十三話 嘘
『……心当たり、ないのか?』
そう、千秋に問いかけた時。
雷斗の中では、既に答えは出ていた。
あの日、意識が落ちる寸前に見た、刀を抜こうとする千秋と、視界の隅に一瞬だけ映った、白い影。
刹那の邂逅は雷斗に考える時間を与えてくれなかったけれど、目が覚めてからの雷斗には、余るほどに時間があった。
だから、
「千秋は、俺になにか隠してる」
その答えにたどり着くまで、そう時間は要らなかった。
そして、翌日の一件で、雷斗は確信する。
「急に叫んだり、誰かと話してるみたいに見えたり──気の所為の範疇だが、やっぱりおかしい」
何年も一緒にいるのだ。
千秋の様子がおかしいことなどわかっている。
だが、それを千秋に問い詰めていいのだろうか。
不器用で優しい彼のことだ。
雷斗のためを思っての事じゃないのか。
「──それでも」
頭の中に、千秋の笑顔が不意に浮かび、それがモヤのようなもので塗りつぶされる情景が浮かぶ。
「千秋が傷つくってわかってて、保身に走るなんて出来ねぇ」
話したくないようなら無理に聞き出さない。
ただ、千秋が話してもいいと思えているなら、きちんと話を聞こう。
そのためにも、
「まずは、遊びの約束取り付けないとな」
手元にあったスマホが軽快な音を鳴らし、千秋へとメッセージが送られる。
**************
「雷斗くん?」
「────!」
「どうしたの?急に黙り込んで……私の質問、聞こえてた?」
「──嗚呼、聞こえてた。俺も、それは……思ってた」
雷斗の言葉に、萌奈は安堵とも悔いとも取れない表情を浮かべる。
が、それをすぐに取り繕い、本棚をじっと見つめる。
「──そう、だよね。私が気づいたんだもん。雷斗くんが気づかないはず、ないよね」
やがて、その瞳に焦りと後悔が色濃く滲む。
萌奈は足元に落ちていた図鑑を適当に鞄に放り、持ち手をきつく縛る。
「萌奈?何してるの?」
「千秋くんを助けに行かないと。さっきの変な女の人、千秋くんに酷いことしようとしてるのかもしれない」
「──酷いこと?なんで?」
なんで、と遥斗に問われ、萌奈は言葉に詰まる。
確証は無い。
それを信じるだけの根拠なんてないし、萌奈自身でさえも信じきれていない予測だ。
他人に信じてもらうには、あまりに不十分すぎる。
それでも──
「なんとなく、そんな気がするの。今は信じて、遥斗くん」
萌奈の勘はよく当たる。
特殊能力とまではいかないが、萌奈は萌奈の勘にかなり自信を持っていた。
だからこそ、あと必要なのは、信頼だけだった。
「わかった!萌奈が俺に嘘つくわけないし!」
そう言って棚をあちこち触り、抜け出す隙間がないかを探し出す遥斗。
それを見て、萌奈は拍子抜けしたかのように頬を緩める。
「そうだよね。……変な風に、考えちゃった」
千秋が隠し事をしていたことが、悪いとは思わない。
ただ、これだけ危険に巻き込まれているのだ。
きっと、萌奈たちが思っている以上の事態に、千秋は巻き込まれている。
それが分かっていて、放ってなんておけない。
「──でもさぁ、萌奈」
「?なぁに?」
「本当に、千秋から話聞かないとダメなの?」
遥斗が不思議だと言いたげにこちらへ質問を投げかける。
萌奈はしばらく硬直したあと、瞳を丸く見開き、遥斗の方へ向き直る。
「だ、って……千秋くん、この前から変だったでしょ?コックリさんの時のことも、昨日の学校のことも……それに、誰かと話してるみたいな時があったの。私が声をかけたら、やめてたけど」
「そうなのかもしれないけどさぁ」
遥斗は、なにか納得がいっていない様子だ。
雷斗は静かにこちらの様子を気にかけながら、壁に立てかけられた刺股を手に取り、戦闘準備を整えている。
萌奈は、遥斗の言葉の意味を胸の内で巡らせ、自分の思考の違和感へと思いを馳せていた。
