Prologue.2 ドーバーフロイライン
この世界、『ドーバーフロイライン』の内容がどんなものなのか要約すると、主人公の貴族の娘が、仮想の男相手に好感度を上げて意中の相手と結婚するまでの過程を楽しむものである。
前世ではゲームの類に触れてこなかったワシは、説明を聴いてもいまいちピンとこなかったが自分の人生と重ねると理解しやすかった。「結婚」を「金」に変換すればわかりやすい。
ライバルを蹴落としてでも出世する。そのために多額の上納金を組に積むことで貢献し、ゆくゆくは組長の椅子を目指していく。かたや結婚するために他人を蹴落とし、正妻の座を奪い取る。似たようなもんだろと口にすると、「なにもわかっちゃいない!」と怒鳴られたのが未だに解せない。
さて、ここで問題が起きた。ワシが生まれ変わったキャラクター、レディアナ・クロウリーは、主人公かと思いきやそうではなく、作中に登場してくるキャラクターの中で屈指の救いようがない悪役令嬢だった。
悪役令嬢という言葉も初耳だったワシは、なにが問題なのかもはじめはわからなかったが、どうやら別に存在する主人公に度々絡んでは、あらゆる手段を用いてハッピーエンドを阻止しようと企む邪魔者らしい。
最終的に数々の罪や不正が暴かれると、国家権力によって断罪されてひっそりと姿を消すという結末を迎える。なんだか前世の誰かさんに似た人生幕の閉じ方に、少しだけ親近感を覚えなくもなかった。
「あー痛……。まったく、その乱暴な性格は絶対に隠し通してくださいよね。せっかく改善しつつある好感度が一気に下がるので」
「わかってるわ。さすがにもうゲーム内の話とは言え、これ以上殺されるのはゴメンだからな」
「ならいいんですけど、些細なミスが命取りになる世界ですからね。私が生前の知識を活かしてサポートはできますが、それだって実際にロールプレイをするのは剛田さん本人なんですから」
「んなこと言われなくても、ワシが一番骨身に染みて理解してる」
このゲームを相当やり込んでいるリナ曰く、確かにメインストーリーは乙女ゲームで間違いないのだが、それはあくまで隠れ蓑だという。あらゆる攻略キャラを陥落して初めてプレイが出来る〝ナイトメアプリンセスモード〟こそが、コアなファンに支持されている理由のなのだと、さも自分が作ったように説明していた。
「そういや、お前はナイトメアなんちゃらを遊んだことあるんだよな」
「もちろん。これでも動画サイトで実況プレイを投稿したことありますので。人気はなかったですけど」
「それがなんなのか知らんし知りたくもないが、この先ワシは無事に生き延びられるんだろうな」
ベッドに勢い良く飛び込むと、勢いでスカートの裾が宙を舞う。誰にも見つからないようにと、裏地に忍ばせていた手製の煙草を取り出すと小さな唇に咥えた。端から見たらやさぐれたキャバ嬢にしか見えない。
この世界には残念ながら煙草は存在しないが、その代替品となる葉巻を――葉巻は好みではない――わざわざリナに分解させて紙巻煙草に作り替えさせている。考えてみれば、中世ヨーロッパ風の世界に紙巻き煙草があったら世界観がクスわれてしまいかねない。
穂先をリナに向かって突き出すと、リエプロンから取り出したマッチで火をつけさせる。紫煙を燻らせながら高い天井に向かって糸のように細く吐き出すと、この世界で起きた出来事が蘇っては消えていく――。
「大丈夫、なはずです。たぶん。メイビー……」
「尻すぼみしてんじゃねえよ。自信ないのかよ。あれだけ任せてくれとかタンカ切っといて。お前だけが頼りなんだからな」
「仕方ないじゃないですか! このゲームは恋愛ゲームの皮かぶった死にゲーみたいなものなんですから!」
リナが弱音を吐くのも無理はない。恋愛がメインのゲームのくせに、このナイトメアプリンセスモードには一切の恋愛シーンが登場しないのだから。そればかりか主人公として選択できるレディアナは、製作陣の悪趣味な設定でいとも簡単に殺されてしまう。理不尽なんてレベルじゃない。
極端な例を出すと、屋敷ですれ違った使用人とすれ違いざまに肩をぶつけたとしよう。そこでグサリ、刃物で一突きされて息絶えることすらあり得る。何言ってるかわからない? 大丈夫だ、ワシにもよくわからん。
ようは自宅の中にいながら、常にヒットマンに狙われてるのと同じような状態が続くわけである。先ほど会話を交わした庭師のペーターも、裏の設定ではレディアナの行き過ぎた暴言に苦しみ、精神的に参っていた。
そして我慢の限界を超えると、とうとうブチギレられて剪定鋏で滅多刺しにされて殺害されるパターンもある。というか実際に体験している。もはや慣れてしまってる部分があるが、最初のうちは驚きを通り越して引いていた。R指定がつかないのが理解できない。
リナはレディアナを、「何もせずにいれば、勝手にバッドエンドを迎えるし、下手に動いてもバッドエンドを迎える理不尽キャラ」と評していた。それが新しいタイプの〝死にゲー〟としての形を確立してると力説するが、演じる方はたまったものではない。
刺されれば普通に痛いし、死の感覚は前世と変わらない。実際、ワシは既に二桁回数死んでいるというか、殺されている。いくら前世が名を馳せた極道であろうが、強がったところで死の恐怖には勝てやしない。殺される度に生まれ変わり、やり直しを強要されては殺されるを繰り返す――まるで地獄の亡者のような扱いだ。
「とにかく、この先ワシは一度も死なんぞ。絶対にバッドエンドを回避してみせる。前世のようなヘマを繰り返してなるものか」
キズ一つない掌で、まだ赤く燃える煙草を握りつぶした。