7話
柊くんとデートの約束をしてから一週間、私はまだ何も行動ができていなかった。
かろうじて、水曜日の創立記念日に出かけることは決まったけど、まだどこに行くかすらも決まっていない。
……仕方ないじゃん、男の子と遊びに行ったことなんてないし。
いや、昔に弟と出かけたことはあるけれど。
でも、家族はノーカンだし、変に注目されてばっかりで、全然楽しめなかったのを思い出す。
「うぅ、……どうしよう。もう明後日なんだけど」
「大丈夫? なのちゃん。今日は一段と死にそうな目してるけど」
うなだれる私に声をかけたのは水瀬だった。
デートのことは、水瀬には話していた。あの時の会話を聞いてたみたいだし、そういうことに詳しいだろうという偏見もあった。
……あと、牽制の意味もある。
「適当に聞いてみたらいいんじゃない? 直接じゃなくてもラインとかでさ」
「……連絡先、知らない」
「それも含めて聞けばいいじゃん。柊くん、そこら辺のガード緩いでしょ」
無責任に言う水瀬に少し苛立ちながらも、私はお弁当を机に置いて、箸を持つ。
「というか、なんでアンタとご飯食べないといけないの」
「いいじゃん。一人で食べるより楽しいでしょ?」
「楽しくないし」
人と一緒に食べるのは苦手だ。食事中、何を話したらいいのか分からないし、かといって黙っていたらそれはそれで気まずいし。
……柊くんとなら一緒に食べたいって思うけど。
でも、その彼はここにはいない。
ここ数日の柊くんは、午前の授業が終わるとすぐに、カバンを背負って教室の外に出ていってしまう。
何回か、「どこに行くの?」って聞いてみたけど、その度にのらりくらりと躱されて、答えは得られていない。
……だから、最近は柊くんと話せる時間が少ない。休み時間は水瀬を中心としたグループに囲まれているし、放課後も軽く喋ったら帰ってしまう。
「どこ行ってるんだろうね、柊くん。お弁当は持ってたから学食とかでもなさそうだし」
私の考えを見透かしたように、水瀬が言った。
ニマニマと笑う彼女を無視して、箸を口に運ぶ。
お母さんが作ってくれたお弁当は相変わらず味付けが薄い。それに水瀬の甘い香水の匂いが加わると、味なんてほとんどないようなものだ。
そんなことを考えていると、水瀬が口を開く。
「一回ついていってみる?」
……そんなストーカーみたいなこと。
そう言おうとしたとき、脳裏に刻んだ住所を思い出して、声が止まった。
いや、あれは違う、だって、そう。
友達の家の場所くらい、みんな知っているはずだ。
変な汗をかきそうになりながら必死に言い訳をしていると、水瀬が怪訝そうな顔で見てくる。
慌てて誤魔化そうと、声を張り上げて、残りの弁当をかき込もうとする。
「私、ご飯たべるから!」
「ちょ、そんな勢いで食べたら喉詰めるよ?」
ごふっ。
その言葉の通り、勢いよく白飯をかき込まれた私は思いっきり咳き込み、咽せる。
「ほら言わんこっちゃない! はい、水飲んで、水!」
立ち上がった水瀬に渡されたペットボトルをがぶ飲みし、なんとか咳き込みを抑える。
そのまま水瀬に背中をさすられながら、ぐったりと机の上に倒れていると、ふと人影が目に入る。
……ひいらぎくん?
