6話
昼休み、授業が終わると同時に、僕は教室を出た。そしてそのまま、長い廊下を歩いて、ある場所に向かう。
廊下に出ると周囲の視線が気になる。
ただ、考えても仕方ないので、気にならないように何か別のことを思考し始める。
……学校に通い始めて一週間が経った。今のところは結構上手くやれている気がする。
授業にもついていけてるし、困ったことがあっても望月さんや水瀬さんを頼ったら大抵なんとかなる。
問題があるとすれば、やはり目立つことだろうか。
特に休み時間とかだと、他のクラスから教室を覗きに来る子がいたりして、少し居心地が悪い。
それもあって最近は昼休みが来ると、教室を抜けることばっかりだ。
「……ねぇ、あの子じゃない? ほら、最近学校に来たっていう一年生」
そんなことを考えながら、二年生の教室の前を通りかかったとき、教室のドアの前に貼り付いていた集団から声が聞こえた。
「……マジで? え、あの男の子っていう?」
「そうそう! いや、ほんとはどっちなのかは知らないけどさ」
彼女らの声は廊下にいる僕に聞こえるほど大きい。格好は少し派手で、絡まれると厄介そうだ。
「それさ。私の後輩が先生に聞いたんだけど、はぐらかされて答えてくれなかったんだって」
「……確定じゃん! やば、写真とか撮っていいかな?」
「ちょ、ダメだって。こら、スマホ出さないっ!」
会話の中身が気になって、振り返ってみると彼女たちと目が合う。
バツが悪そうにフラフラしている彼女らに対して、僕は軽く笑みを浮かべながら手を振る。
そうすると、キャーキャーと騒ぎながら彼女らは教室の中に帰っていく。……最近見つけた対処法の一つだ。
それにしても、二年生にまで噂になっているのか。廊下でコソコソと話される機会が多くなったのはそのせいみたいだ。
しかし、彼女らの話によると僕の性別はまだ微妙にしか伝わってないようだ。
……かなり不服だが、僕の容姿は女の子としてもいけるらしい。そのおかげでまだ目立たないで済んでいる感もある。
ただ、ある程度話していると分かるのだろうか。一部のクラスメイトからは柊くんと呼ばれることも増えてきた。
……下手に男だと明かすと大変なことになりそうだな。
しばらく歩いていると、目的の場所につく。屋上前の階段だ。
アニメや漫画みたいに屋上が開放されてるなんてことはないけど、でもひと気のないこの場所は前世からのお気に入りだ。
ときどき、一人になりたいって思ったときはここでお弁当を食べていた。
……でも、この世界では違う。
僕は一人になるためにここに来たのではなかった。
階段に座って、足をぷらぷらと動かしながら待つ。
屋上扉から漏れ出る、わずかな光しかないこの場所は薄暗くて、少し湿っぽい。
すると、階段を上る音が聞こえてくる。それを聞いた僕は階段に後ろ手を突きながら、彼女の到来を待つ。
ひょこっと、階段の踊り場に顔を見せたのはさらさらと空気を舞う長い黒髪だった。
その持ち主は華奢な体型に、澄んだ瞳、そして僕と同じスラックスとブレザーを着た少女。
「こんにちは、センパイ」
「うん……おはよう、真尋」
そう言ってセンパイこと、黒瀬楓は僕の隣に座った。
彼女とは数日前に初めて会った。
その日、僕の席でわいわい騒ぐクラスメイトの対応に疲れた僕は、ふと前世で好きだったこの場所のことを思い出したのだ。
思い立ったが吉日、教室を抜け出した僕はこの場所にやってきた。
しかし、そこには先客がいた。
それが彼女、黒瀬さんだ。彼女は僕がここに来る一年ほど前から、この場所見つけていたらしい。
……なので、センパイと呼ぶことにした。
実際二年生らしいから先輩だしね。
好きだったここを捨てることは嫌だったし、こういう場所を好むもの同士仲良くなれそうだったからだ。
その日以降昼休みは彼女の隣に居ることが日課になった。
センパイとは気が合うことが多い。
趣味とか、服装とか、こんな薄汚れたところを選ぶセンスとか、僕とセンパイは結構似ているのだ。
そんな数日間の思いにふけっていると、ふと隣のセンパイの違和感に気づく。
「今日はお弁当なんですね。いつものパンじゃないんですか?」
センパイの昼食は基本的に購買パンだ。いつも同じサンドイッチを食べていたから憶えている。
「朝、起きたから。作った」
「……料理できたんですね?」
思わず口に出すと、センパイに頬を軽く摘まれてそのままむにっと引っ張られる。
「ごべんなさい」
そう言うと、頬から手が離れる。
……こういうこと、妹以外にされるのは新鮮だ。
センパイの方を向き直すと、センパイが自分のお弁当のおかずを箸で一つ摘んでいた。
卵焼きだ。
「あーん」
そのまま、センパイの箸が僕の口元まで来た。
まだ口をつけているわけではないけど、センパイの箸だということを意識してしまう。
が、勇気を出して卵焼きを口に入れる。
ふにゃり、とした柔らかな感触と共に、焼いた出汁が口いっぱいに広がった。
