焦燥感
大学4年目の夏が、もう一月も前から始まっている。本来なら解放感に満ちたはずの季節なのに、私の心は焦燥感という名の重い鎖でがんじがらめになっている。ただ惰性で過ごすだけの非生産的な日々。このままではいけないという強い感情に突き動かされながらも、何をすればいいのかわからず、立ち往生している。
こんなはずじゃなかった。その一言に、私の大学生活のすべてが凝縮されている。
入学したばかりの頃は、漠然と未来を信じていた。自然と気の置けない友人ができ、将来に役立つようなささやかな繋がりも生まれるだろうと、疑いもしなかった。
だが、現実はどうだ。春学期が終わり、大学4年生としての期間も折り返しを迎えた。新たにできた友人は一人もいない。誰かと遊びに出かけた記憶もなく、当然、交際相手もいない。夏休みに入ってからは、誰とも会話することなく、家で引きこもるか、図書館で気休めの試験勉強をするのが精一杯だ。
この状況をなんとかしなければ。そんな焦りが募るばかりで、具体的な行動に移せない。何をすべきなのか、その答えが全く見つからないのだ。
振り返れば、長期休暇中に孤独を感じることは以前にもあった。中学や高校時代も、誰かと連れ立って出かけることはなかった。でも、その頃は今のような強い焦燥感はなかった。教室には、たわいもない話で笑い合える友人がいた。一緒に遊ぶことはなくとも、その繋がりが続いているという事実だけで、私の孤独は和らいでいた。何よりも、明るい未来が待っていると信じて疑わなかった。その楽観があったからこそ、趣味や娯楽に没頭することで、長い孤独の中でも心を平穏に保つことができたのだ。
しかし、もう3年半もの間、私は突出した孤独と向き合い続けている。この間、授業などで義務的なコミュニケーションを取ることはあっても、誰かと心から打ち解けて話す機会はほぼ皆無だった。
人間は社会的な生き物であり、私もその例外ではない。幼い頃から孤独に慣れてはいるが、それは絶対的な耐性ではない。この長い孤独は、じわじわと私の精神を侵食し、もはや全身に毒が回っているかのようだ。
孤独そのものが悪いわけではない。孤独であろうと、毎日を楽しく過ごせるのなら、それは素晴らしいことだ。ただ、今の私は楽しめていない。このままでいいのか、この夏をどう乗り越えるのか。私は今、その問いに答えられずにいる。