「――あれ、二人でご飯食べてたんだ」
「えーと、どういう状況?」
その存在に気づいた瞬間、身体が飛び起きる。
まずい、こんな姿を見られるわけにはいかない。
「ええと、なのちゃんが咽せたから」
「むせてない」
「いやそこ強がっても意味ないでしょ」
「むせてないから」
「はいはい分かったから。なのちゃんはむせてませんよー」
「これでいい?」と水瀬にポンと頭に手を置かれた。
……なんだろう、すごい馬鹿にされてる気がする。
「大丈夫? 望月さん?」
でも、柊くんが近づいてきて、水瀬のことは頭から吹っ飛んでいく。
そうだ、デートの話だ。せっかく柊くんが早く帰ってきたんだから、今日しかない――
そう思ったときだった。
柊くんから、いつもと違う匂いがした。
水瀬のものとも違う、少し暖かくて、乾いた匂い。
……知らない人の匂い。
「柊くん、誰と会ってたの?」
「へっ!?」
思わずそんなことを言ってしまった。
柊くんはびっくりしながら声を上げた後、少し笑って、頭をかきながら。
「………あはは、やっぱり似てるなぁ」
そう言って、私の頭に手を置いた。
なんの話かは分からない。でも、柊くんの手の感触が直に伝わってきて、身体がどんどんと熱くなっていく。
……でも、一つの疑念が体温の上昇を抑えた。
柊くんは何かを隠している。それだけはなんとなく分かる。
――なんで、と心がざわめくのを感じた。
「あっ、そうだ、望月さん! ほら、今週。どこ行こっか?」
でも、そんなざわめきは次の一言が聞こえた瞬間に消し飛んだ。
柊くんの方から、デートのことを話してくれた。
たぶん、こういうのは女の子の方から言わないとダメなんだろうけど。でも柊くんがちゃんと考えてくれてたことに心が跳ね回るのを感じる。
ふと、私は水瀬の方に目をやる。同時に柊くんも少し気まずそうに視線を送っていた。
「じゃ、私用事思い出したからこの辺で! ……あ、そうだヒロっち、今度この三人でご飯食べようよ」
「ごめんね、気使わせちゃって。うん、今度三人で食べよっか」
気を利かせてくれたのか、水瀬は食べ終えたお弁当を片付けて席に戻る。
……三人でご飯。
少し、水瀬には感謝をしないといけない。
「望月さん、どこか行きたいとことかある?」
水瀬が去った後、柊くんがそう聞いてきた。
「私はどこでもっ! 柊くんの行きたいとこならどんなとこでも楽しめるから!」
食い気味に答える私に対して、柊くんが言う。
「……んー、僕も望月さんとならどこでもいいよ。あ、でも人が多いとこは苦手かな」
私となら、どこでもいい。なんて、私を特別かのように言った言葉に、思わず頬が緩む。
「じゃ、帰ってから色々調べとくよ。望月さんが好きそうなとこ」
「え、あ、うん! 私のこととか全然考えなくてもいいから!」
そのまま話は終わってしまい、私たちの間に静寂が現れる。
……このままじゃダメだ。
後悔してばっかじゃなくて、行動に移さないといけない。そう考えた私は、勇気を出して声を振り絞る。
「あの、さ。そのデートの日とかさ、急に来れないとかなったら大変じゃない?」
「だから、その。連絡用とかに使うために……ライン、教えて欲しいな、って」
柊くんは少し驚いているようだった、けどその顔はすぐに変わる。
柊くんがニヤリと、獲物でも見かけたかのように笑った。
――悪い子。そう、水瀬は言っていた。
「えー、どうしよっか。僕、女の子に連絡先教えたこととかないしなー?」
「い、いや、そういうやつじゃないから! 絶対変なことしないから!」
「変なことって?」
柊くんの声が少し高く、軽いものに変わっていく。
……まずい、喋れば喋るほど墓穴を掘りそうだ。
どうしようかと迷いながら沈黙していると、頬杖を付いて、その様子を見守っていた柊くんが言う。
「じゃ、一つお願い聞いてもらってもいいかな」
「……え?」
お願い、というものが何か聞こうとした時、不意に柊くんの手が動く。
柊くんが窓際のカーテンをふわっと揺らした。
ほんの一瞬、靡いたカーテンによって教室の全てから私たち二人が隔絶される。
そして柊くんの顔が少しずつ、近づいてくる。
お互いのおでこがひっつくほどの距離、私は思わず目を閉じてしまい――
パシャリと音がした。
……いつの間にか、そこにはいつもの教室があり、目の前にいたのはスマホに手をやる柊くんだけだった。
「はい、QRコード」
「え、あぁ、うん……?」
え、何があったの、今?
