21、未来詠みの姫
扉を開けると、祈りを捧げる娘がいた。娘は振り返って俺を見る。
「テラ・・・」
浅黒い肌に艶やかな黒い髪。俺を見上げる瞳には、既に覚悟が見える。
「ドニ・・・」
ドニ。友人の妹、俺の花嫁だった。
「お前の兄は、俺の大切な物を壊した。俺の心があいつには分からないのだ。済まないがドニ、俺は・・・」
「分かっています」
俺の前まで歩み寄ると、俺の腕に自分の手を添えた。俺の肌に浮き出た黒い紋様も、俺が持つ黒い剣も、全て分かっているのだろう。
ドニは『未来詠み』だ。未来の事が見える。無数に伸びる未来への道を選び取る手助けを、俺も過去に何度もしてもらっていた。
「私にとって、1番マシな未来です。テラ、今日この扉を開けて私に会いに来るのが、貴方で良かった」
ドニは言いながら俺の腕に頬を寄せた。暖かい。
「500年なら、再び相見えましょう。1000年なら、今生の別れとなります」
「・・・期限をつけろと?」
「それが、テラにとって一番マシな未来に繋がります。テラの死によっても解けない呪いを。解くには時の経過のみ。そうする事で、テラの護りたいモノは護られます」
ドニの両手が俺の頬に伸びた。俺の頬を引き寄せて自分は背伸びをする。顔が近付く。恐れずに、俺の目を見詰める。
「ならば1000年」
俺はそう答えた。500年よりも1000年の方が、友人に多くの苦痛を与えられる。
俺のその言葉に、ドニの目から涙が流れた。
500年を過ぎ1000年を迎える前に、俺は死ぬのだろう。それでも構わなかった。そして、1000年の後に目覚めるドニとは、2度と会えない。
「分かりました。では、呪った後に私を母様の元へ連れて行ってください」
「・・・あい分かった」
友人は、マーリの家族を傷付け、命を奪い、築き上げた絆を壊し、導いていた領に大き過ぎる損害を与えた。
たかが俺を呼び戻すだけの為に。
俺の大切に想う物を壊した。
ならば、俺も友人の大切な物を奪おう。
友人が、他の誰よりも愛する妹を石に変えて、共に生きる時間を奪おう。
苦痛には、苦痛を。
俺は、ドニを石に変えた。身体の先から硬く冷たくなって行くドニ。なるべく痛く無いように、なるべく寒く無いように、丁寧にそして早く、俺は呪いを掛けた。
「テラ」
呪いが顔に届く寸前に、ドニは言った。
「伝えるのは酷ですが、言います。貴方が思うよりも、私は貴方を愛していました。これは私から貴方への罰です。自分を想う者に呪いを掛けるという苦しみを抱えて、今後の生を過ごして下さい」
言い終わりの形のまま石になる口元。
苦痛も何も感じさせない表情のまま、俺への愛と罰を吐き出したままの形で時を止めたドニ。このままの形で1000年を過ごすドニ。
俺の目と脳と心臓に、その光景は刻み付けられた。
「それで、おめおめと石にした花嫁を届けに来たと?」
聖母は目を細めて俺を見下ろした。
「おめおめと、では無い」
「では、どういう心算か」
「ドニに頼まれた」
淡々とした俺の答えに、呆れたように溜め息を吐く聖母。
「本当に出来た娘だ。テラ、全てがお前の為だと言う事が分かるか?」
投げ付けられたその言葉を受け止めて、俺は聖母の顔を見た。
俺の、為・・・?