「──遥斗くんは、なにか、納得がいかない?」
「うーん……」
棚をぺたぺたと触り、抜け穴がないと思ったのか棚から離れた遥斗は──
「千秋が何かを隠してるのかどうかは分からないけど、千秋は隠したがってるんだよね?」
「──多分」
「なら、無理に聞く必要ないんじゃない?俺も全部みんなに話してるわけじゃないし、誰でも秘密くらいあるよ」
遥斗の言葉に、萌奈は暫し瞳を泳がせ──、
「────」
そうかもしれない、と思った。
萌奈は、千秋が何かを隠していると気づいた時から、それを聞き出すことが千秋の救済に繋がるのだと思っていた。
だが、それは違うのだ。
それはあまりに、独善的で視野の狭い考え方であるのだから。
「──そうだね。私、なんか変な考え方してたかも」
「変ってわけじゃないよ、ただ、千秋に話したいか聞いてみない?って思って」
声の震える萌奈を案じたのだろうか、遥斗が優しくそう声をかけてくれる。
嗚呼、なんて優しいのだろう。
余計に、遥斗たちを害そうとする何者かが許せない。
「うん、そうだね。ありがと、遥斗くん」
「ううん、それより、早く千秋見つけに行こー!雷斗も!」
「分かってる。てか、この本棚を崩さない限りはどうにも──」
刹那、雷斗の背後からどん、と腹の底を揺らすような音が短く、複数回に分けて響く。
雷鳴に近いそれは、雷斗のそこに秘められた警戒心を一瞬で引き出す。
急いで振り返れば、そこには──
「────」
腰まで伸びる黒髪を揺らし、狐のような瞳でこちらを見つめる男の姿があった。
「──誰?」
萌奈が低くそう呟く。
見た目は日本人らしい黒髪に黒目。
ただ、その顔立ちの美しさは、もはや人間離れしているとも言えるものだった。
その上、赤い注連縄のような髪飾りを黒髪に纏わせていたり、着物を身にまとっていたりと、浮世離れした見た目を持っていた。
「──非常口は、南の階段にある」
「えっ、?」
「──逃げないのか?」
そうぶっきらぼうに伝えられる。
黒髪の男はこちらを見つめ、挙動を観察しているようだ。
「え、っと……友達が、この向こうに、取り残されてて……助け、たくて」
萌奈は、黒髪の男が信頼できるか否か、見定めていた。
だから、最小限の言葉で現状を伝える。
千秋についてやあの着物の女についての言葉は出さない。
萌奈の言葉で千秋が窮地に立たされたなら、悔やんでも悔やみきれないからだ。
「──そうか」
黒髪の男はふわりと袖を揺らし、本棚に手をかける。
そして、
「──えぇっ!?」
驚きで声の出ない萌奈に代わり、遥斗がそう声を出す。
雷斗は、驚愕を顔に張りつけたまま、刺股を握る手に力を入れる。
「──俺は、……鍛えていてな。本棚くらいなら、持ち上げられる」
「──凄い、ですね」
雷斗がそう言えば、黒髪の男は一瞬嫌そうな顔をした後に左上に視線を移し、本棚を適当に手から離す。
「──俺も、知り合いがこの図書館にいる。長い黒髪の男だ」
「──そう、ですか。俺たちは、黒髪で……前髪をピンでとめている奴とはぐれたんですけど、知りませんか」
雷斗がそう口にすると、黒髪の男は酷く面倒くさそうに顔を顰めた後に、懐を確認するように触り、一瞬瞑目した後に、首を小さく横に振る。
「悪いが知らんな。……その友人だが、顔さえ分かれば──俺が連れてきてやろうか」
黒髪の男の申し出に、雷斗は萌奈の方に視線を向ける。
萌奈は一瞬瞳を揺らしたが、すぐにそれを表情の奥に隠し、眉を釣り上げてそれを断る。
「せっかくのお申し出ですが……その友達は、私たちで探します。お兄さんも、探している人がいるんですよね?」
萌奈がにこりと笑う。
黒髪の男が気づいていたか否かは分からないが、雷斗はそれに苦々しく笑う。
言外に、「あなたはあなたの知り合いを探して。私たちにあなたの力は必要ない」と言っているような気がしたからだ。
