2話
私、弟がいるんです」
そう語り出した彼女の声はさっきまでの単調さはない、どうやら話し相手として認めてくれたようだ。
「そうなんだ」
「驚かないんですね」
「いやまあ、こっちもちょっと前までは生意気な奴が居たもんで」
「……変な冗談はやめてください」
僕の発言を冗談と受け取ったらしく、彼女は話を続ける。……本当なんだけどな。
「弟がいるってこと、学校の友達に話したら羨ましいって言われます。……もしかしたら、それ目当てで仲良くしてる子もいるんだろうなって感じで」
「……そっか」
彼女の言葉を否定できるほど、僕はこの世界のことを深く知らない。だから、ただ頷くことしかできなかった。
「本当は、私に興味がある子なんていないんです。みんな、弟のことばっか」
「お母さんも一緒です。昔は私のこと、ちゃんと褒めてくれたのに、テストで一番取ったら好きなケーキ屋に連れてってくれたのに」
「……弟が生まれてからはそういうのは無くなったんです。たぶん、私に対する興味とか消えちゃったんですね」
「それで今日、もうなんかどうでも良くなって、学校から帰ってすぐ、家から出て行ったんです。お母さん、びっくりしてました」
「たぶん、私、お母さんが追いかけてくるのを期待してたんです。情けないですよね。だからこんな中途半端な格好で、覚悟もないのに家出の真似事して」
「ほんと、馬鹿みたい」
そう言って彼女は自分を嘲るように笑う。次の瞬間、彼女の目から涙が零れ落ちて、慌てて持っていたハンカチを手渡す。
その後も彼女は話し続けた。雲に隠れた月明かりは、僕らを照らすことなく、闇に紛れた彼女の感傷を僕は、ただひたすらに受け止め続けた。
「……あの、ありがとうございます。話、聞いてもらって、少し、元気になれました」
「そっか。ごめんね、聞き出すような真似して」
どれくらいの間、彼女と一緒に居たのかは分からない。結局僕にできたことは彼女の隣で話を聞くことだけだった。
でも、全部を話し終えた後の彼女の顔は、会ったばかりの頃よりもずっと良く見える。
きっと、彼女なりに折り合いをつけることはできたのだろう。しっかりしている子だ。
「こういうこと、誰かに話したことないんです」
「学校とかでも?」
「私、結構優等生なんですよ? クラスだと委員長なんです。だから弱音とかそういうのは見せちゃダメなんです」
少し自慢気に話す彼女の笑みは先ほどまでとは違って親しみを感じる。たぶん、これが素の彼女なんだろう。
安心からか、ほっと息をついたとき、ふと彼女の声色が真剣なものに変わった。
「あの、お名前聞いてもいいですか?」
「ん、あぁ。そういえば言ってなかったっけ」
僕らはまだお互いの名前も知らなかった。自己紹介とかする雰囲気でもなかったしね。
……そういえば、名前とか住所とか、そういうのも言っちゃダメって言われたな。例の母親の姿が脳裏に浮かぶ。
「ま、いっか。柊真尋です。……えーと、そっちは?」
「あっ、ごめんなさい、私から言うべきでした」
「望月菜乃花って言います」
「そっか、よろしく望月さん」
そう言ってお辞儀してみると、望月さんも慌てて頭を下げた。そんな様子がなんだかおかしくて、笑ってしまう。
それに釣られたのか、望月さんもくすりと笑った。
そんなとき、望月さんのスマホがピコンと鳴った。
「……お母さん」
どうやら母親からの連絡だったらしい。望月さんはスマホを両手で抱えて、その画面を睨んでいる。
「なんて言ってるの?」
「……帰ってきなさいって」
……よかった。少なくとも、こんな時間まで起きて連絡するってことは娘のことを心配しているんだろう。
「たぶん、望月さんが帰ってくるまで待ってるんじゃないかな」
「帰らないとね」
そう言って立ち上がった僕は望月さんに右手を差し出す。その手がぎゅっと握られて、望月さんも立ち上がる。
それと同時に大きな声が聞こえた。
「あのっ!」
辺り一帯に響きそうなほど大きな声、見ると手は少し震えていて、肩は上がっていた。
「たぶん、私。またお母さんと喧嘩しちゃうかもしれません、それで……もしそうなったら」
「また会ったりできませんか――」
「柊ちゃん!」
……ちゃん?
