9、鱗粉と大食漢と
7月14日、修正を加えました。
『蛾』が大きく羽ばたいた。巻き起こった風の所為で、今さっき少女が撒き散らした粉が、再び空間中に舞い上がる。
と、同時に、何か粒状の小さな物が『蛾』の方からこちらに向かって大量に飛んで来た。
何かは分からなかったが、それが何であれ、当たったら痛そうな事には違いない。
数が多く、範囲もそこそこある。避けるのは無理だ。
そう思って俺は、両腕を顔の前に掲げて、顔を庇って目を閉じた。全てが自分に当たるという覚悟を決めて。
けれども、その覚悟の甲斐無く、俺には何ひとつとしてぶつかって来なかった。
俺は、恐る恐る目を開ける。すると、トールの前に多量の石つぶてが落ちているのが見えた。
どうやらトールが持っている剣で全てを叩き落としてくれたみたいだ。
「凄・・・」
俺は思わず感嘆の声を上げた。
「スピードだけは自信があるんです」
そう言って表情を変えず、トールは胸元から金の細いチェーンを摘み上げて、ペンダント状の物を取り出してその先端を口に咥える。
直後にピーッという甲高い音が響いた。
「遭難時の緊急要請をしました。聞き付けたハザンと兵達が直ぐに来てくれるでしょう」
そう言うとトールは、発煙筒を床に落として剣を両手で持ち直し『蛾』に向かって駆け出した。
剣先が『蛾』に届く。
そのまま切り裂けるか、と思ったが、『蛾』がヒラリと交わして斜め上に動いた。そして動いた先で、今度は上から石つぶてを降らして来る『蛾』。
石つぶての一つ一つは、目で追えない速さで降って来る。実際に見た事は無いのだが、それはまるで弾丸の様なのだろう。当たり所が悪ければ、かなりの大怪我になりそうだ。
けれどもそれは、トールにはひとつも届かない。
いつの間にかトールは、両手で構えていた剣を右手一本で握っていた。そして左手には、それよりも小ぶりな細めの剣を持っていた。
二刀流だ。
2本の形の違う剣で石つぶてを弾き落としつつ『蛾』との間合いを詰めるトール。
そのうちに、空間の隅に追いやられて『蛾』の逃げ場が無くなった。
『蛾』が、トールの右手の剣の突きを受けてヒラリと避ける。避けた所に、今度は左手の剣がカーブを描いて斬り掛かる。羽の一部に刺さった。
そこから素早く左手をスライドさせて、『蛾』の右側の羽を切り裂くトール。
やった・・・!
バランスを崩して下に落ちる『蛾』。
その真ん中、昆虫の体で言う所の『胸部』に、トールは右手の剣を突き立てようとした。
が・・・。
剣が刺さるその寸前、トールの体が、何かの見えない力によって、強く真後ろに押し出されるようにして宙を飛んだ。そのまま反対側の壁に激突して、下に落ちる。
「うっ・・・」
小さな呻きを上げて、思わず閉じてしまった目を開けるトール。
正面に見据える『蛾』の切れた羽は、一瞬の間に元通りに戻っていた。
切った位じゃダメなんだ。もっと大きなダメージを、頭とか心臓とか、そういう所を狙わないと、同じ事の繰り返しなのかも知れない。
「・・・」
俺がそんな事を考えている前で、トールは無言で立ち上がった。
・・・見物してる場合じゃない・・・!
そう思って、俺は必死に考える。
トールと違って、何の訓練もしていない俺は戦えない。では、戦えない俺に出来る事は何だ?
俺は『蛾』の向こう側を見た。発煙筒の光の届かない奥の方に、棒立ちになっている影が見える。
いた。
それは、さっきの少女だった。少女は、胸の辺りで両手を組んで、祈るように戦況を見守っている。
俺には、少女が『蛾』を応援し、『蛾』がその少女を守っている様に見えた。それは恐らく間違いでは無いのだろう。
少女を保護して、話を聞かなくてはならない。
俺は少女の方に歩き出そうとした。
その時だった。
急に、地震の如く地面が震え出した。
「おわっ!」
俺は、バランスを取るように両腕を広げた。そして何事かと周囲を見回しつつ、消えたら厄介だと思って地面に落ちている発煙筒を拾った。
瞬間、その空間の地面のど真ん中ら辺が盛り上がり、土が湧き立つ様に真上に吐き出される。続けて、艶やかに黒く光る巨大な棒の様な物が突き出して来た。それは先端が鋭く尖っていて、突き上がって来るに連れて徐々に太くなって行き、実は湾曲しているのが見て取れる様になる。
すっかり姿を現すと、それは巨大な鉤爪だった。それがニョキニョキと何本か出ている。
その鉤爪を器用に掘り上げた穴の淵に引っ掛けて、何かが持ち上がる様に穴から出て来た。
巨大な鉤爪に合うサイズの、巨大な『モグラ』だった。
「2匹目の、魔物・・・」
俺は呟き、トールを見た。
トールは『蛾』と対峙し、余裕が無さそうに見える。
どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう・・・・!
『モグラ』は、地中の生き物。目は退化して殆ど見えない。耳と嗅覚、振動で餌を見つける。大食漢で1日に必要な食事量は体重の半分以上。肉食。腹が減ると死ぬ事がある。
俺は必死に『モグラ』の特性を思い浮かべた。
消えた家畜は、こいつが食べたのかも知れない。
下手したら人も食べそうだ。いや、家畜だけで足りなくなったら食べるのだろう。
そう考えて背中を汗が流れるのを感じた。
その時だった。
チリリン・・・。
澄んだ、鈴の様な音が響いた。
それを聞いて『蛾』と『モグラ』の動きが一瞬止まる。
その一瞬の後、両方が共にトールの方を向いて、一直線に向かい始めた。
・・・何だ何だ、まずいんじゃ無いか?
