きららちゃん、か」

キキララちゃん…みたいな。

眩しい名前だ。

両親も、きっとそう思ったのだろう。

輝きを失わない子供。

そう願いをかけて名付けたんだろう。

「良い名前だね」

「…っ、っく」

泣きはピークを過ぎたようで、声音はだいぶ落ち着いてきた。

「きららちゃんは何年生?」

「…っ、しょうがく、3年生…」

へぇ。

思ったより大きいな。

「お友達は何人?」

「…え、と、たくさん…」

「たくさんいるのか、羨ましいなぁ」

ちなみに僕は2人。

―――、少ねぇ…。

「好きな食べ物は何?」

「ま、ママの作ったハンバーグ…」

「へぇ、お料理上手なんだ?」

「う、ん…」

声が多少明るくなる。

ちなみに、僕の得意料理は松前漬け。

美味いんだよね、あれ。

「外で遊ぶのは好き?」

「す、好き」

「何して遊ぶのが好き?」

「か、影ふみ鬼…」

ほう。

影ふみ鬼か。

懐かしいなぁ、影ふみ鬼。

ちなみに僕はどっちかっていうと色鬼の方が好き。

あと凍り鬼。

「楽しいよね、あれ」

「う、ん…、楽しいよ。お、お兄ちゃんもこ、今度やる?」

「良いなぁ、それ。やろうかな」

最後に鬼ごっこしたのいつだろう。

なんだか物凄く昔の事みたいな気がする。

「好きなTVとかはある?」

「え…と、ピタゴラスイッチ、とか…」

「あー…確かに。あれは面白いね」

僕もあれは好きだ。

今でも視ている。

一回、あの終わりとかに出てくるからくり仕掛けを真似してみようとして、大失敗して部屋の窓を割った事があるのだけどそれはまた別の話。

「じゃあ、一番楽しいときはどんな時?」

「…、…ま」

「うん」

きららちゃんが、何かを堪えるのがわかる。

ぴん、と張り詰めていて、今にも切れてしまいそうな、こちらなのかあちらなのか、曖昧で微妙で危うい感覚。

「ママと、一緒に居るとき」

足元の印が、変質するのを感じる。

―――この子は、まだ大丈夫だ。

「きららちゃん」

「な、なぁに、お兄ちゃん」

素直な声。

君はまだ、大丈夫だよ。

「ママに、あいたい?」

「…あいたいよ…!」

涙を堪える様な、痛みを堪えるような、そんな声。

切ない声音。辛い音。

もう少しの、我慢。

「ついておいで」

付いておいで。

憑いて、おいで。

「ママに、逢わせてあげる」

廻り逢わせて、あげる。

「…、!本当!?」

子供らしい弾んだ声で、少女は言った。

だから僕は、笑顔を向ける。

最大級の笑顔。

多分、うぶな女子校生がこれを見たらそれだけで恋に落ちてしまいそうなくらい素敵な笑顔。

「本当。だから、一緒に行こう。ママはそんなに遠くにいないよ、すぐに逢える」

「…っ!うん!」

きららちゃんは、そう明るく言い放つ。そして「あ、あ、でも…」

「どうしたの?」

「…、マ、ママ、が……」

僕は何も言わない。

彼女の言葉を、待つ。

「知らない人に、ついて行っちゃ駄目だ、って…」

……うん。

それは正しい。

最近は物騒だし、そういう教育を受けていないほうが稀だろう。

「そうだね。僕もそう思うよ」

「…、ど、どうしよう……。ね、ねぇ、周士おにいちゃん、私、どうすれば良い…?」

かわいそうなくらい、声が震えている。

不安なのだろう、きっと。

心の底から。

「簡単だよ…。きららちゃんが自分であいに行けば良いの」

「え、で、でも…」

「大丈夫」

きららちゃんの言葉を遮って、僕は続けた。

笑みは、絶やさない。

足元の印が、存在感を増していく。

光っているように見えるのは、多分気のせい。

でも。

場が―――、できあがる。

「思い出して―――きららちゃん。ママは、どこにいたっけ?ママの声は、どこから聞こえてくる?」

「まま、の…」

「そう、ママの声。いつもきららちゃんを呼ぶ声。『ごはんだよ』って言ってくれる声。

『大好きよ』って言ってくれる声。『お帰りなさい』『いってらっしゃい』って言ってくれる声。叱られる時の怖い声、一緒に本を呼んで笑う声、『おやすみ』、『おはよう』、

『ありがとう』、色んな声、【ママの声】。……さぁ、きららちゃん。そろそろ、ママの所にかえる時間だよ」

帰る時間。

還る、時間。

「ママの、ところ…」

「そうだよ、ママの所。あったかい、場所」

「ママの…こえ…」

気配が変わる。

足元の印は、最早砂でできた朧気な模様ではなく、確固たる『結印』となって存在している。

きららちゃんの気配も変わる。

なんとなく、上を向いたような気がした。

だからつられて、僕も上を見た。

良い空だった。

綺麗に青くて、白い雲ははらはらと散っていた。

太陽はまだ、しっかりと見えないけど。

良い日になるだろうな、と確信した。

「…ママの声が…聞こえる…」

「うん、聞こえるね」

上を向いたまま、僕は応える。

きっと、きららちゃんもそうだろう。

「きららちゃんのこと、呼んでるよ」

「―――うん」

ふわり、と。

場の空気が軽くなるのを感じる。

鎖が解ける、音を聞いたのは気のせいかも知れない。

「かえら、なきゃ」

ママの所に。

「そうだね。ちょっと寄り道しすぎたから……早く行って、ママを安心させてあげなよ」

「うん」

密閉されていた時間が奔流の様に動き出す。

彼女の時が、動き出す。

彼女の気配が、薄くなる。

「ママが、いた……。な、なんで気付かなかったんだろ」

「何でだろうね…。でも、見つかって良かったじゃない」

もう、僕の眼の前に気配は無い。

彼女の姿を見る事ができない僕は、だからもう彼女がどの辺りに居るかよくわからない。

でも、きっと彼女の眼には見えているだろう。

優しい母親の姿が、見えているはずだ。

暖かい、場所が。

「じゃあね、きららちゃん。またいつか、あおうね」

いつか、また。

また、逢おう。

「うん…。周士おにいちゃん」

「ん?」

「ありがとう」

その言葉を最後に。

彼女の気配は完全に掻き消えた。

後には、力を失ってただの落書きと化した印と、からからと心地良く流れる風だけがあった。

…………、

なんともいえない気分。

「なれないなぁ、こればっかりは」

そしてふと、周りを見れば。

「……………………」

何か可哀想なものをみる眼で、通行人がちらちらと僕を見ながら歩いていた。

……、えっと。

確かにまぁ、これはこれでしょうがないんだけど。

ここはもうさっさと学校に行ってしまうべきだと思ったので、学ランを整え、歩き出すことにした。



その少し後ろに。

真っ黒なセーラー服に真っ黒な髪で、

大きな真っ黒い瞳に真っ赤なタイが目立つ。

そんな女子校生がいた事に、僕は全然気付いていなかった。

後々になって考えれば、どう考えてもあそこで気付いていたら、きっと僕は彼女と関わりを持たなかっただろうし、彼女は彼女でまた別の道をたどったんだろう。

その事を思い出しては、僕は1割の後悔と。

9割の自分の運の良さを感じるのだった。






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