Episode5 メシとオヤジが面倒
クロウリー家の大広間も、やはりと言うべきかワシの寝室と同等かそれ以上に贅の限りが尽くされていた。天井から吊り下げられた数メートルはあろうかという巨大なシャンデリアの下、必要以上の長さの大理石のテーブルがどんと構えて存在感を放っている。
卓上には黄金の燭台が並び、顔が映り込むほど磨き上げられた銀食器が整然と並んでいる。使用人が次々と運ばれてくる皿には、昼食というには豪華なメニューが盛り付けられていた。
サフランがほのかに香る鹿肉のロースト、焼き上げたばかりの白い小麦パン、採りたての新鮮なプラムとオレンジ――手を伸ばせば届く距離にあるというのに、セバスチャンは堅苦しいテーブルマナーをワシに押し付けてきやがる。おかげでろくに食事が進まない。
「お嬢様、さきほども言いましたがナイフとフォークは外側からですぞ」
「わ、わかってる。ちょっと間違えただけだ」
「あと、必要以上に物音を立てないように。ガチャガチャと食器の音を立てては恥ずかしいですぞ」
「はいはいそうでしたね。気をつけますよ」
「お嬢様、そちらは指先を洗うフィンガーボウルです。飲水ではございませぬぞ」
「あのさ、ちょっと黙ってろや。さっきから全然食べらんねえんだけど」
セバスチャンが片眼鏡の奥で目を光らせているおかげで、何度も何度もしつこく注意をされて耳に蛸が出来ていた。ストレスは溜まり続けるばかりで、ナイフとフォークを両目に突き立ててやろうかと本気で考えたくらいだ。
一週間何も食べていなかったワシの胃袋は、早く飯を寄越せとV8エンジン並の爆音をたてて鳴いている。生前はテーブルマナーなんて囓ったこともないワシに、お嬢様なんだからと完璧な所作を求められても出来ないもの出来ない。箸の使い方でさえ、死ぬまで(殺されるまで)直らなかった人間なんだぞ。
向かいに――数メートルも離れているが――座るルーベンスは、見本のようにナイフで肉を切り分けると優雅に口元へ運んで咀嚼していた。切れ長の目はレディアナに良く似た鋭い眼光で、男のくせにやたら長く伸ばした金髪を後ろで束ねている。
馬鹿な女が引っかかりそうなジゴロの雰囲気漂うが、セバスチャンの説明だと妻を亡くして以来、舞い込んできた縁談の話は全て断っているらしい。ホストでも女衒でも、なんなら色恋詐欺でも十分通用しそうな顔立ちのくせして、意外と身持ちが固い。
では良識あるオヤジなのかと思いきや、すぐに馬脚を現す。出先から帰ってくるなり、一直線にワシの元に飛んでくると許可なく熱い抱擁をかまされた。
「おお、私の可愛いコマドリよ。よくぞ無事に再び目覚めてくれたね。そうだ! 快気祝いにパパがなんでも買ってあげよう。なにが欲しいか言ってごらん。法に反しない限りはなんでも買ってあげる」
「ぐわああああ! 気持ち悪い! 死ね! さっさと離れろボケがああああ!」
「グフッ、ガハッ、ゴホッ」
突然抱きつかれたワシは、あまりのおぞましさに秒で全身に鳥肌がたった。穴という穴から体液を垂れ流しにして、醜悪極まりない顔を晒しているルーベンスの薄気味悪さときたら、無意識のうち右脇腹にある肝臓にボディーブローを放つほどだった。
うめき声が漏れた直後、前屈みに倒れて低くなった顎めがけて膝蹴りをかますと、がら空きの鳩尾めがけて回し蹴りのコンボ技を食らわしてやった。もはや家庭内暴力で済む話じゃない。
一方的な制裁に白目を剥いて意識を失っていたルーベンスだが、ものの数分で復活するのを見てセバスチャンもそうだが、異様に打たれ強くてドン引きしてしまう。よくもまあ〝のされた〟直後に涼しい顔して食べれるものだと、妙な感心をしながら切り取った肉を口に運んだ。
セバスチャンも話していたが、どうやらルーベンスは病的な親バカらしい。娘に対して過度な愛情を注いでいるのが見え見えで、以前からレディアナが求めるものは、それこそ法に反しない限りはなんでも買い与えるという甘やかしっぷりだった。
