28、魔王とは
「『魔王』とは、何だ?」
寝床に横になり、皿に盛られた木の実を齧り、盃に注がれた酒を飲む。その人はそう言いながら、鍛え上げられた肉体を薄い一枚布で緩く覆っただけの格好で、隣に座る私の髪を撫でた。
「人間達の間で話題になっているのです。『魔王』が現れた所為で魔物達が活性化し暴れていると」
寝床の横に立つ男がそう報告した。キチンとした身なりに正した背筋、真面目そうな眼鏡。自慢の黒髪は香油で全て後ろに流し、髭は綺麗に剃り上げていて隙がない。
「・・・ほう」
寝床から少しだけ身を起こして私の髪を一条掬い上げて、愛おしそうに口付ける。ボンヤリと、いやうっとりとした視線は、半分眠っている様でもあり、泥酔している様でもある。
燃え上がる様な見事な長い赤毛がスルスルと寝床に流れ落ちる。方向を間違えて顔に掛かってしまった一条を、指で掬って耳に掛け、後ろに流してあげた。私を見る、その人。その赤毛の主は、自らの髪を整えてくれた私の手を取り、そしてそのまま自分の唇へと運んだ。軽く口付けて、そして指先を喰む。
横に立つ黒髪の男が咳払いをした。
「その『魔王』なる者は見事な赤毛で」
そう言う黒髪の男の声に反応して赤毛の主と私は、揃ってその赤毛を見た。
「見目麗しい男子であり」
私の顔を見詰める赤毛の主。私はその顔を見詰め返して頬に手を寄せた。
「南西の地で門を占拠している、と」
私と赤毛の主、2人で見つめ合ったまま少しの間が流れた。落ちて来る短い沈黙。
と、2人同時に目を見開いた。
「俺か!」
難問の答えを思いついたかの様に嬉しそうに笑う赤毛の主。
・・・喜んでどうする。
「そうか、俺か。いつの間に『魔王』になったのだろうか。全く覚えが無いのだが」
そう言って愉快愉快と豪快に笑う赤毛の主。
「笑い事ではありませんよ!これが意味する事がお分かりになりませんか?」
ワナワナと震えながら、黒髪の男はそう言った。
「俺を倒しに人間共が群れを成してやって来るか?良いだろう、いつでも相手をしてやる!」
言いながら右手で左の掌を殴る。
「いけません!人間に危害を加えれば、聖母に罰せられます!」
「ならば適当に追い返せば良かろう。良いぞ、存分に遊んでやる」
そう言って盃を空にした。空いたそれを私に渡す。
受け取って私は溜め息を吐いた。
「浮かない顔だな、エリス。具合でも悪いか?」
そう聞かれて、もう一度大きな溜め息を吐いた。
この人は本当に、頭が回るのか回らないのか。危機感が足りない。こんな茶番を思い付いた者の目的が何か、考えもしないのだろうか。
「何らかの事を起こした時の足留めか」
私はそう呟いた。
「もしくは何かカイル様を倒す方法でも見付けたか・・・」
黒髪の男が続けて呟く。
「ん?何の話だ?」
それらの言葉に、疑問を口にする赤毛の主。
何も考えてない・・・。仕方ないわ・・・。
そう思って3度目の溜め息を吐いて、私は盃に新たに酒を注いだ。
昨年の末に採れた木の実を発酵させた若い酒。独特の香りは薄いが、その分樽の良い香りが立っている。悪く無い。
盃を受け取ろうと手を出す赤毛の主。
その手から逃げる様に、私は盃を自分の口へと運ぶ。少し意外そうな表情を浮かべる赤毛の主を尻目に、私はその若い酒を口に含んだ。
鼻に抜ける、良い香り。
その香りを楽しみながら奥歯を噛み締める。ガリっと小さな音を響かせて、仕込んでいた液体が酒と混ざった。
私は盃を置いて、赤毛の主の顔を両手で包み込んで引き寄せる。そしてそのまま口付けて、その酒を相手の口の中に一滴残らず流し込んだ。
ゴクッと音を立てて全て飲み干す赤毛の主。
「何だ、やけに積極的じゃない、か・・・」
赤毛の主は呟きの途中で目を瞬き、そのまま背後にひっくり返った。そして大きなイビキをかき始める。
「えっ!なっ!」
驚きの声を上げる黒髪の男。無視して私は立ち上がり、そして出口へと向かった。・・・が、
黒髪の男が私の前に立ち塞がった。
「お待ち下さい、どちらへ?」
必死の形相で額に汗をかく黒髪の男。その肩を押し退けながら私は言った。
「カイルが何もしなそうだから、ちょっと調べて来る」
「いけません、そんな事を許したら我々は、」
押し退ける私の前に再び立ち塞がり直して、黒髪の男は私を引き留める。
「我々は?」
黒髪の男の顔を見上げながら私はそう聞いた。
「カイル様が寝ている間にエリス様の外出を許してしまっては、我々はきっと・・・」
黒髪の男の額から流れる汗の量が増える。
「きっと?」
「何故止めなかったのかと罵倒され、最悪全員殺されてしまいます・・・」
「・・・」
否定し切れない・・・。
