23、過去と未来を引き寄せる
声が聞こえたと思った。次の瞬間、目の前が真っ暗になった。真っ暗になって、頭の中に、一気に記憶が流れ込んで来る。
それは、多分テラの記憶。
テラが過去に見た世界を、掻い摘んで擬似体験でもするみたいに、凄い勢いで再生して俺の脳に刻み込まれた。
頭をガツンと殴られたみたいな衝撃。それはほんの一瞬。けれども俺は、何十年もの年月が一気に過ぎ去ったかの様な錯覚を感じていた。
その一瞬の間、俺はテラだった。テラとして、このナバラに降り立ち、ナバラを守護し、友人と仲違いをした挙句ナバラをめちゃくちゃにされて、婚約者に石化の呪いを掛けて、再びナバラの守護者としてこの地に根付いた。
そして、一瞬の後に俺に戻った。
戻ったものの、まだテラに引き摺られている。
心が、苦しかった・・・。
みんながテラに期待し、テラに何かを願い、望みを託して来る。それが辛くて、自分の感情に蓋をして、ひたすら無感情に、無感動に、無表情になって行くテラ。
その心を自分の事として体験する事が、俺自身の心を抉った。
目の前にテラがいた。テラは空から聞こえた声に気を取られていた。けれども、気を取られていたのは俺がテラの過去を体験していた一瞬だけで、既にテラの目は俺を捉えている。俺に迫る。けれども、その迫る速度が遅い。スローモーションの様にゆっくりと俺に向かって走って来る。
テラ以外はみんな止まっていた。いや、止まっているんじゃない。時間の流れがおかしい。流れがゆっくり過ぎるから、みんな止まって見えて、素早く動くテラだけが、ゆっくりと動いて見えているんだ。
「オイ」
突然、耳元で声が聞こえた。低い男の声。
驚いて肩がビクッとなってしまった。視線を横に動かすと、そこには一羽の鳥がいた。左右の翼を真っ直ぐ一直線に開いた、大きな茶色い猛禽類。鋭い鉤爪を俺の肩に置いて掴まり、その鉤爪の様に曲がった嘴を耳元で開く。
「一度しか言わない、よく聞け。テラの過去を引き寄せた。見ただろう?」
鳥が喋っていた。その鳥が何者なのか、何故喋るのか、今何が起こっているのか、聞きたい事は山程あった。
けれども俺は、理由は分からないがそれを聞く事を許されないと思った。だから、俺は黙って頷いた。
「過去を引き寄せた代償として、今から引き寄せた過去と相応しいだけの未来を引き寄せる。それで何とかしろ。それ以上は何も出来ん。全く・・・何故俺を呼び寄せる。こんな事に手を貸したと知られたら、立場が無いではないか。2度と呼ぶなよ」
鳥は、そう言って俺の肩から飛び立った。
途端に時間の流れが元に戻る。テラの速度が上がった。周囲の喧騒が聞こえて来る。マージュが何かを叫ぶ。風が流れる。木の葉が騒めく。
俺の心臓が、ドクンと一度大きく鳴った。一度の鼓動で多量の血液が体内を巡るのを感じる。巡る血液が、俺の体を強くするのを感じる。指先まで痺れ渡る鼓動と時の流れ。目の神経が震えてよく見える様になる。素早いテラの動きが見える。
テラの手が、俺の首を掴み上げようと伸ばされる。俺はそれを右側に移動して避けた。避けてそのままテラの背後に回り込む。黒いモヤに覆われたテラの大きな背中。複雑な黒い模様が刻まれたその背中の右肩辺りに刺さって見える、より純度の高い黒の棘。棘から感じる俺個人への恨み、嫉妬、そして悪意。その悪意を、俺は知っていた。
・・・耀だ・・・。
幼い頃から一緒に過ごした双子の片割れ。
唇を噛み締め、両手を強く握り締めて、恨めしそうに俺を睨む耀の姿が脳裏に浮かんだ。