分からないまま、聖母の顔を見続けた。
「まぁ良い。ナバラに戻るのであろう?では戻ったら2度と領内から出るな。それが、娘に呪いを掛けられた母からの、お前への罰だ。ナバラに生涯を賭けよ」
「・・・言われるまでも無く」
罰でもなんでも無い。最初からそのつもりだった。
「悪意に操られたナバラの人間を止め、被害を最少に防いだ功績への褒美に何を望む?」
褒美?俺は、褒美を貰える様な事をしたのか?いや、そんな事はしていない。むしろ裁かれるべきだ。
「俺が戻らなかったから起きた悲劇だ。俺の所為だ。褒美など貰える道理は無い」
「いや、お前の所為では無い。強いて言えば、その棘と剣の所為だ。お前は悲劇を止めたのだ」
聖母の言葉を聞き、俺は気付いた。
この出来事は、何者かの所為であってはならないのだ。人間を守り、世界の外側に住む者も守る為には、誰かを悪者にする訳にはいかない。その方が都合が良いのだ。
聖母が今ここでそう決めれば、それが真実になる。
俺は功労者で、ドニへの呪いはまた別の件。そう言う事だ。
では・・・。
「アーロが、2度とナバラに手を出さぬ様、命じて貰いたい」
俺は言った。言いながら思う。
成る程、全て俺の為だ。俺の利になる事しかない。
「それは出来ない。アーロは私の子では無いのだから。命じるなど見当違いも甚だしい」
友人アーロとドニは、父は同じだが母は違っていた。ドニの母は聖母、アーロの母は聖女だ。
「だが約束しよう。アーロがナバラに手を出す時には、助ける」
俺は頭を下げて感謝を表す。
感謝しながら、苦しくなる。全てがドニの掌の上だ。
俺は、頭を下げたまま顔を上げる事なくその場を辞そうとした。
「待て」
聖母が俺を呼び止めた。振り向き見上げると、聖母は、上に向けた手の平を俺に差し出していた。
「その剣と棘を預かろう。お前の悪意が注がれ、我らをも殺せそうだ」
手の中に握り締めたままの剣と棘を見た。元々帯びていた黒いモヤに加えて、俺の悪意が加わり闇色に輝いていた。
俺は一度引き返して、聖母に剣と棘を渡した。
その時、聖母が俺の腕に触った。黒く浮き上がった紋様をなぞる。
「一度悪意に触れた身は、悪意に支配され易い。注意せよ」
「・・・」
俺は何も言わず、聖母から離れた。
ナバラは酷い有様だった。
2番目の兄の手によって多くの命が奪われてしまった。領主の一族で生き残ったのは、マーリとその子供が4人と、3番目の兄と、命を奪った2番目の兄だけだった。それぞれの伴侶も死に、3番目の兄は深い傷を負っていて、出血が多く意識が無かった。
「戻って来てくれて、良かった」
マーリは俺を迎え入れてくれた。身体中に黒い紋様が有り、髪がヘビになっていても、マーリは変わらず俺を見て、縋ってくれる。
「私が領主の座を継ぎます。テラ、手伝ってくれますか?」
勿論だ。その為に戻ったのだから。
それから50年、マーリは領主としてナバラ領を治めた。2番目の兄を投獄し、3番目の兄を隠居させ、4人の子供達を次代の領の運営者として育て上げた。
俺は常にマーリの横に居て、彼女が迷い悩んだ時に道を示し、必要な時に手を貸した。
兵を鍛え、銀鉱を示し、そしてとうとう鉱山が枯れた時には、掘り出してある鉱物を美しく加工する技術を教えた。手先の器用な領民は多くて、教えた事を素直に聞き、そして次の代へと伝える仕組みを作った。
マーリが子供達に領主の座を譲ってから12年が経った。
「・・・テラ」
マーリが消えそうな細い声で俺を呼ぶ。もう、大きな声は出せないのだ。
「なんだ」
返事をしてマーリの顔を見る。呼吸が苦しそうだ。もう、長くない。
「子供達を呼ぼう」
俺は、そう言って立ちあがろうとした。けれども、マーリが俺の腕を掴んでそれを止めた。
「いいの。呼ばないで」
そう言って、俺の手を握る。
俺は、座り直してマーリを見続ける。刻まれた皺は深く、マーリの長く、決して平坦では無かった人生を物語っていた。子供達を愛し、家族を愛し、領を愛し、全てを捧げ尽くしたマーリ。その全てが美しく、そして完璧だった。
「テラ、最期にどうしても伝えたくて」
節目がちに呟くマーリ。俺は、静かに聞いた。
「貴方は、初めて会ったあの時から、私の言葉を一度も否定せずに、全てを肯定してくれました。周りの者が誰も聞き入れてくれなかった事も。泣き言も沢山聞いてくれましたね。私は本当に嬉しかったのです」
一度言葉を切って息を吐くマーリ。呼吸を整えて、そして俺を真っ直ぐに見詰める。
「私は貴方が好きです。誰よりも愛しています。本当は、貴方と結婚したかった。でも、貴方が普通の人では無いと分かったから諦めました。とても私の様な普通の人間を相手にする様な存在では無いですものね。老いて行く私に比べて、少しも姿の変わらない貴方。見る度に、苦しみと共に、貴方にこの気持ちを打ち明けずにいて良かったと安堵しました」
俺は、耳を疑った。
マーリは、他領から迎えた婿を愛していた筈だ。子供達と家族と、領を愛して、惜しまない愛を注ぎ、全てを捧げていたではないか。
それなのに・・・。
「こんなおばあちゃんになってからで、ごめんなさい。それでも、どうしても伝えたかった。テラ、今まで本当にありがとう・・・」
何故か、ドニとの別れの時を思い出した。




