十七話 地獄の扉
「白狐様!」
扉の前で槍を構えた鬼の少年がミツルギに声をかける。ミツルギはそれを一瞥し、
「悪いのだが、閻魔大王はいらっしゃるだろうか。話がしたいと連絡はしたのだが、話は通っているだろうか?」
「は、はい! 大王様からお話を伺っております! ですが、只今地獄の情勢が芳しくなく──念の為、鬼を何体か護衛としてつけさせていただきます!」
「──分かった。案内役は貴殿か? なら、案内をお願いしたい」
「勿論でございます! こちらです!」
鬼の少年が槍を縦に持ち、いくつもある扉を順番に開け、目的の場所へと突き進んでいく。少年の額から伸びる角を見て、ミツルギは暫し瞑目し──
「──考えても仕方ないな」
「──? 何か仰いましたか?」
「いや、気にしないでくれ。……ここか」
「はい! では、自分はここで待っておりますので、お帰りの際にはまたお声がけ頂きたく!」
「分かった。感謝する」
律儀に声を張り上げる少年に一礼し、ミツルギは扉を開ける。そして──
「──白狐か」
「────」
びり、と肌に闘気が刺さる。低級な妖なら一瞬で意識を失いそうなそれを一身に浴びたまま、ミツルギは深く頭を下げる。目の前にいるのは、着物を身に纏い、小槌を手にした男だ。普段人に頭など下げないミツルギだが、彼だけは違う。閻魔大王という存在がこの世界に及ぼす影響は計り知れない。その均衡を崩してはならないのだ。
「──お目通り叶い、感謝致します。閻魔大王様」
「──うむ」
「今回の要件につきましては、先日ご一報入れさせて頂きました通りです」
「──護衛の者よ」
「はい!」
「白狐は儂の古くからの友人──二人で話させてくれぬか」
「──大丈夫、なのですか?」
「こら、余計なこと言うな新入り! ──大王様、何かありましたらすぐにお申し付けを。我らは外で待機しております故──会話が聞こえないように、扉は閉めておきます」
「ああ、頼んだ」
ぎぃ、と重い音を立てて扉が閉まる。扉が閉まるのを確認し、ミツルギは──
「お話の続きをさせて頂いても? 閻魔大王様」
「よしてくれ、そんな他人行儀な言い方は」
先程までの重く仰々しい声はどこへ行ったのか、酷く軽く明るい声が鼓膜を揺らす。見るだけで寿命を削るような見た目は瞬きの間に変貌し、金髪で褐色の少年が目の前にいた。その風貌は千秋の見た目とも近く、現世の言い方を借りるなら──
「──ぎゃる、というやつか?」
「何か言ったか? ミツルギ」
「いや、なにも」
ミツルギが首を振れば、閻魔はにこりと明るく笑い、ミツルギの目の前まで降りてくる。
「にしても、ミツルギが俺に頼み事なんてなぁ……何百年ぶりだ?」
「大抵の事は我一人で事足りるからな。それに、あまり我を目にかけていれば閻魔の立場が危ういだろう」
「俺はそんなこと気にしねえけど……そういえば、見た目変えろって言ったのもミツルギだったよなあ」
「見ただけで威厳が伝わるのは大事だ。その見た目じゃ死人も鬼も閻魔を舐めるだろう」
「ま、実際あの見た目だとみんな怖がっちゃって話しかけてくんないしな……俺くらい妖力が強いと見た目や声を変えたまま何年も過ごすくらい余裕だけど」
金髪を指で梳きながら、閻魔はけらけらと笑う。そして、
「──昨日の連絡の通りなら……刀の継承者は見つかったのか」
「継承者かどうかはこれから決まることだ。何より、我は彼奴を認めてない」
本題に入り、空気が一気に重苦しくなる。閻魔は小槌を片手に、ミツルギは着物の袖に手を隠したまま、床に座って向かい合う。
「ま、お前はそうだろうな……本題は、鬼の娘の方か?」
「──我は特に気にかけてはいない。奴には明確な殺意があった。このタイミングで人間が不審に死に、それが閻魔側の妖である鬼の娘のせいだと知れれば──これから、閻魔の体裁もかなり危うくなっただろう」
「だろうな。俺も、あの娘には──最悪、あの一族にか。雷を落とす覚悟をしていたよ」
