3、何で俺は呼ばれたんだ?
7月13日、修正を加えました。
俺はトールの後を追いかけて建物の外に出る。
観音開きのドアを開けると、さっきよりも爆音で耳にまたあの嫌な音が響いた。俺は堪らず耳を塞ぎ、無意識に姿勢を低く構えた。
と、突如、昼間なのに辺りが暗くなった。それが、大きな何者かの影だという事に気付くのに大した時間は掛からなかった。
俺は、低い姿勢のまま上を見上げる。
逆光で黒く形取る大きな何か。
瞬間、ドシンという大きな音と振動で一瞬体が浮いた。
俺の目の前に、巨大なトカゲの足みたいな物が現れた。
歴史ある神社の御神木くらいに太い丸太のような脚は、焦げた肉みたいな色の鱗に覆われていた。そこから伸びる5本の指は長く、その先から伸びる爪は鋭く、先端に向けて針の様に尖っている。
巨大な、トカゲだった。
「アキラ、中に入って下さい!」
少し離れた何処かから、そう叫ぶトールの声が聞こえた。
俺は従う事が出来ずに、そこから動かずトールの姿を探して、右に左にと視線を彷徨わせた。
四方八方から聞こえて来る知らない言葉の叫び声。大人数が地面を踏み鳴らす足音、怒号。何かを引き摺る音、大小様々な爆発音。
人形にでもなったみたいに動けないでいると、急にすぐ右側から知らない言葉で怒鳴られた。
ハザンの声だ。
そう思った瞬間、視界が凄い勢いで横に流れる。流れに合わせて感じる風圧。
俺は誰かに体当たりをされて屋内に戻されたみたいだ。
直後、今まで俺がいた場所にトカゲの脚が振り下ろされた。そして、それを弾く大剣の閃光が目に残像として焼きつく。鏡の様に光るその剣身に俺が映る。
半開きの口、固まって青ざめた表情の俺。
己の顔を見て我に返った。改めて目を凝らすと、その大剣を持ち、力強く振るっているハザンの姿が見えた。
その時点でようやく、ハザンが俺に体当たりをして助けてくれたと言う事に気付けた。
直後、バタンと閉じられる扉。その向こう側で繰り広げられている惨劇は、俺の目から隠された。
だが、隠されただけで無くなった訳ではない。響く悲鳴。怒号。鳴り続ける嫌な不協和音。
俺は、その場にへたり込んでしまった。
体が震えた。
恐怖を味わう暇も無く、閉まったばかりの扉のすぐ向こう側で悲鳴が上がった。
明かり取りの窓から差し込む光が、シャッという音と共に赤く染まる。
その瞬間、心臓がドクンと大きく鳴った。同時に耳鳴りがして、頭が割れるように痛み出す。
フラッシュバックする、赤黒い光景・・・。
屋上から耀と落ちて、その先で見た光景が頭の中に散らつく。
灯りを使わない、薄暗い地下と思われる石造の一室。強く黒く光りを放つ何かと、その光の点滅に合わせて浮かび上がる赤黒い光景。ムッとした湿度と温度の高い空気、澱んだ鉄臭い匂い・・・。小さな悲鳴と、小さな呻き声。「助けて・・・」耳に焼き付く、子供の声。
耳鳴りがする。頭が痛い。痛い痛い痛い痛い痛い・・・。
吐きそうになって、俺は声にならない声を上げて目を見開いた。
瞬間、目の前で閉じたはずの扉が全開した。外開きのはずの扉が内側に開いて、扉自体が外れて吹き飛んだ。
そこに現れた巨大なトカゲ。そのトカゲのデカい口が縦に開いて、喉の奥が光り出す。
熱を持った赤い光。
炎だ。巨大なトカゲが俺に向かって口を開き、炎を吐き出そうとしている。
至近距離で繰り広げられるその光景に、俺は震え固まり、身動きを取ることが出来なかった。
・・・死ぬのか・・・。
そう思った時、俺とトカゲの口との間に、何かが降って来た。黒い布に包まれたそれは、吹き荒れる風に纏った布をはためかせながら、両手をトカゲの口に向かって伸ばした。
刹那、吐き出された炎は、その手と、手の主と、そして俺を避けて後ろに流れて行く。
ひとしきり炎を吐き切ると、トカゲは口を閉じてこちらを見た。
俺も見た。
黒いフードと黒いマントを被った1人の少年の後ろ姿を。
「こんな都会のど真ん中に、昼間っから何だか凄いねー」
間延びした声が響いた。
聞き取れる、理解出来る言葉だった。
けれども日本語では無い。
頭の中に直接響いて来る、不思議な、声・・・?