「それで、もしよかったら、私の……」
「ちょ、ちょっとストップ! 最後のやつでそれまでが全部吹っ飛んじゃった」
何かを言いかけようとしている望月さんを思わず遮って声を上げる。
え、今なんて言ったこの子?
「どうしました? 柊ちゃん」
「いや、えっと。さすがにちゃん呼びはきついといいますか……」
「……ごめんなさい。馴れ馴れしかったですか?」
いやそういうことじゃなくて。
「男でちゃん呼びはないかな、って」
「……へ?」
「……え?」
気の抜けるような、間抜けな声。それが、望月さんのものだと気づいた僕は、同じように困惑の声を漏らした。
しばし、沈黙が流れる。時が止まったようにお互いが言葉を発するのをやめた。静寂の中、望月さんと目が合う。
「じ、冗談…… だよね?」
「いや、ほんとだけど」
……まずい、望月さんが目を回している。さっきまでの望月さんはどこに行った。
ただ、困惑しているのは望月さんだけではない、僕もだ。
……え、僕女の子と思われてたの? なんで?
いや髪は長いけど、それに外に出てないから肌も白いけど、ついでに服もちょっと中性的な気はするけど……心当たりが結構あるな。
それに加えて、この世界は男の絶対数が少ない。その先入観も含めれば勘違いするのもありえる、のか?
「大丈夫? おーい、望月さん?」
「……あ、え、うん。うんうん。そっか、そうなんだ……おとこのこ」
うん、全然平気じゃなさそうだ。
明らかな挙動不審の望月さんは目を離すと事故にでも遭いそうでほっとけない。
ほら、今も電柱に頭ぶつけてうずくまってる。
「……えーと、家まで送ってくよ。そこまで遠くはないでしょ?」
正直足の疲労を考えるとあまり遠出はできない。ただ、この状態の望月さんを放っては置けなかった。
「い、いや、それはこっちのセリフ! こんな時間に男の子が出歩くなんて……」
……あれ、よくよく考えれば、僕のやってることもやばいか。前の世界で言うところの未成年の女子高生が深夜に1人で出歩くとかそんなのだもんな。
「柊くんの家って、どこ? いや、変な意味じゃなくてね!?」
「せめて、途中まででも私が送ってくから」
んー、だとすれば。むしろ僕のほうを心配する気持ちもわかる。ここはお言葉に甘えた方がいいか。
「あー、ちょっと待ってね」
僕はポケットからスマホを取り出して、地図アプリを開く。こっちの方が口で説明するよりも早いだろう。
「はい、ここら辺」
見やすいようにスマホを望月さんの目の前に持っていく。
望月さんはしばらくそれを見つめていた。無言の時間が気まずくて、声をかける。
「どうしたの?」
「……いや、なんでも! 私の家と結構近かったから、びっくりしただけ。ほんと、それだけだから!」
「ん、そっか」
それにしては慌ててるように見えるが……まあ、色々と疲れてるんだろうなと、勝手に納得する。
「じゃ帰ろっか、望月さん」
そう言って彼女の隣に立って歩き出した。歩いてる途中も望月さんはどこか上の空という感じで、心配になりながらも、僕は彼女と一緒に帰った。
「ここまででいいよ。ありがとね、望月さん」
家の近くの大通り、ここからなら望月さんの家も遠くないだろう。
「う、うん。えと、わたしも今日はありがとね」
彼女の態度は少し緊張しているように見える。それは、僕が男だと知ってからずっとそうだ。
……少し寂しいな、せっかく打ち解けてくれたのに。
「わ、わたしも帰るよ。……うん、わかってる。ちゃんと家には帰るから安心して」
「そっか。家に帰るまでが家出だからね、転んだりしないように慎重にね」
そうは言ってみたものの、僕らはお互いにその場を動こうとしない。