閻魔は簡単に自分の力をひけらかすやつではない。権力も力も、それによって齎される無辜の民の悲鳴も、律儀に聞き届ける男だからだ。だからこそ、そんな閻魔が一族を処す覚悟をしたということには、それなりの意味がある。
「──で、刀を受け継いだ子……名前、何だったっけ」
「神薙千秋だ」
「そう、千秋……千秋が、鬼の娘を止めてくれたって話だったよな」
「──本人はそう解釈してはいない。だから困っているのだ」
ミツルギが困り果てたように頭を抱えるのを見て、閻魔は苦笑いを浮かべる。そう、千秋はそう思っていない。自らの行いには一貫性がなく、あまりに命に対して不誠実だと自覚している。いちいち心を痛めて、難儀な奴だ。
「まあ、ミツルギのことだからまた余計なこと言ったんだろ?」
「──余計なことなど言っていない。本人が自覚していることを突きつけただけだ」
「それが余計なんだって」
ミツルギとしては、感情を吐き出すことで気持ちの整理をさせようと思ってのことだったが、上手く事が運ばなかった。結果として千秋は心をくじかれ、挫折の一途を辿っているのだが、今のミツルギには知る由もない。
「つまり、お前が悩んでんのは千秋と鬼の娘のことか」
「──鬼の娘を殺したことで、千秋が何らかの罪に問われる可能性は?」
「ないな」
食い気味な答えに、ミツルギは珍しく目を見開く。
「──即答か」
「集落の者から話は来ている。鬼の娘は警告を聞かず、静止を振り払って人間界へといった。その上──刀の所持者を襲い、その過程で部外者に悪意ある攻撃をした……俺が確認できる限りでも、これだけの事をしている」
「概ね正解だろうな。奴に話を聞かなければ詳細は分かり兼ねるが」
人間界に降りてからのことは、閻魔が観ていたのだろう。が、見なくても事の顛末はわかる。集落にいる頃から紅葉は独断専行が多く、後先を考えずに行動する少女であった。今回はそれが悪い方向に働きすぎたという訳だが。
「──このタイミングで人間界に襲撃とは……未然に防げたからいいが、防げなかったら大問題だったな」
「そこまで考えていないだろう、あの娘は」
「だろうなぁ……とにかく、千秋は罪には問わないが……集落の者は分からないな。止めてはおくが」
「仇討ちか……全く、面倒な時に面倒事を持ち込みおって」
ミツルギが不機嫌そうに吐き捨てるのを、閻魔は笑い飛ばす。
「──ま、最悪お前が可愛く諌めろよ」
「寝言は寝て言え」
「ははは」
閻魔が机の上に置いていた酒を飲み干し、片目を伏せて窓の外へと目をやる。
「──酒などお前にはなんの意味もないだろうに」
「酒に意味求めてるやつの方が珍しいだろ?」
閻魔が窓の外を酷く注視しているのを見て、ミツルギもそちらへ目をやる。
「なにか気がかりでもあるのか?」
「──まあ、気がかりって程でもねえけど……ちょっと、最近嫌な予感がな」
「──的中しないといいけどな」
そう言った時には、ミツルギにはなんとなく、来る未来の想像が着いていた。そんな2人の静寂を破るように扉を叩く音が聞こえたのがその証であった。
「失礼します! 入室の許可を頂いてもよろしいですか!」
「──入れ」
閻魔が妖力を身に纏い、姿を『閻魔大王』に戻す。腹の底を揺らすような声が鼓膜を揺らし──
「鬼の娘が訳の分からない供述をしています! 我々の手には負えず──!」
『鬼の娘』だと、その言葉が今表す意味は、言葉以上に面倒なことだ。
「──予感的中、か?」
「──位置的に……まずいな、釜茹での方か?」
ミツルギと閻魔が目を合わせ、部屋から飛び出す。
「──あっ! 白狐様! お帰りですか!?」
「そんなわけが無いだろう! 急用だ、構うな!」
「えっ、は、はい!」
風きり音が耳を撫でる。それに構いもせず、ミツルギは──
「我に関係の無いことなら帰るぞ、閻魔」
「おそらく関係はあるだろう。白狐」
分かっていた、と言いたげにミツルギは不機嫌そうに目を逸らす。このタイミングで『鬼の娘』が訳の分からない供述。それはつまり──
「あの娘の双子か──!」
薄れた記憶の中にある、双子の鬼。その片割れが紅葉であったと、たった今思い出した。