一話 刀に選ばれた子供
「千秋〜!」
昼食を食べ終え、眠気が体に絡みついてくる昼下がり──自分の名を呼ぶ声が聞こえ、少年──千秋は振り向く。
「どうしたの、遥斗」
「俺さぁ、めちゃくちゃ面白い噂聞いちゃったんだよね!」
「聞いてくれる?」と言いたげな顔で遥斗がこちらを見つめてくる。
噂好きな遥斗のことだから、また面白そうな情報でも掴んできたのだろうか。
どちらにしろ、興味はある。
「コックリさんが必ず成功する紙があるんだって! やってみない!?」
「コックリさんって……遥斗? 俺たちもう中二だよ?」
「えー! お願い! 今月お小遣いピンチで遊べないし、千秋と青春したいんだもん!」
「青春したいでなんで真っ先にオカルトいくの!?」
お願いお願い、と遥斗が駄々を捏ねるが、千秋とて無条件に了解はできない。
遥斗がこの手の噂話を持ってくるのは今に始まったことでは無いが、心霊系を信じる千秋からすると、少々怖いのだ。
「気持ちはわかるけど、やっぱりダメです」
「えー!?」
「別にいいんじゃないか?やらせてやれよ、千秋」
後ろから不意に声が聞こえ振り向くと、黒髪の奥に青い双眸を光らせ、親友──雷斗と友人──萌奈が立っていた。
「千秋はこの手の話苦手だし、気持ちはわかるけどな。高校上がったら萌奈と遥斗は離れるんだし、思い出は作りたいだろ」
「私もしてみたいかも……コックリさんなんて久しぶりだし」
「普段はそんなの信じないとか言うのに……」
「信じるって言ったらお前が怖がって鬼電かけてくるからだろうが」
雷斗に怒りを込めた視線を送り恨み言を言えば、もっともな反論が返ってくる。
う、と息を詰まらせれば、黙って聞いていた萌奈が耐え難いと言いたげに笑う。
「それで遥斗くん、その紙どこで手に入るの?」
「噂によると、旧校舎の被服準備室にあるらしいんだけど……」
「そうなんだ……じゃあ、今日の放課後旧校舎の被服準備室で集合しない?」
「名案♩」と語尾を弾ませ、萌奈が指を立てる。
答えを言い淀んでいれば、横から雷斗が覗き込んでくる。
「──そんなに嫌か?」
「……うーん……ま、来年受験だし、思い出作りってことなら……」
渋々了承すれば、遥斗と萌奈が「やったー」と手を合わせ、雷斗が見透かしたように眉を上げて笑う。
「じゃあ、放課後にな」
雷斗の一言により、その場は解散。
放課後までの二時間、千秋がそわそわと落ち着きがなかったことは、特筆すまい。
********************
「あれ? 遥斗もう行っちゃったの?」
日直の仕事を終わらせ、チョークの粉が着いている制服をぱんぱんと叩きながら、千秋が雷斗に尋ねる。
「みたいだな。俺達も行くか。あんまり遅くなると二人にも悪いし」
「そうだねー」
階段を降りて玄関口へ向かい、急いで靴を履き替える。
むわりと漂う特徴的な香りは、まさに青春の香りと言うべきか──正直、あまりいい思い出になる気はしないが。
校舎から走り出し、旧校舎へと向かう。
旧校舎の放つ特異的な雰囲気と黄昏時の底知れない不気味さが噛み合い、なんとも嫌な気持ちにさせてくれる。
「さて、遥斗は……」
ぎし、と木製の玄関口が嫌な歓迎をすれば──、
「──嫌な空気だなぁ……」
「旧校舎なんてほとんど掃除もされてないし、仕方ないだろ」
そんな戯言を交わしながら、ぎしぎしと足を踏み進める。
被服準備室は一階の奥の方だから、そこまで遠くないはずなのだが、気が重くなっているからか、酷く遠く感じられる。
********************
「ちょっとー! 雷斗も千秋も遅いよ!」
「まあまあ遥斗くん。千秋くんは日直だったんだし……雷斗くんは女の子に告白されてたのかもよ?」
「萌奈の中で俺はどんなイメージなわけ?」
萌奈のトゲのあるのかないのかよく分からない発言に雷斗が苦言を呈す。
