5、魔物とは
7月13日、修正を加えました。
竹のような木で出来た籠の中で、トカゲが暴れていた。暴れながらも目はずっと俺を見ていて、時々喉を膨らませてはブワッと息を吐く。
炎は出ない。
手紙で指示された場所は、温暖な気候と豊かな土壌を活かした農耕の盛んな土地で、民家よりも遥かに田畑の方が多い長閑な、こぢんまりとした村だった。
その村の中央の広場には3つの神殿があり、それぞれ別々の神様を祀っている。
うち1つの神殿の入り口で、今俺はトカゲと睨めっこをしている。
大きな石造りの扉は広く開け放たれていて、神殿に支える神官や神官見習い、使用人、普通の村人、そして活性化した『魔物』の調査に来ているであろう兵士や役人らしき人々が忙しく出入りをしていた。
トールと村に到着すると、ハザンは既に指示された人物と会い、話をしていた。
その人物が今いる神殿の神官の1人で、50代くらいのオッサン。
オッサンは俺達を見るやトカゲに気付き、自作の籠にトカゲを入れて、トカゲについてのトールの説明を聞き興味深そうに眺めた。
そして、『魔物』に詳しいらしく、色々な事を教えてくれた。
なんと日本語で。
俺が出会った、日本語を喋れる4人目の人物だ。
「この世界で生まれた人は習うまでも無く知っている事ですが、異世界の方という事なので分かり易く説明させて頂きます」
と、前置きをしてから始める辺りが何やら指導者然としている。年齢的に見ても、若手を教育する立場の人なのかも知れない。
「『魔物』とは本来、こちらから危害を加えない限りは襲って来るような事のない温厚な生き物なのです。自然の中にごく当たり前に、数多く生息しています」
「ふぅん・・・」
コイツは襲いかかって来るけどな。
と思って、俺は籠の中のトカゲを見た。思いながらも口は挟まずに続きを聞く。
「ですが、人や他の動物達よりも敏感で純粋。無垢で他者からの影響を受け易い。事に『悪意』等の『負』の感情に同調、共感、吸収し易く、それらを浴び続ける事によって『負』の活性化を起こすと言われています」
「『負』の『活性化』・・・」
呟いて、さっき巨大化して暴れていたトカゲの様子を思い出した。大の大人の、しかも充分に訓練されている筈の兵や、トールとハザンが大人数でよってたかっても手こずってしまう程の脅威。
「一度活性化してしまったら、ただひたすらに破壊の限りを尽くします。そして、元に戻る事はほぼ無いのです。倒してしまうか封じるしかない。元に戻す事が出来るとすれば、それは『神』の御技。今回はノワ様がいらして運が良かったですね」
オッサンがトカゲに話しかける様に籠の中を覗き込んだ。
チラッとオッサンに目を向けるトカゲ。けれども一瞬見ただけで、再び俺に視線を戻す。そして喉を膨らませて小さなゲップをする。それは熱い息なのか、蜃気楼のように空気が揺らいで見えた。
「活性化が解けて戻った『魔物』は、それまで通りに無害に戻ると言われています。何度か私も目にした事がありますが、こんな風に誰か1人に固執するのは見た事が無い。いや、活性化している間もそうです。普通は誰彼構わず、人も物も関係無く暴れ回る物です。強いて言えば、自分に害をなそうとしている者が居れば、その者を襲うでしょうが、それは自衛です。活性化している間も、この、ええと『異界の勇者』様でしたっけ?に向かい襲い掛かったとか」
言って俺を見るオッサン。
・・・は?
活性化が解けたトカゲが俺に向かって来てるのは知っていたが、解ける前のトカゲは、俺を狙って来ていたのだろうか・・・?
俺はそんな事には全く気付いていなかった。
ただその場にいただけの、何の力も無い一般人だったから、庇われて守られただけかと思っていた。
そうだったとしたら、あの場に居た人達に対して、もっと感謝を表すべきだった。
あの場に俺が居なかったとしたら、建物が壊れる事も無く、護衛の兵隊達が怪我をする事も無かった筈なのだ。
今更ながら申し訳ない思いが込み上げて来る。
あの場に戻って頭を下げたい。
そして・・・、
『異界の勇者』?それは俺の事か?そんな風に呼ばれてるのか俺。
ビックリして俺は、トールの顔を見て自分の顔を指差した。トールは苦笑いして誤魔化すように肩をすくめてた。
「非常に興味深い事です。是非詳しく調べさせて下さい」
オッサンはそう言って籠を持ってどこかへ行ってしまおうとした。それを慌てたハザンが肩を叩いて止める。
ハザンは、こちらの世界の言葉でオッサンに何かを言い、聞き入れたオッサンは、渋々といった感で俺に籠を返して、ハザンと2人並んで神殿の奥の部屋へと向かい歩き出した。
「え?どこ行くの?」
言葉が分からない俺は、1人会話と流れについて行けず立ち尽くした。
「アキラ、すみませんが入り口で少し待っていて下さい」
困った様に慌てたトールが、俺に申し訳なさそうにそう言って2人の後を追い掛けた。
胸の辺りがモヤモヤした。こちらの世界に来てからという物、疎外感が常に付き纏う。実際アウェイなのだから仕方ないのだろうが。
俺は何故、こんなに嫌な気分なのにトールとハザンに付いて行くのだろうか。
そんな疑問が、頭の中に浮かんだ。
夕刻が近付くに連れて湿った風が吹き、青かった空がどんよりと曇り始めた。
俺は神殿の入り口の壁に背を預けて、往来の邪魔にならない所でトカゲの籠を抱えて座っていた。
待つのには慣れている。逆に俺は人を待たせるのが嫌いだった。だから常に待ち合わせの時間よりも早く動き、待ち合わせの相手が今何をしているのか、どの辺りをを移動しているのか、そう想像しながら時間を過ごす。
俺との邂逅に何を期待しているのか。楽しみなのか、億劫なのか。そういった事を想像する。想像するのが好きなのだ。
けれども・・・。
今は、苦痛だ・・・。
俺を待たせているあの2人が、俺のいない所で俺に関する話をしているかも知れない。
そう思うと、胸の中にモヤモヤが広がって行く。
嫌な気分を持て余している俺の前で、トカゲの喉が膨らむ。ブワッっと息を吐く。火が出ないのは、雨を前にして空気が湿気っているからかも知れない。
昔見たアニメのワンシーンを思い出した。
火の属性のトカゲモチーフのモンスターが、雨に打たれて元気が無くなるシーンだ。尻尾の先に燃えている小さな火が、雨で消えてしまうのでは無いかと心配になった、その気持ちだけが鮮明に思い出される。
籠の中のトカゲに尻尾は無い。捕まえようとした時に取れてしまったから。だからその先に火が灯っている筈は無いし、雨が降り注いだとして火が消える訳でも無いだろう。けれども、トカゲを雨に濡らしてはいけない様な気がした。
濡れたら弱ってしまうかも知れない。
俺に襲いかかって来たトカゲだ。それなのに、弱る事を心配してしまう。
俺は着ていた制服の上着を脱いで籠の上に掛けた。
トカゲがビクッと体を震わせて身構える。
「何もしやしないよ」
少し笑ってそう呟いた時、雨が降り始めた。
俺は濡れたが、トカゲは濡れなかった。
トカゲは、不思議そうな顔をしていた。