私は、4度目の溜め息を吐いて、背中から布の袋を取り出した。ずっしりとした重みのあるその袋を黒髪の男に渡し、そして言った。
「全員でそれを飲みなさい。カイルが起きた時、みんな寝てれば、多分殺される事は無いんじゃない?」
無言でその布の袋を受け取る黒髪の男。呼吸が荒い。
その横をすり抜けて、私は外へと出た。
・・・真ん中の国・・・。
沈み掛けた夕日を見上げながら、私はそう思った。
何かが、私を呼んでいるような、そんな気がする。
それが吉兆か、あるいは悪い事の前触れなのか。
分からないまま、私は真ん中の国へと飛んだ。
「行ってしまうのですか?と」
トールがマージュの言葉を訳した。
俺を見詰めるマージュの目は赤く、今にも涙が溢れ出しそうになっている。
ハザンが王都に向かった後、助け出された領主とその夫人が揃って顔を見せた。怪我一つなく無事で、兵達も軽傷を負った程度で大事は無さそうだ。良かった。
後は荒れた畑や、散らかった魔物の死骸を片付ければ、ナバラはもう元通りに日常を取り戻すだろう。テラを除いて・・・。
テラは、ナバラを出る。理由は勿論ドニを起こす為だ。
聖母からナバラの外に出る事を禁じられているものの、それを破る覚悟はもう出来ている。
自分の意思で動く事を決めたテラは、もう大丈夫だろう。ナバラも、しっかりとした体制がテラによって築き上げられている。次代への引き継ぎも問題無さそうだし、何かあった時にはテラが駆け付けてくれる筈だ。心配は無い。
そう思う俺の腕に、マージュが掴まって来た。
俺は、薬を盛られそうになった事を思い出して、体がビクッと引いてしまう。
そんな様子に気付かずに、何かを訴えて来るマージュ。
「ずっとナバラにいて欲しい、と言っています・・・。アキラ、彼女は多分アキラの事が・・・」
「えっ、えーと・・・、そうなの?」
訳しつつ、自分の予想を言って来るトールのその言葉に、俺は口籠ってしまう。
「その、さっき盛ろうとしていた薬も、実は媚薬の様な物だったそうで、その、自分を好きになって貰おうとしていたみたいで・・・」
「そんな・・・マジか。俺どうしたら良いの?」
腕に縋り付いて来るマージュが段々と可愛く見えて来てしまう。いや、元々可愛い。可愛い子に縋り付かれて、俺はどうすれば良いのか分からない。抱き締めた方が良いのか?
「どうしたらって、分からないですよそんなの。こういうのはハザンが得意なんです。傷付けずに相手に好意を持たせたまま距離を置くような事が上手いんですよ」
「何言ってんだお前、それ二股三股かける前提で粉かけてるんじゃないのか?最悪だろ」
「ええ!そうなんですか・・・」
アホな事話してる場合じゃない。
マージュの目から、とうとう涙がこぼれ落ちてしまった。その涙は宝石みたいに綺麗で、思わず見惚れてしまう。
悩みに悩んで、俺は制服の上着からボタンをひとつ引きちぎった。そしてそれをマージュの手に持たせる。
「俺のいた世界では、卒業式の時に憧れてた先輩から制服のボタンを貰うんだ。心臓に1番近いところのボタンが1番価値があるんだって。ココロが近いから気持ちがこもってるって事なのかな」
トールがそれを訳す。卒業式とかこっちの世界にあるのかどうかは謎。でも、マージュはそれを聞いて俺を見て、そして頷いた。縋っていた腕から離れて兄の横に行く。そしてそこから手を振った。ボタンを握った手を、自分の心臓の上に乗せて。
分かってもらえたみたいだ・・・。
俺は、名残惜しい気持ちを胸に抱きながら馬に乗った。そしてナバラの人々に手を振りながら次の街へと向かう。
トールと2人で。
「で、次はどういう事件なの?また芋関係?」
俺は聞いた。
「いえ、芋は関係ありません。ご期待に添えず申し訳ない」
「いや、期待なんてしてないし・・・」
バカな話をしながら進む道は、ゴールへと近付いているのだろうか・・・。
馬に乗る事には、もう何の苦も無い。ハザンは居ないが、トールとの会話はスムーズでお互いの距離感が近付いたのを感じる。
この世界に馴染みつつある自分。
これで、良いのだろうか・・・。
常に疑問しか無い。けれども、進むしか無い。
そう思う。
ヨウ、お前は今どこにいるんだ?無事なのか?
必ず、探し出すからな・・・。
次作へ続く。
長々とお読み頂いた方、ありがとうございました。
これにて区切りをつける為、第一幕終了とさせて頂きます。
続けて第二幕に突入するつもりです。今後もお付き合い頂けますと幸いです。
先日、自分で読み直しましたが、急ぎ書き殴った所もあり、足りない部分が多く、加筆・修正をするかも知れません。
未熟者ですので、お許し頂けます様お願い致します。