実際、雷斗はよく告白されているから、間違ってはいないと思うのだけれど。
「紙ってこれ? 遥斗」
「そう!」
「ふぅん……」
紙を床に置き、コインやらなんやらをセットする。
「ふふ、こういうのなんだかドキドキしちゃうね」
「そうか? こんなのどうせインチキだろ」
「そんなことないって! これは本物だから!」
「何を根拠に……」
冷めた発言をする雷斗に遥斗が噛み付く。
それを萌奈が楽しそうに笑い、千秋は我関せずとマイペースに作業を続ける。
見慣れた光景だ。
「コックリさんって紙の上に五円玉置けばいいんだよね? 柄はもう書いてあるし……他にやること無さそうだけど」
「じゃあ始めよ!」
遥斗がコインに指を置き、他の三人も上から指を重ねる。
「セリフなんだったっけ?」
「あ? えー……」
「コックリさん、コックリさん、どうぞおいでください! もしおいでになられましたら『はい』へお進みください!」
遥斗がそう元気よく口にする。
コックリさんをする時の声量では無いな、と思いながら、千秋がコインにそっと目をやると──
「────」
コインが、ず、と紙を引きずるような音を立てながら動く。
「──これって」
「遥斗くん、動かしてないよね……?」
「動かしてないけど……」
萌奈たちが不安げに狼狽える。
だが──
「『はい』……だね」
コインは確かに、『はい』へと動いた。
つまり──
「コックリさん、来たんだ……!」
遥斗がぱあっと明るい笑顔を浮かべる。
萌奈は怖そうに眉を顰めていたが、遥斗が笑うのを見て、頬を染めて笑う。
雷斗は眉ひとつも動かさず、ただひたすらにコインを目で追っていた。
「コックリさん、コックリさん、次のテストの範囲を教えてください!」
「コックリさんに聞く内容それかよ」
──コインが、動く。
「えーっと? こ、ぶ、ん……古文!」
「嘘、本当に分かっちゃうんだ……」
遥斗が嬉しそうに笑い、萌奈は驚いたように口元を抑える。
「すごいねえ……雷斗?」
「──いや……」
雷斗が晴れない顔をするものだから千秋も不安になってしまい顔を覗き込むが、そっぽを向かれてしまった。
答えてくれそうにないな、とコインに目を戻す。
「鳥居の位置までお戻りください! えーっと、じゃあ次は……」
「ごめん遥斗くん、そろそろ塾行かないと……」
「えっ、もうそんな時間?」
遥斗がスマホをカバンから取り出すと、時刻は既に17時30分を超えていた。
千秋と雷斗が遅れたり、準備に手間取ったりしたのだから、それほどに時間が経っていてもおかしくないけれど。
「おかしいな、圏外……いいや、帰ろうか。コックリさん、コックリさん、どうぞお戻り下さい……あれ」
コインが動かない。
遥斗が何度も帰りを促す言葉を唱えるが、コインは微動だにしないのだ。
遥斗の声色に少しずつ焦りが滲み、萌奈も不安げに眉を下げる。
「遥斗くん、少しくらいなら遅れてもいいから、落ち着いて……」
萌奈が遥斗の肩に手を置いて落ち着かせようとしたタイミングで、ばちん、と蛍光灯が点滅する。
「うわっ」
「きゃっ」
ばちばちと音を立てて、不完全な点灯を繰り返す蛍光灯が、千秋たちの不安と焦燥を煽る。
「コックリさん、コックリさん、どうぞお戻り下さい!」
遥斗がそう叫ぶが、まるでコインは動かない。
と、その時──
「萌奈!」
「えっ?」
萌奈の頭上の蛍光灯が破裂する。
反応が遅れて避けられそうにない萌奈の上に、遥斗が覆い被さる。
ぱらぱらと破片が遥斗の背中に落ちる。
「萌奈、大丈夫?」
「う、うん……でも、コインから、手……」
「──返事無かったし、先に帰っちゃってたのかなあ……」
帰ろう、と遥斗が萌奈を引っ張り起こし、紙とコインを棚に戻す。
「──遥斗! 待て、何か……」