母親が作ってくれた僕のお弁当のものより、甘味が薄くて、その味は前世で好きだった父親の卵焼きに少し似ていて
「――おいしい」
素直にそう思った。
いや、ほんとに美味しい。これ。
そんな僕の姿を見て、センパイは少し誇らしげに笑っている。その顔見ていると心の中がざわめくのを感じた。
……やられっぱなしじゃ損だ。
そう思った僕は、こちらからも少し仕掛けることにする。
「――ね、センパイ。今度は僕のをあげます」
そう言って僕が摘んだのはさくらんぼだ。センパイとは違って、箸を使わず指先でひょいっとヘタを摘む。
ゆらゆらと揺れる果実をセンパイに見せつけながら一言告げる。
「ほら、食べていいで――」
はむっ。
「……早いです」
言い終わる前にさくらんぼはセンパイの口に飲み込まれていた。
「おいしい」
もぐもぐとさくらんぼを食べる彼女の姿を見て悟る。
……どうやら、これも失敗みたいだ。
ここ数日、僕はセンパイのポーカーフェイスをどうにか崩そうと試みている。
センパイは笑ったり、怒ったりはするけど。恥ずかしがったり、困ったりしているのは見たことがない。
……むしろ、僕の方が困らされることが多い気がする。
センパイは距離感が近い。
それだけなら水瀬さんとかも同じだけど、でも決定的に違うとこがあるとすれば。
センパイの距離は物理的に近いところだ
「……真尋、こっち向いて」
彼女の手が頬に触れて、顎をクイっと持ち上げられる。
顔が近い。センパイとじっと目が合って、身体が熱くなるのを感じる。
……平常を保て、いつまでもやられっぱなしではいけない。
「なんですか、センパイ?」
敢えて、こちらから顔を近づける。お互いの額がくっついて、センパイの冷たい体温が伝わってくる。
「可愛い」
不意に、センパイがそんなことを言う。
「……からかわないでください」
「ほんとのことだから。真尋は、可愛い」
羞恥心でちょっとずつ身体が熱くなるのを感じる。
センパイの言うことは真に迫っているから厄介だ。冗談っぽくないというか、本音っぽいというか。
……ほんとに可愛いと思われているなら、不服だ。
僕は紛れもない男だし、可愛いなんて言われると、まるで子供扱いされてるみたいで。
そういうのは、少し嫌だ。
「……センパイも可愛いですよ」
……センパイの影響だろうか、僕の口からも本音が一つ、漏れた。
こんなことを言ったら余計にからかわれる、そう思ってセンパイの顔を見たときだった。
……センパイの顔が少し、赤かった。
「どうしました、センパイ?」
センパイの顔が少し離れる。それと同時、一瞬だけ目が合う。
「……もしかして、可愛いって言われて照れてます?」
センパイはなにも言わない。でも、さっきまでと違って少し俯いていて、顔がよく見えない。
それを見た僕は覚悟を決めて、声を上げる。
「――ねぇ、センパイ。
僕は、センパイのちょっと食い意地張ってるとことか。
怒ったときはまんまるに頬を膨らませるとことか。
好きな話のときはちょっとだけ饒舌になるとことか」
これは本音だ。僕がセンパイと過ごしてきて、率直に思ったことだ。
「そういうの全部。可愛いって、思ってますよ?」
センパイには冗談とか軽口とかそういうのは効かない。でも、もしかすると、そういうのじゃない本音だとすれば――
センパイはいつのまにか僕に背を向けていた。でも、足が少し震えていて、耳元は赤く染まっていた。
「……用事、思い出した」
絞り出すような彼女の声は普段の凛とした声とはまるで別人みたいに甘い声だった。
「帰るっ!」
「え、ちょ。危ないですってセンパイ!?」
そのまま転げ落ちるように、センパイは階段を降りていった。
一応下まで確認したが、センパイの姿はない。転んだりしてないか心配だ。
センパイに一泡吹かすことには成功した。……が、それには代償があった。
センパイに言ったことを思い出して、身体が熱くなる。
ああやって本音を話すのは諸刃の刃であり、……振るった僕の方にもダメージが来ているようだ。
羞恥心に耐えながらしばらく座っていると、ふとあることに気づく。
……お弁当、忘れてる。
少し迷いながら、僕は食べ終えた自分の弁当箱から箸を取り出す。
そして、センパイの食べかけのお弁当から卵焼きを一つ取って、口に運ぶ。
後で届けに行くためのお駄賃、そんな言い訳を考えながら柔らかい感触を食む。
やっぱり、おいしいな。
その後、二年生の教室に寄るとセンパイの知り合いらしき人が居たので、弁当を預けた。
「……なにやったのキミ」
「黒瀬さん結構ファンも多いんだけどさ、帰ってきたときみんな大騒ぎだったよ。顔中真っ赤だもん」
色々と聞き出そうとしている彼女の前で考える。
あの場所はセンパイとの場所だ。
だから、あそこであったことを誰かに話すのは違うだろう。
そう考えた僕は目の前の彼女に向けて、一言だけ。
「秘密です」
そう囁いてから、教室まで走り去った。