そんな中、先に沈黙を破ったのは僕だった。
「そういえば。望月さんって何歳だっけ?」
「へ? えと、今年で16だけど」
「てことは同い年だよね……そっか、それならいっか」
「じゃ、僕はこれで――」
そう言おうとした時だった、突如、隣の道路から甲高い音がした。金属を引っ掻いたような嫌な音は耳の中を何度も反響して、強烈な不快感に襲われる。
その瞬間足から力が抜けて、僕の身体は道路に向かって一直線に倒れ込む。横目にトラックのフロントと目が合い、反射的に目を瞑る。
あ、やばいかも、これ。
激痛は、いつまで経ってもこなかった。
それどころか、頭には何か柔らかいものが当たって、心地よさすら感じる。
目を開けると望月さんの顔があった。
「だ、大丈夫!? どこか具合悪かったりする!? 怪我とかしてない!?」
これは……抱えられてる。
望月さんの細い腕によって僕の身体は道路に倒れることなく立っていた。
脇腹の辺りに望月さんの手が当たってくすぐったい。動こうとしても思うほか力が強いので、声を絞り出す。
「……大丈夫。ちょっとトラックの音にびっくりしただけだから」
嘘じゃない。この世界に来る原因になったあの日から車……、とくにトラックの音には敏感になっている。PTSDというやつだろうか。
そんな僕を見て、望月さんは現在顔面蒼白。彼女と目が合って、何とも言えない重い空気が流れる。
この空気を変えるため、思考を巡らす僕に一つ妙案が浮かぶ。
……少し、からかってみるか。
「というか」
「いつまで抱きしめてるんですかー? 望月さん」
軽薄に、煽るように少し笑い声も入り交ぜながら声を上げる。重い空気を吹き飛ばすための軽い冗談だ。冗談……なのだが、望月さんの反応は思ったより大きい。
「へっ、あ、いや。これは違くて!?」
さっきまでの青ざめた顔はどこへやら、頬は真っ赤に染まっている。
僕の一言一句でころころと変わっていく表情、それによって僕の心の奥にあった嗜虐心が刺激されるのを感じる。
やばい、なんかこれ……いいな。
「いやー、男の子が弱ってる隙を狙って身体を弄ぐるとは。まったく許せないなー?」
「してないよそんなこと!?」
大袈裟に言ってみると、望月さんの手が離れた。自由を取り戻した僕は、顔を押さえて悶えている望月さんの前で考える。
そういえば、前世でもからかってくる女の子というのはかなり需要があった。
漫画や小説などのフィクションに限らず、現実でもそういう子は人との距離を縮めるのが上手かった気がする。
……この世界は男というだけで、緊張され、特別視される。だったらこういう態度は親しみやすくていいかもしれない。
それに、ちょっと楽しいし。
「ふふっ、冗談! じゃ、望月さん。今日は帰ろっか」
もう少しからかってみたかったが、今日はさすがに疲れた。夜も遅いし、一度帰った方が良さそうだ。
でも、最後に一つだけ言っておこう。
歩道に座り込んでいる望月さんの近くまで歩く。そして、朱色に染まった耳元に小さく囁く。
「また学校で、ね?」
「……へ、どういう――」
気の抜けた声を上げた彼女に対して、軽く笑みを返す。そしてそのまま背中を向けて歩き始める。
……僕は気づいていた。彼女の制服が僕の通っている学校のものであることを。同い年って言ってたし、もしかするとクラスメイトかもしれない。
ふと上を見上げると、先ほどまで隠れていた月が夜空を照らしていた。月明かりに導かれながら僕は家に向かって足を動かす。
「……楽しみだな」
来週、学校で会ったとき、彼女はどんな顔をするのだろうか。
月曜日が待ちきれない。