俺は少女の方を見た。
先程まで祈る様に組まれていた少女の手が、今は解かれている。片手は胸に当てられて、もう片方の手は何かを摘んで前に出されていた。
多分、鈴。
今、鳴らしたんだよな。この子・・・。
理由は分からない。けど、この少女が2匹の魔物を操っている・・・。
トールが一旦芋の山の影に隠れて『蛾』を撒いた。
しかし、トールの移動する振動に誘われた『モグラ』が迫る。
トールは、『モグラ』に出された鉤爪を避けて一旦山に登り、そこから飛び上がって逃げた。
逃げた先に『蛾』と、『蛾』が打ち出した石つぶての雨が迫る。
トールが持つ2本の剣で、石つぶての一つ一つをはたき落とす。
そのうちに『モグラ』が迫る。
トールは防戦一方で、攻撃する隙が無さそうだ。
俺は、地面に落ちている石つぶてを2〜3個まとめて拾って、誰もいない空間の一辺に向かって投げた。
カラカラという小さな音が空間にこだまする。
すると、『モグラ』が反応してその音がした方向に向きを変えた。
よし、やった。
その隙に攻勢に転じるトール。『蛾』の頭部に向かい2本の剣を突き出した。
行けるか・・・?
俺は、期待を込めてトールを見た。
しかし、再びトールの体が見えない何かにグッと押された。
またか。
俺は、先程トールが反対側の壁に激突させられたシーンを思い浮かべて、手に汗を浮かべてそうならない様にと願った。
その願いが届いたのか、同じ事にはならなかった。
トールは、体を捻って180度回転して、見えない何かを上手に避ける。
良かった・・・!
と、安心した所で、なんと発煙筒が切れた。
発煙筒を使用する前と同じ濃度の暗闇が訪れた・・・。
「あ、消えちゃったよ」
と、俺は思わず呟いてしまった。
ハッと思った時には遅かった。
モグラが方向を変え、こちらに向かって来る気配がする。
ヤバっ、どうしよ・・・。
その時だった。
天井から細く、一筋の光が差し込んだ。一瞬消えて暗闇に戻ると、次の瞬間光の束が太くなり、辺りがハッキリ見える様になる。
そして、誰かがそこから飛び込んで来た。
差し込んで来る月の光を浴びて光る銀の鎧。
大剣と大楯を抱える太い腕、靡く赤髪。
ドシンと大きな音と地響きを立てて、俺と『モグラ』の間に着地したのは、ハザンだった。
ハザンは2匹の魔物を確認して、次いでトールと俺を見る。その視線がチラチラと揺れるのは、恐らく羽虫が目に映っているから。
ハザンは鎧の胸元に手を入れて布を出すと、自分の口と鼻を覆って頭の後ろで縛った。
恐らく、俺とトールを見て瞬時に理解したのだろう。
誰にも、何も言われなくても、状況を見て判断して、無駄無く、最善の方法を躊躇なく実行する。
俺はハザンの経験の多さを感じた。
トールもそうだけど、ハザンも長く訓練を積んだ素晴らしい騎士なのだという事が分かった。
それに比べて俺は、恥ずかしながら、ハザンが落ちて来た振動で尻餅を付いていた。
うわ、俺ダサい・・・。
これが、素人とプロの兵との差か。
そう思って情け無い気分になった時、チリリンという音が再び響いた。
でも、さっきみたいな澄んだ音ではなくて、擦った様な鈍い音。
その音は尾を引く様に小さくなりつつ、徐々に近づいてくるようだった。
落っことして転がってるんだ。
そう思い、地面の上に目を凝らす。少女の方から銀の光が真っ直ぐに線を描いているのが見えた。スーッと滑る様に進んで、ハザンの足に当たって止まる。
ハザンがしゃがんでソレを摘み上げた。そして、少し揺らすと、チリリンと澄んだ音が響く。
「アッ・・・」
少女の呟きが聞こえた。
『蛾』と『モグラ』が同時に少女の方を向く。
俺の頭の中に、最悪な構図が浮かんだ。
まずい。
そう思った時、ハザンの声が響いた。
「トール」
それに応えるトールの声。
「アブトゥ」
咄嗟にそう答えたトール。こちらの世界の言葉だろう。意味なんて知る筈もない。
でも、何となく理解出来た。
瞬間、ハザンの体から光の粒が飛び出す。無数の光が周囲に散らばって再びハザンに向かって集まり、集まった分強くなった光が弾けてハザンの中に入る。
『挑発』とトールは言っていた。
MMOでタンクが使うアレなのだろうか。
だったら、『蛾』と『モグラ』のヘイトを上げて自分を攻撃させるって事だ。
ハザンを攻撃している『蛾』と『モグラ』にトールが留めを刺す。
それが出来るか?というやり取り。
だったら俺は、どうする?
俺は少女を見た。
立ち上がって少女の方へと走り出す。
と、その時・・・。
2匹の魔物がビクっと震えた。体の向きを変えてハザンを見て、そのまま静止する。
突進していたトールが足を止めた。そのまま注意深く様子を伺う。
俺は、止まらず少女の所まで駆け寄り、少女の両肩を掴んで確保?保護?した。
ハザンを見たままの2匹の魔物は、その場で動かず、次第に小さくなって、元通りの大きさまで縮むと腹を上にして地面に落ちた。
・・・何が、起こった・・・?
ハザンが2匹に歩み寄る。確認して何かを呟いた。
トールが訳してくれる。
「死んでる」
「・・・」
その場に落ちた沈黙は、そのまましばらくの間そこに居座っていた。