19、銀に誘われて
人の肉を食うのが流行っていた。他の動物とはひと味違い、煮ても焼いてももちろん生でも、何をしても美味いという噂を聞いた。俺は食には然程興味が無かった。けれどもそんなに美味いのなら一度位は食ってみるか、と、人を狩に来たのがきっかけだった。
中でも肉質が高いと評判だったのが、聖母の世界の真ん中の国。どんなものか、と空を飛び回っていた時、なんとも言えない良い匂いに誘われた。
俺は食い物よりも、宝石や銀や銅などといった鉱物の方が好きだった。特に銀には目が無く、眺めたり手に持ったり、細工の細かい装飾品を身に付けるととても気分が高揚した。質の良い鉱物はとても良い匂いがして、俺や俺の血族は側にいるだけで酔うのだ。
上質な鉱物の匂いに釣られて、俺は空から舞い降りた。
地上には、何故か、純度の高い銀の塊が置かれていた。鉱山から掘り出して、製錬、精錬を繰り返し、純度を高めたであろう滅多にお目にかかれない上物の銀。
そこには先客が沢山いた。俺の様に鉱物が好きな連中で、背中に虫のような羽を生やし老人の様な姿をしている。グレムという名で呼ばれるそいつらは、鉱山や河原に現れては、粒の様な金属や鉱物、鉱石を拾い集める癖があった。
グレム達はそれぞれ、銀塊に頬を擦り付けたり、鼻をくっ付けて匂いを嗅いだり、両手で抱えきれない程の大きさで自分よりも重たいであろうに、何とか持ち帰ろうと悪戦苦闘していた。
俺もそこに混ざり込み、銀塊に手を伸ばして指先で触れてみた。体がジンと痺れる。同時にフワリと鼻孔を突く香り。
良い匂いだ。
俺は目を閉じて銀に酔った。
その時、地面が揺らいだ。揺れて銀塊に引き寄せられる様に集まって、グレム達と共に団子の様に丸く一塊になる。外側に網が見えた。どうやら銀を餌に張られていた罠に捕らえられてしまった様だ。
我先に逃げ出そうと暴れるグレム達。それらを押し退けて俺は外側に移動した。そして網の外を見る。そこには鎧に身を包んだ人間が2人居て、俺を指差して目を見開いている。
「何だ!違うのが混ざってるぞ。人間か?」
2人のうちの1人がそう言った。
人間を食いに来たと言うのに、その人間に捉えられるとは。
俺はそう思って笑ってしまった。
やれやれと思い、取り敢えず外に出るかと動き始めた時だった。
「貴方方、またこの様な事を・・・。あれだけやめる様に言ったのに何故聞き入れないのですか?」
俺を指差す人間達の後ろから、凛とした声が響いた。
美しい声だ。
俺はそう思った。
その声の主は怒っていて、大股で鎧の人間を押し退けて網の前まで来ると、持っていたナイフで網を切り始めた。穴が空き広がりある程度の大きさになると、グレム達は身を捩って抜け出し始め、1匹、また1匹と飛んで逃げて行く。
「ああ、マーリ様お止め下さい。せっかく捕らえましたのに」
慌てる鎧の人間達を無視して穴を広げ続ける娘。グレムが全て居なくなったところで手を止め、そして俺を見た。大きく丸く潤んだ青い瞳、小さく整った唇と鼻。白い肌に黒く長く艶やかな髪。
美しい娘だ。
それが、俺とマーリとの出逢いだった。
「グレムという魔物は鼻が良くて、鉱脈を探り当てるのが得意なのだそうです」
必要無いと言うのに、マーリは俺が捕らえられた時に擦り切れた腕や脚の手当てをした。一つ一つの傷を綺麗な水で洗い、清潔な布で覆い、丁寧に強く縛っていく。
マーリは治療をしながら経緯を話した。
「ああやって銀塊を囮に捕まえて、口と足を鎖で繋いで鉱山を案内させるのです。水も食料も与えずに」
グレムは元々何も飲まないし食べない。活動のエネルギーは、呼吸する事で大気から得ている。だがこの聖母の世界の大気は薄く、グレム達はこの世界に長く居る事が出来ない筈だ。グレムはそもそも魔物ではない。俺と同じくこの世界の外側の生き物だ。まぁ、この世界の人間からしてみたらどちらでも大した変わりはないのだろうが。
「ひと月も働かせると気が荒くなり、暴れて手がつけられない様になるのです」
飢えたらそうなるだろう。
「なので、そうなる兆しが表れると殺してしまいます。あちらをご覧下さい」
マーリが西側の空を見上げた。そこには細長い一本の煙突があり、その先からはゆっくりと黒い煙が登っている。
「死んだグレムを燃やした煙です。領主の座を継いだばかりの兄は、今までの父を越えようとして鉱山の掘削を急いでいます。より多くのグレムを捉えて使役し、殺しているのです。これではまるで命の使い捨てです。この様な残酷な事を続けては、きっと聖母の怒りを買うでしょう」