もしも、ワシの中身は厳つい中年男性であることをカミングアウトした日には、卒倒程度では済まないだろう。泡吹いて心停止とか十分ありうる。
「ところでレディアナ。随分とその、元気になったというかお転婆になったというか、所作も随分と男性っぽくなったのだな……。もう怪我は大丈夫なのかい?」
娘から近距離でコンボ技を食らったのが、精神的に相当堪えているのか言葉を選びながら慎重に口を開いた。
「ああ、なにも問題はないから心配するな」
「お嬢様。ルーベンス様の前でございます」
「ハア……何も問題はありませんことよ」
「本当か? セバスチャン」
上品さのかけらもないワシを見て、ルーベンスの視線が助けを求めているようにセバスチャンに向けられた。
「多少、荒っぽいところは見受けられますが、まだ病み上がりですし時間が解決してくれることでしょう」
「むう……セバスチャンがそういうなら大丈夫なのか? 元気が有り余って手に負えない愛娘というのも、それはそれで貴重だしな、考えようによってはアリ寄りのアリか」
アリ寄りのアリかじゃねえよ。ナシ寄りのナシだろ、クソキモオヤジが――口から出かけた台詞を辛うじて唾とともに飲み込む。無理して作り笑いをしてるせいで、頬の筋肉がEMSを装着してるみたいにピクピクと痙攣を起こしていた。手元に首切り丸があったら綺麗に三枚におろしてんぞコノヤロー。
ワシに殺意の刃を向けられてるとも知らず、機嫌を良くしたルーベンスはセバスチャンに「アレを頼む」と合図を送った。なんのことかと訝しんでいると、扉の向こうからちんちくりんな侍女がワインボトルを乗せたワゴンを押してやってきた。
これでもかというほど顔が強張らせていた侍女は、小学生低学年程度にしかみえない背丈で、肩まで伸びた赤毛に強目のカールがかかっていた。歩く度にふわふわと跳ねてペンギンのようにモタモタした歩き方がみていて心許ないい。今にもコケやしないか、見てるだけでヒヤヒヤさせられる。
「せっかく元気になったのだ。快気祝いは別として、昼から前祝いに一杯やろうじゃないか。ちなみにこのワインは、貴族ですらなかなか手に入らない希少な逸品なんだぞ」
「それは、ワシも飲んでかまわんのか?」
「なにを言っておる。いつもパパの酒の相手を喜んでしてくれてるじゃないか」
「あ、そうだったな。ガハハ」
まさか未成年でも公然と飲酒が可能とは、なんと素晴らしい世界なんだ。生まれ変わった直後に殺されたショックなど忘れて、ヨダレがだらだらと出まくる。
三度の飯より酒が好きなワシは、生前の趣味と言えば日本刀蒐集か酒の二つだった。見知らぬ世界のワインとは、いったいどんな味なのか――想像するだけでワクワクが止まらない。
「し、失礼します……」
期待で胸を膨らまれている隣で、チビガキが震える手でグラスの中にワインを注ぎ入れる。あまりに不器用すぎて、キレの悪い尿のようにジョボジョボ音を立ててテーブルにまで跳ねていた。液面が泡立つ様もなんだか蛋白尿を彷彿とさせてテンションがダダ下がりなんだが……。
大仕事を終えたとでもいうように、胸を撫で下ろしたチビガキは大袈裟に頭を下げると、ドヤ顔で下がっていった。まともに仕事一つこなせていないんだが。妙な奴だと見送ったあと、乾杯してグラスを傾けると、見た目はともかく前世で飲んだ高級ワインに引けを取らない味に感動を覚えた。
複雑な香りが鼻を通り抜ける。しかも数十年前のヴィンテージなのに若々しさを保っていることに驚かされた。ソムリエみたいな凝った表現は真似できないが、日本なら一本ウン十万は下らない代物なのかもしれない。
これは呑まずにいられない――ルーベンスの分などお構い無しに、手酌でジョボジョボ注ぎ入れると本日何度目かわからないセバスチャンの咳払いが聴こえた。今だけは無視して二杯目を飲み干す。お嬢様らしかぬゲップをすると、ルーベンスも流石に表情を曇らせていた。
悪いな、今お前の目の前にいるのは愛娘じゃなくて酒好きの五十路のオヤジなんだよ。