おかしい、と雷斗が叫ぼうとした瞬間、頭上の蛍光灯がいっせいに破裂する。
「うわっ」
「千秋!」
鋭い破片が床に突き刺さる。
音に驚く程度で怪我はなかったが、いや、考えるべきはそこではなく──
「──遥斗?」
──遥斗と萌奈が、地に伏せていた。
一瞬、視界に映った光景を脳が理解しきれず、硬直する。
が、
「千秋! 遥斗を抱えろ!」
「えっ?」
雷斗が萌奈を担ぎ上げ、そのまま床を思い切り蹴り上げる。
「コックリさんがどうなったかは知らねえが、ここにいたら危険だ!」
雷斗の声で千秋の脳がようやく動き出す。
床にころがっている遥斗の胴を肩に持ち、そのまま思い切り走り出す。
「雷斗、これって、もしかして……」
「幽霊とか非科学的なこと言うなよ……って言いたいが、状況的にはそう言わざるを得ねえよなあ……」
被服準備室を飛び出し、一直線に玄関へと向かうが、
「い、った……!!」
扉に触れた瞬間、雷鳴のようなものが轟く。
千秋がびりびりと痺れる己の手のひらを見れば、赤黒く亀裂のようなものが走っており。
「嘘……」
********************
「結界、みたいなものか……?」
──まずい。とてつもなく。
雷斗の脳裏に、焦燥感と正体不明なそれに対する恐怖がよぎる。
コックリさんなどという非科学的なものを信じるつもりは無いが、今目の前にあるこれだけが純然たる事実だ。
千秋は扉に触れ、手のひらがひび割れている。
それだけで、雷斗の警戒心が牙を剥くには十分であった。
「千秋、どいてろ」
「雷斗? どうするの──」
ばちん、と雷鳴が空間を走る。
手のひらに走る痛みに怯むこともせず、雷斗は扉に触れ続ける。
「雷斗!?」
そのまま、ドアノブを掴み──
「────っ」
さすがに痛いな、と眉を顰めれば、隣で見ている千秋が泣きそうな顔でこちらを見つめているから、早めに終わらせたい。
「ぐ、っ……」
ドアノブを回し、半ば乱暴に扉を開ける。
力を入れすぎたせいで扉は半壊したが、不可抗力だ。
仕方ない。
「雷斗!! 何それっ……無理して……大丈夫!?」
「いいから、出るぞ!」
********************
遥斗を背負ったまま全力疾走し、ようやく新校舎の前までたどり着く。
人一人を抱えて何mも走ると流石に堪えてしまう。
喉奥から鉄の味が込み上げてきて、生理的な涙が視界を覆おうとするが、そこは男の意地で何とか耐える。
「雷斗!! これからどうするの!?」
「知るか! とりあえず、二人を起こし……」
どん、と腹の底を揺らすような爆音が空間に響く。
雷斗が頬に伝う汗を疎ましそうに睨みながら振り返る。
と、
「──千秋」
「分かってる……!!」
泣きそうな声で千秋が吠え、千秋と雷斗が後退る。
それもそのはずだ。
目の前には──、
「何あれ……!!」
死体のような、どこまでも冷たくて恐ろしい白い肌と、火葬場の煙突から上がるような、言葉にできないほどの恐怖を孕んだ乱れた黒髪を惜しげも無く風に揺らし、それはそこにいた。
「女……? いや、あれ人間かよ……!?」
痩けた頬も、深淵のように奥が見えない目も、その全てがおぞましくて仕方がない。
「わかんない、けど……!! 逃げよう、雷斗!!」
雷斗が首を縦に振り、二人で校門を目指す。
優先すべきは、二人を起こすことよりも、あれを何とかすること──は難しいかもしれないから、とりあえず逃げることだ。
根源的な恐怖から来る震えが走りを妨害するが、それを蹴り飛ばし、何とか先へと進む。
「千秋! どこに逃げる!?」
「──俺の家!! 逃げて、それでもどうにもならなかったら……」
なるべく、暴力的な手は取りたくない。
出来ることなら、諦めてくれると嬉しいのだけれど──
「無理そうかも!!」
後ろから聞こえる怨嗟の声は、千秋たちを見逃してくれそうになかった。