グレムは銀の探し手としては優秀だろうし、そこまで凶暴でも無いから人間にも扱い易い。悪く無い方法だ。
聖母がどれ程人間贔屓かをマーリは知らないのだろう。聖母がこの状態を知ったとしたら、手を叩いて喜ぶに違いない。「よくぞ思い付いた。素晴らしい」と。むしろ、飢えた程度で人に牙を剥くグレムの方を罰するかも知れない。
「何よりも、グレムが可哀想だわ」
そう言って暗い表情をするマーリ。1番の理由はそこか。
俺はそう思って息を吐いた。マーリは、自分達の利益の為に他の命を犠牲にする事に罪悪感を感じるのだ。
グレムは誰かが狩らないと増え過ぎるような生き物。気にすることもないのだが・・・。
「そんなにグレムが可哀想ならば、俺が銀を探してやろうか」
気付くとそんな事を口走っていた。
「え?」
驚き顔を上げるマーリ。その綺麗な目に見つめられるのは悪く無かった。マーリの不安や不満を俺が解消してやる。それも悪く無い。手伝ってやろう。
人の肉を食う。
そんな事はもうどうでも良くなっていた。
「このまま真っ直ぐに600掘れ。そうすれば銀脈に当たる」
俺の指示通りに鉱員達が動く。最初こそ不信感を隠さず反抗的だった者達も、2度3度と良質の銀脈を掘り当てると素直になった。
グレム達は喋らない。本能的に銀に引き寄せられているだけだから、質の良い悪いに関係無く方向だけを示す。だから苦労の割に利の少ない事も多かった。比べて俺は、質の程度から銀脈までの正確な距離まで分かるのだから、どちらが良いかと言われたら答えは簡単だ。
この領で、グレムを捕まえて使役する事は無くなった。
マーリを介しての会話がほとんどだったものが、次第に直に話す様になり、鉱員との間が深まると、俺はもう鉱山に潜らなくても図面を示すだけで良くなった。余った時間を兵舎で過ごす事になったのは、その当時の兵のトップであるマーリの3番目の兄に興味を持たれたからだった。
「テラはいい身体をしているな。上背もあるし、一度うちの兵と手合わせしてみないか?」
そうして呼ばれた訓練場で、俺は兵団の代表と戦った。お互いに木の棒を持ち、先に頭か腹周りか、ふくらはぎを打った方の勝ちというものだった。
相手の構えはなかなかで隙が無く、悪く無かった。が、それはあくまでも人と人が戦う場合に限った事で、オレに対してだと意味が無い。
「・・・」
一向に打って来ない相手の頭を俺は棒の先で突いた。コツンと一発突いて、そしてヘソの辺りを突き、後ろに回って右ふくらはぎの真ん中を突いた。
静まる外野。俺は3番目の兄に木の棒を返しながら聞いた。
「どうしたら良かった?」
正解が分からなかった。マーリの兄だ。希望は叶えたい。
呆気に取られ何も言えなくなっていた3番目の兄がハッとして俺を見る。
「凄いな、予想以上だ。テラ、もし良かったらここで兵達に稽古をつけてくれないか?」
「・・・良いだろう」
それから俺は、兵達一人一人の動きを見て悪い所を直させたり、相手によって変わる効率の良い戦い方や戦法、単独の敵と対する場合、こちらが多数だったり、向こうが多数だったりと、色々な場合の対処法等、色々な事を教えた。
ナバラは、良質な銀を産出し、強い兵を待つ、他に類を見ない素晴らしい領になった。
「テラ、探した」
マーリが他領より婿を取り、5人目の子供を産んだ頃、友人が訪ねて来た。
「人を食べに行ったっきり音沙汰が無いものだから、食人禁止令が出たのも知らずに貪り食っているのかと心配した」
「そんなものが出たのか」
「・・・やはり知らなかったか」
溜め息を吐きながら俺を見る友人。
「何の用だ」
俺は聞いた。
「何故、帰って来ない?俺の妹が待っている」
それを聞いて思い出した。俺はその友人の妹と婚姻を結ぶ約束をしていたのだ。
「15年。俺の妹はずっとお前を待ってるんだぞ。何をしていたんだ、こんな人間の住処で。なんだ?ここはお前の部屋か?ここに住んでいるのか?」
「ああ、住んでる」
「何故だ。人を食ってる様子も無いのに。こんな、人間しかいない所で」
その時、庭から子供の声が聞こえて来た。キャッキャっとはしゃぐ幼子をあやす、少し年長の子供達の声。そして、その母親であるマーリの声。陽だまりの中、美しい草花に囲まれた美しい子供達と美しいマーリの姿。
俺は、その景色を見る事が最上の喜びだった。
「・・・あれが原因か・・・」
友人は、その言葉を残して姿を消した。
「・・・」
俺の中に、不安が芽生えた。




