十二話 鬼の子 紅葉
「──全く、何なのだあの子供は」
空を浮遊しながら、ミツルギはそう呟く。
「────」
千秋は刀に選ばれた。その事について、ミツルギは特に不満を言う気はなかった。選ばれてしまったものは仕方ない。利用できるまで利用するだけだ。ただ、
「──あの、目が」
目だけでは無い。些細な言葉選び、思考、見た目の全てが、ミツルギには癪に障る。
「なぜ人を率先して助けようとする? それに、我の言葉を疑いもせず信じおって」
人間は互いを蹴落とす生き物のはずだ。助け合おうなどと考えず、己の利のために動く。ミツルギはそれを知っていた。なのに、千秋はそれとは真逆の動きをしている。
「典型的な搾取される人間ではないか。馬鹿馬鹿しい」
そう口にして、ミツルギは仮面を指でなぞる。何故、こんなにも苛立つのだろうか。それを理解するためにも、ミツルギは──
「──何だ、貴様」
そんなミツルギの思考を邪魔するように、目の前に着物を着た女が現れる。長い赤髪に、性格が現れている鋭い瞳。腰に指している、種族特有の紋様が入った刀。そして、額に伸びる、角。
「──鬼か」
「その通りよ。白狐」
その呼び名に、ミツルギは仮面の中で顔を顰める。目の前にいる鬼の娘はそれを見て、愉快だと言いたげに笑っていた。
「噂は聞いているわ。あの刀を解き放った人間に付き従っているらしいわね」
「捉え方は貴様に委ねよう。が、斯様な無礼な言い分を許すほど、我と貴様の間に情は無いはずだが?」
全身から妖気を滲ませ、暗に戦闘の意を示す。それを感じとったのか、鬼の娘は少しだけ後ろに下がり、瞑目して話し出す。
「──その人間は、私が殺してもいいの?」
「何故、そのような発想に至ったのか、理解に苦しむな」
「それはこっちのセリフよ。白狐」
そう言って鬼の娘は瞳を開くと、刀を鞘から抜き、ミツルギの方へと向ける。
「アンタが妖から一目置かれているのは、何もアンタの出自や強さだけじゃないわ。アンタの人間に対しての憎悪が、アタシたちにとっては何よりも大切だったのよ」
そう言い放ち、鬼の娘は苛立ちを顕に、ミツルギを睨みつける。ミツルギはその視線を真っ向から受け止め、黙り込んでいた。
「なのに今のアンタは何? あの刀を奪った人間を絶対に殺してやるって言っていたじゃない」
「──我がいつ何をしようが、貴様らに口出しをされる謂れは無い」
「──そう。そうね、そうだわ……」
鬼の娘はミツルギの言葉に少し瞳を見開き、刀を下ろす。それから──
「なら、アタシだってアンタの言うことを聞く必要なんてないわね!」
語気に強い怒りを孕んだ声で、鬼の娘は一直線に地上へと向かう。
「──! 待て!」
鬼の娘が向かう方向を見て、ミツルギは奥歯を噛む。
「どいつもこいつも、煩わしいな……!」
鬼の娘が向かった方向は、図書館だ。千秋が話していたのを覚えている。
「──人間はどうなろうと構わんが、刀だけは」
そう口にして、何となく違和感があったが、今は、見ないフリをした。
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「遥斗!!」
千秋が懸命に腕を伸ばすが、距離が開きすぎている。このままでは間に合わない。
「えっ?」
「遥斗くんっ!」
それを、遥斗のすぐ隣にいた萌奈がカバーする。椅子を蹴り上げて女の攻撃を逸らし、遥斗を自分の傍に引き寄せる時間を作った。
「大丈夫? 遥斗くん」
「う、うん。それより……あの人、誰だろ」
遥斗が不安げに眉を下げる。萌奈は女を睨みつけて、警戒心を露わにする。雷斗も同様だ。スマホを手に取り、通報しようとしている。と、
「──! 千秋!」
「えっ……」
雷斗が千秋の方へ手を伸ばしている。何事かと思案すれば──
「────!」
本棚が、千秋と雷斗たちを分かつように、倒れ込んでくる。
「やばいっ……!!」
千秋が雷斗たちの方へ走れば、本棚に押し潰される。かといって雷斗たちが千秋の方へ来れば、同様に本棚に押し潰される。完全に、悪手だ。
「──雷斗!!」
ずん、と耳に響く音が空間に響き渡る。本棚は横にも広く、照明を割りながら倒れたのか、そこらに破片が飛び散っている。背伸びしても届かないほどのそれを見上げるが、人が通れるスペースはもはや残っていない。雷斗たちの方へ向かうのは、もはや絶望的だ。埃が舞う中で声を上げるが、雷斗からの返答は無い。本棚が倒れたからと言って、空間が分かたれたわけではないのに、まるで、そうなったような──
「無駄よ」
「────!!」
後ろから聞こえた声に、千秋は急いで振り向く。と、こちらを恨めしそうに睨んだまま、刀を構える女の姿があった。
「──あな、たは……」
「アタシは鬼族の末裔、紅葉。アンタにお願いがあるの」
「……お願い?」
「そう。アンタが持ってる刀……渡してくれないかしら?」
「────!!」
予想は出来ていた。が、やはり刀が目的のようだ。千秋は少し思案した後に──
「ごめんなさい。これは両親の形見だから」
「──そう。所詮、人間は人間という事ね」
交渉を、決裂させる決断をした。そして、不安を纏ったまま、刀を手に取る。
「──それが」
紅葉は刀を恨めしそうに見つめていた。刀を握りしめ、千秋は瞑目する。刀と魂が共鳴し、髪が長く伸び、瞳が猫のように変貌する。そして、刀の色は、濁った青緑に染まる。
「アタシと戦うということ? 覚悟は出来ているの?」
「──友人を傷つけられるなら、手加減なんてしてやれない」
紅葉を睨みつけ、千秋は刀を構える。瞳は不安げに揺らいだまま、それでも、確かな怒りがあった。
「──そう。いい度胸してるのね」
紅葉が下駄で踏み込み、こちらに刀を振り下ろす。それに向けて、千秋も刀を振るい──
「ちなみに教えておいてあげるけど、アンタのお友達のところに、アタシの使いの妖を向かわせたわ」
その言葉に、刀が揺らいだ。そして、戦場において、一瞬の隙は命取りになることを、千秋は知っていた。
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「千秋!」
声を張り上げるも、棚の向こうから返事は無い。
「雷斗くん、外に電話できない?」
「──圏外だ」
「嘘……」
雷斗の返答に、萌奈が瞳を揺らす。そこには焦りも動揺もあった。だがそれ以上に、何かを確信する色があって。そして──
「──雷斗くん」
何かを決心したように、萌奈は口を開く。雷斗も、それに気付いたのか、少し声の高さを落とす。
「何だ?」
「……この前のことなんだけど」
「この前? ……全校生徒が倒れたやつか?」
「ううん、違う。その前」
萌奈が首を振るのを見て、雷斗は瞑目する。萌奈が何を思っているのかも、何が聞きたいのかもわかっている。だから、これ以上は誤魔化せないなと思い、覚悟を決める。
「──コックリさんした時のことか?」
「……うん。私ね、考えてたの。ずっと」
萌奈はずっと考えていた。きっと、雷斗も考えていることを。何度も考えて、その度にやめたけれど、今日で、確信に近くなった。
「──千秋くん、私たちになにか隠してると思わない?」
確信に迫る言葉。それが、雷斗の心に、いくつかの波紋を生じさせた。