「そこの人、止血間に合う?僕薬草しか持ってないけど」
間延びした声は、建物の外に向かってそう言った。
少しして、それに対するものであろう返答が聞こえて来る。
俺には分からない、こちらの世界の言葉で。
「そう、良かった」
黒いフードの少年が、こちらの世界の言葉の声に応える。
会話・・・してるのか・・・?
俺は、理解が追いつかなかった。
戸惑い固まったままの俺の前で、黒いフードの少年が俺に背を向けたままでしゃがんだ。しゃがんで地面に、伸ばしていた両手を付く。
その時、トカゲが再び口を開けた。
繰り返す同じ光景。
口の中が赤く、明るくなって行く。
「危なっ・・・」
危ない!俺は、黒いフードの少年に向かってそう言おうとした。
けれども、俺はその言葉を途中で飲み込んだ。
目を疑う様な、非現実的な光景を目にしたからだ。
黒いフードの少年が立ち上がり、地面に付いた手をグッと握り締めて引き揚げる。するとその手には、今まで無かったはずのものが握られていたのだ。
それは、青黒くて、影の様に揺らぐ、幻の様な鎖。
黒いフードの少年の手からトカゲの影を伝って、トカゲの口に巻き付いてそれを閉ざし、そして強く締め付けた。
吐き出そうとした炎が行き場を逃して燻り、消滅する音が響く。
「君も不運だったね」
黒いフードの少年は、トカゲに向かってそう言った。
そして、口を抑えられて暴れ出そうとするトカゲに向かって、鎖を持たない方の手を掲げる。
それを正面から見て、トカゲが一度、大きくゆっくりと瞬きをする。開き切っていた瞳孔が窄まり、縦長の一本の棒の様になると、同時にトカゲの体が縮み始めた。
縮む事で締め付けていた鎖が緩んで地面に落ちる。落ちると同時に聞こえて来る筈の音が無い。地面に触れる前に消えているのだ。
建物の外から響めきが聞こえてくる。
響めきの中、トカゲの体はそのまま縮み続けて、普通のトカゲの大きさになった。
最後にゲップの様に小さな炎を吐き出して、そしてカサカサとすばしっこく草の中に消えて行ってしまった。
・・・終わった・・・のか?