困惑しながらスマホを開いて、私は彼の差し出したコードを読み込む。
そして、柊真尋、と表示された瞬間、通知が飛ぶ。
「それじゃ、これと交換ということで」
送られてきたのは一枚の写真だった。
そこにあったのは、真っ赤な顔で目を瞑りながら何かを待っている私の写真。
「よく撮れてるでしょ?」
そう言って悪どく笑う彼の顔は、その日一日、私の頭に残り続けた。
「葵ってさ、遊びに行くとしたらどこがいい?」
家に帰って早々、なぜか僕の部屋で座っていた葵に対して語りかける。
「おにいちゃんと?」
「うん」
そう言うと、葵はキラキラと目を輝かせ始めた。
「おにいちゃんとなら、どこでもいいよ?」
「……すごい。返答まで似てる」
「なんで笑ってるの?」
昼休みに聞いたものと同じ答えが帰ってきて、思わず笑ってしまう。
「で、何の話?」
「……えっと、今度友達と遊びに行こうと思ってて」
「……」
黙るのはやめてよ、怖いから。
「お兄ちゃん、人が多いとこ苦手でしょ」
「まぁ、それは」
「遊びに行くような場所行ったら、凄く目立つよ。昔、お母さんと出かけたときのこと忘れたの?」
……そのときの記憶はない。おそらく、前の僕の話なんだろう。
でも、言っていることはよく分かる。この世界の男というのは思っているよりも目立ちやすい。
女の子と一緒となると、それはもっとだろう。……望月さんに迷惑をかけてしまう可能性だってある。
でも、望月さんがデートを申し込んできたときの姿を思い返すと、中止という選択肢はなかった。
……あと、僕も結構楽しみにしてるし。
「心配するかもだけど。でも素直に楽しみって気持ちもあってさ……それに、その子とも、もっと仲良くなりたいって思ってるんだ」
「だから――」
言葉を発する、その瞬間。
僕の声はドアの前から聞こえてきた別の声に遮られた。
「名案があるわ」
そこにいたのは僕の母親、柊元香。
仕事帰りなのか、スーツ姿の彼女は、自信いっぱいに僕らの話の輪に入ってくる。
「ちょっと母さん、勝手に部屋入らないでよ」
「ママ、帰ってたの?」
「まぁまぁいいじゃない。真尋くん、話は聞かせてもらったわよ」
そうか、聞かれちゃったか。
……帰ってくれないかな。この人が関わるとろくなことが起こらない気がする
生温い視線を浴びせてみるも効果はない、ため息ついた僕の頭を妹がよしよしと撫でる。
「少し待っててちょうだい」
母親はそう告げて、部屋から出ていった。
……名案、か。
なんでだろう、嫌な予感しかしない。
帰ってきた母親が持っていたのは一枚の服だった。見るからに新品らしい服は、この部屋にはまったく似つかない代物だ。
なぜなら。
――その服は明らかに女性用であった。
なのにも関わらず、妹のものとすれば大きすぎ、母親のものだとすれば趣味が幼すぎる。
「……なにそれ?」
「こういうときのために用意してたの」
だからなにを?
そんな疑問を発しようとしたとき、母親が高らかに宣言した。
「お兄ちゃんはね、お兄ちゃんだから目立つのよ」
「……だったら、お姉ちゃんになればいいじゃない!」
は?
「なるほど、さすがママ」
「いや、何言ってんの。着るわけないじゃん」
僕がそう言った瞬間、妹と母親から冷ややかな視線を受ける。
ここまで来て、着ないのはありえない。そんなことを言いたげに彼女らはこちらを見つめてくる。
「ねえ、真尋くん。一回だけでいいからさ」
「お兄ちゃんの良いとこ、葵見たいな?」
ジリジリと、こちらににじり寄って来る二人に対して、壁に後ずさりながら、僕はしみじみと思う。
……もうやだこの家族。