「晃はいつもズルい!」
目の前に居る訳でもないのに、子供の姿でそう言う耀の声が聞こえる。
何言ってるんだよ。いつもズルいのは耀、お前だろ?何でも許されて、何でも恵まれて。
そう思った時、テラの太い腕が俺の頭に向かって来た。振り向きながら体を捻って俺を殴ろうと狙って来る。
俺は上体を逸らしてそれを避けた。そのままの勢いで両手を地面に付いてバク転して、後方に大きく飛ぶ。飛び降りた先で顔を上げてテラを視界に収める。テラは、もう俺のすぐ目の前まで迫っていた。再び迫り来る手は、首を掴もうとしていた先程とは違って硬く握られている。
殴りに来ている。そう思って、俺はその拳を右手で受け止めた。強い力だ。でも大丈夫、止められる。
止めてそのまま右に受け流して、そして体制を低く、一旦しゃがんでから膝をバネにしてテラの腹に頭突きを喰らわす。
重・・・。
怯みそうになるものの、そのまま根性で突き上げた。
「ぅおりゃー!」
「・・・っ!」
テラは息を飲んで背後に下がりタタラを踏んだ。
効いてる。
トールでさえも相手にならず、一瞬で弾き飛ばされて気絶させられた相手と渡り合えている自分に少し驚く。
『過去を引き寄せた代償として、今から引き寄せた過去と相応しいだけの未来を引き寄せる。それで何とかしろ』
さっき鳥が言った、引き寄せた『未来』がこれなのか、と思う。そうだとしたならば、俺は何年かしたら、こんなに強くなるのだろうか。
思わず口元が緩んだ。
俺、強くなるんだ・・・。
瞬間、首の後ろにヒヤリとした感覚が走る。咄嗟に地面に這いつくばった。体制を持ち直したテラの手刀が襲って来ていたのだ。地面スレスレまで体制を落とした俺は、そのまま左に転がってテラが踏みつけようとした足を躱す。躱した先で素早く起き上がると、今度は気を抜かずにテラの動きを見定める。
向かって来るテラを躱して背後に回り込むんだ。そしてあの棘を抜く。そうしたらテラの活性化が解けるかも知れない。
そう思って身構える。テラが動いた。
テラの動きは真っ直ぐだ。目的である俺に向かって、何の迷いもなく一直線に向かって来る。
それが活性化の所為なのか、或いは本来の性質なのかは分からない。良く言えば素直、悪く言えばイノシシ。
来い。
俺は油断無く構えた。テラの目を真っ直ぐに見て。
が、それが良く無かった。
テラの髪がうねる。波打って先端だけが揃って俺に向く。
「!」
メデューサ。ギリシャ神話に出て来るバケモノ。その目を見た者は石になってしまうという有名な話。
テラの目で過去を見て知っていた筈なのに、すっかりと忘れていた自分に呆れる。
テラは、目が合った相手を石に変える事が出来るんだ。射程範囲がどのくらいかは分からないけど、目を見るのは危険だ。
俺はすかさず回れ右をして、テラから距離を取ろうと走り出した。走ってデカい岩を見付けると、その裏側に隠れる様に逃げ込む。
落ち着け、落ち着け俺。
メデューサは、英雄ペルセウスによって倒される。ペルセウスは青銅の盾に写したメデューサの姿を見ながら、その首を切り落とすのだ。
何か、写すもの写すもの・・・。
辺りを見回すが、コレといった物は見つからない。俺は自分のズボンのポケットやら懐やらを探ってみた。制服の上着の内ポケットの中に手を突っ込んだ時に感じた硬い感触。
・・・コレ、使えんのかな・・・?
一瞬固まる。
岩の向こうにテラの気配を感じた。
迷ってる暇は無い。
俺は、ソレを取り出すと両手で持ち覗き込んだ。