「──流石に、そこまでは思ってないだろうけどな……」
雷斗が小さくつぶやくのを聴き逃したのか萌奈は不思議そうに目を丸くしていたが、それを打ち消すように黒髪の男が息を吐く。
それは微量だが、苛立ちが込められていた。
萌奈たちがそれに気づくことはなかったが。
「──わかった。なら、……俺が先に歩くから、その後をついてくるといい。危険があれば……俺が気づく」
「──私たちが探している人と、お兄さんが探している人が同じところにいるとは限りませんよ」
「分かっている。だから、どちらかの探し人が見つかったのならそこからは別行動だ」
それならいいと判断したのか、萌奈は本を詰めたカバンを持ち上げ、黒髪の男の後ろへと着く。
その瞳には未だ消えぬ警戒があり、雷斗は萌奈の警戒心の高さと計算高さに改めて驚きを感じるのであった。
「にしても、なんで携帯繋がらないんだろ?旧校舎の時みたい」
「……ポルターガイストってやつじゃねぇのか」
「こんなに頻発されると困っちゃうけどねぇ」
三人が話すのを横目に、黒髪の男は棚を三つほど押しのけ、道を開ける。
「──少しいいか」
「なんですか?」
黒髪の男が口を開き、萌奈は再び体に薄く警戒を張り巡らせる。
黒髪の男は困ったように一瞬肩を竦めたあと、棚に手を置いて言う。
「ここで数分待っていろ」
「──どうしてですか?」
「この棚は動かない。……俺は高く飛べるから、あの天井の隙間から向こう側に回って、この棚を動かす。それまで……三人にはここにいてもらわなければならない」
提案というよりは、決定事項なのだろう。
萌奈たちの意見を聞きたいという雰囲気ではなかった。
「──それは、」
「分かりました!ここまでありがとーございます!」
萌奈が低く何かを言おうとするのを、遥斗が遮る。
萌奈はそれに顰めていた顔から力を抜くほどに驚き、目を丸くする。
「遥斗くん?」
「大丈夫だって萌奈!ほんとーに悪い人だったら俺たちを助けてくれるわけないじゃん?」
ね、とウインクする遥斗に、萌奈は口を開いたまま硬直する。
呆れたのではない。
ただただ、その思考回路に驚いてしまった。
萌奈は、黒髪の男を信用する気なんてなかったから。
「──ううん、そうだね。助けて貰ったのに疑うなんてダメだよね」
萌奈はふわりと髪をたゆたわせ、黒髪の男に向き直ってぺこりと頭を下げる。
「ここまでありがとうございました。待ってます」
萌奈の言葉に黒髪の男は瞑目し、
「──いや、いい。……すぐ戻る」
その言葉と共に、天井と本棚の狭い隙間をするりと抜けていってしまった。
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「本当、人間は哀れだわ」
紅葉が嘲笑うようにそう口走る。
千秋は、口から血を吐いたまま、壁に頭を打ち付けて動けずにいる。
痛みを堪えるように刀を握りしめたまま自分を睨む千秋を見て、紅葉は高く笑う。
「お友達がそんなに大事だったの?自分の命よりも?」
「──彼奴らの所に、妖を向かわせたって、本当か」
「ええ。でも、殺すつもりなんてないわ。ただ、人質になってもらえれば十分だもの」
「────」
千秋の怒りのボルテージが上がっていくのを知ってか知らずか、紅葉は不快な笑い声を響かせ続ける。
ミツルギとは違う、毛色の違う悪意。
それに、千秋は刀の色が変貌するほどの感情の昂りを感じていた。
「──朱色?色が変わるのね、その刀」
紅葉がそう覗き込む。
刹那、千秋は紅葉に対して抑えきれないほどの苛立ちを覚え、だから──
「────!」
相打ち覚悟で刀を振るおうと思った。
が、
「──少し目を離したらこれだ。だから人の子の子守りなどしてられん」
仮面が音を鳴らし──
「──ぁ」
ミツルギは、その尊大な態度に見合う妖気を拳にまとい、千秋の眼前に顕現した。