俺は床に尻餅を付いたままだった。そのままの姿勢で、いつの間にか体中に入っていた力を抜いて脱力した。
「大丈夫?立てるかな?」
振り向いた黒いフードの少年が俺に手を差し出す。その手を掴んで俺は立ち上がった。
その少年は、俺と同じくらいの身長だった。
少年がフードを背中に垂らす。少年の顔が顕になる。
この世界に来てから出会った人々は皆、彫りの深い面立ちをしていた。だから俺は、その黒いフードの中の少年の顔も、同じ様に彫りの深い顔立ちなのだろうと思い込んでいたのかも知れない。
だから、酷く驚いたのだ。
俺と似た様なのっぺりとした日本人顔。癖のない黒い髪を肩の辺りまで伸ばした長髪の、同年代の少年の顔がそこにあった事に。
「・・・え・・・」
そんな間の抜けた声を出してしまったのは、仕方のない事だろう。
「ん?」
予想外の容姿に驚く俺の声に、さも楽しげに首を傾げながら笑う少年。
建物の外にいた護衛の兵隊みたいな奴らが集まって来た。
そいつらは俺を押し退けて、その少年を取り囲んで口々に言葉を投げ掛ける。
何を言っているかは分からないが、それが感謝の言葉である事は理解出来た。
「アキラ、無事でしたか」
俺の横にやって来たトールが、そう声をかけながら俺の肩に手を置く。
「今の、ナニ?」
俺は聞いた。
何もかもが分からない。分からない事だらけだ。
分からないが、何かに襲われて、この日本人顔の少年に助けられたという事は分かった。
「あれが活性化した『魔物』です」
トールは眉を顰めながらそう言った。
「突然現れては、無作為に暴れ、人を襲い、最悪命を奪います。この原因が『魔王』と呼ばれる者の存在の所為ではないかと言われているのです。このままされるがままにしておく訳には行かないという事を、御理解頂けだでしょうか」
俺を見るトールの目は真剣で、何とかしなければならないという使命感に溢れていた。
確かに、こんなのが突然現れて暴れたら、人類などあっという間に滅びてしまいそうだ。
その原因を解決する事が出来るのならば、一刻も早くすべきだと思う。
けれども・・・、
何で、俺なのだ?
横に立つトールの持つ、大振りの剣を見た。
ハザンの持っていた大剣を思い浮かべる。
少年の周りに群がる兵達の持つ盾や弓矢を見る。丈夫そうな防具に身を包み、長く鍛錬を積んで来ただろう、盛り上がった筋肉を見る。
それらに比べて、俺はどうだろうか。
剣など持ったことも無いし、馬にも乗れない(乗れなかった)。今目の前で囲まれている少年の様な不思議な力も無いし、手から金の糸を出して人の治療をすることも出来ない。
ましてや言葉すらも、一部の人を除いて伝わらない。
何で、俺は、呼ばれたんだ?
「たまたま通り掛かって良かったよ」
護衛の兵隊達の輪の中から、さっきの少年の声が聞こえて来た。兵達の人壁を押し退けて俺の前までやって来る。
「たまたまね。こっちの方に来た方が良い気がしたんだ。気がしたと言うか、呼ばれた?」
俺の前で立ち止まって、笑いながら首を傾げる少年。
横でトールが姿勢を正して頭を下げた。それは、さっき第3夫人にしたのと同じ様な90度の礼の仕方で、俺は驚いてしまう。
「あ、近衛兵だね。いいよ、そんな丁寧に礼なんてしないで」
自分に向かって頭を下げるトールに、少年は慌てて首を振って、その礼をやめさせようとした。
「僕はあの家の人間じゃ無いんだから。普通の、一般の人だよ」
言われたトールは顔を上げて、今度は握った右手の拳を胸に当てた。それは、近衛兵の敬礼なのだろうか。
全く伝わってない様子のトールに、少年は苦笑いをした。
埒が開かないので無視する事にした様だった。
「僕はノワ。いつもは森の中で薬草師をしているんだ。偶に街に出て来て薬草を売ったり、孤児院とかのお手伝いをしているんだよ」
言って俺に右手を差し出して来た。
俺はその手を握って自己紹介を返す。
「俺はアキラ。さっきは助けてくれてありがとう」
俺が喋るのを聞いて、周囲の兵達が騒ついた。恐らく、俺の喋っている言葉の所為だろう。皆んな、日本語が分からないのだ。
その周囲の様子に、ノワは少し驚いて、そして納得した様に俺に言う。
「アキラ、もしかして日本語喋ってる?ゴメンね、僕言葉の違いには疎くて。そこはちょっと一般の人では無いかも」
言いながら肩をすくめる。首を傾げる仕草と良い、俺はノワに対して『何だかあざとい奴だな』という印象を受けた。