Episode.1 目覚めた先は
「お嬢様! ようやくお目覚めになられましたか。もう二度と眠りから覚めないかと爺は心配で心配で、胸が張り裂ける思いでしたぞ!」
「ガタガタと耳元でやかましんだよボケェ!!」
あまりの騒々しさに、微睡んでいた意識が一気に覚醒して飛び起きた。ガキの頃から寝起きは自他ともに認める悪さで、親だろうが睡眠の邪魔する奴は誰であろうと許さなかった。
殺意を乗せて振るった拳は重くて鋭い。ワシを起こそうとしていた不届者は派手に吹っ飛ぶと、その先に置いてある豪奢な飾り棚に頭から激突した。
そいつがまた漫画みたいに頭から血を噴き出すもんだから、不覚にも少し笑ってしまった。笑かしてもらったから、この辺で勘弁しといてやろう。
「お、御嬢様!? 爺がいったい何をしたというのですか?」
「やかましいと言ってんだろ。つーか、お前誰? そもそも、ここは一体何処なんだ?」
「な、なななんと! セバスチャンの事をお忘れなのですか!?」
「セバスチャンだあ? なんだ、そのふざけた名前は」
脊髄反射で殴り飛ばしといてなんだが、決して軽傷には見えない怪我を負っているジジイに見覚えはなかった。記憶にもない。歳の頃は六十あたりに見える。
後ろに撫でつけられた白髪、年相応に刻まれた顔の皺、片目用の眼鏡、服装に至っては仰々しいロングテールコートときた。今時、ここまで古典的な格好をする奴はそう見かけないが……。
拳に付着した血を舐め取りながら周囲を見渡す。なにやら見慣れぬ光景が広がっていた。二メートルに近い巨体のワシが、存分に寝返りが打てるサイズのベッドで横になっているではないか。しかも少女趣味全開のフリフリの天蓋付きで。
その上の天井は仰々しい絵画で埋め尽くされていた。あれに似ているな――数年前に〝シノギ〟で出張ったシチリアの教会にも、同じような宗教が描かれていた気がする。本場のシチリアマフィアと一触即発になった過去が懐かしい。
部屋の中をざっと見渡して抱いた印象を一言で表すと、〝中世ヨーロッパ〟の宮殿そのものだった。置かれている家具も、調度品も、全てワシの趣味ではないとはいえ、普通に購入したら恐ろしい桁の金額が伝票に並ぶに違いない。それだけ荘厳麗華で、観るものに価値の高さを感じさせる。
寝ている間にワシの身に一体何があったのか――思い出そうすると、後頭部に鋭い痛みが走って頭を抱えた。金属バットで激しく後頭部を殴打されたような激痛に、思わず顔をしかめるといつの間にか起き上がっていたゼバスチャンとやらが、ハンカチで血を拭き取りながら恐る恐る話しかけてきた。
「お嬢様……何故にそのような汚い言葉遣いをされるのでしょうか? それではまるで、ガラの悪いチンピラにしか見えませんので、大変よろしくありません。どうか今すぐおやめください」
「ああん!? 誰がチンピラだとこの野郎。つーか、それよりその頭の怪我、早く医者に診てもらった方がいいんじゃねえのか」
心から心配して口にした訳ではないが、何故かセバスチャンとやらはワシの言葉を聞いた瞬間、栓が壊れたように目から涙を流してさめざめと泣き出した。意味が分からん。
「お嬢様が爺の心配をなさるなんて、今日ほど感激したことはありません」
「情緒イカれてんのかお前。いや、ちょっと待てよ……さっきから聞き流してたが、〝大阪の暴れ竜〟こと剛田達哉をお嬢様呼ばわりしてるのは、一体どういう了見なんだ」
「〝オオサカノアバレリュウ?〟〝ゴウダタツヤ?〟はて、なんのとこやら爺にはさっぱりでございますが」
セバスチャンはごく自然に答えた。惚けているわけでも、嘘をついているわけでもない。適当な嘘をついていれば、表情や仕草に表れるものだがジジイは至って自然体にみえる。訓練次第でどうとでもなるが、本当になにも知らない様子に背中にじんわりと嫌な汗が伝い落ちた。
――いや、待てよ……。このベッドがデカくなったわけじゃねえ。単にワシが小さくなってるだけじゃねえか!
そりゃベッドがデカく見えるはずだ。今のワシはどうみても二メートルには程遠い華奢な体だった。せいぜい一六十センチあるかないかの身長で、先程ジジイを殴り飛ばした巌の如き拳は、少女のそれと変わらない小ささに縮んでいる。
声にも違和感があった。十代の頃から酒と煙草で散々苛め抜いた喉から、どういうわけかソプラノに近い澄み切った声が響いているのだが――。喉に手を当てて声の調子を確かめるも、そこに在るべきはずの喉仏もなくなっている。
変化といえばこの胸もだ。二百キロのベンチプレスを余裕で上げていた雄々しき大胸筋は、小振りな脂肪の塊となり果てて二房下がっているではないか。
――なんだこれは? ワシは悪い夢でも見てるのか?
恐る恐る胸に触れてみると、皮膚に吸い付く柔らかな感触は本物で間違いない。何度も確かめるように揉みしだいていると、下半身に最大級の違和感を覚えてシーツをめくると――。
「う、嘘だろ、おいまさか……」
フリフリの寝間着を恥ずかしいと思う余裕もない。肌が透けて見える生地をめくると――喉の奥から変な音が漏れ出て息が止まった。
「な、な、な、なんじゃコレエエエエエ!!」
ベタではあるが松◯優作ばりの絶叫が広い寝室にこだました。何故なら……自慢のチ◯コが影も形もなくなっていたからだ。男の象徴たるチ◯コを喪失したショックで、意識を失いかけた。
「お、お嬢様? さきほどから全身を弄って何をなさっているのですか? ハッ! もしや頭を強く打った衝撃で後遺症が」
「なんだこれは、ワシは、ワシはいったい……」
一層強くなる頭痛に耐えながら、何があったのか海馬の奥底を引っ掻き回すとぼんやりとではあるが、過去に何があったのかうっすらと蘇りはじめた。