15、森の失踪事件
「・・・」
生まれて初めて、足がすくんだ。こんな事は初めてだった。森の入り口、木々の生え始めるその前で馬を止め、その場で俺は動けなくなってしまった。
「アキラ?」
森から一歩入ったところからトールが俺を呼ぶ。
「・・・ゴメン、俺入れない・・・」
息が苦しい。吸い方と吐き方が分からなかった。そして何故かデコが痛い。
異変を感じてか先を行く馬車が止まる。扉が開いて中から領主の妹の方が出て来た。俺の横に来てくれる。
俺は馬から降りて森を見上げた。
何の事はない。単なる木の集合体。多種の木々が鬱蒼と生え、馬車や馬の行き来する道を除いて他は落ち葉が積み重なって土が見えない。馬車が止まってしまえば音もなく、時々吹く弱い風に揺れる葉擦れが響くだけだった。
鳥や小動物の気配も無い。その静かさが怖いのだろうか・・・。いや、違う。何か、いる気がする。気配や息遣いを感じるとか、そういうんじゃ無い。このまま先に進む事を体が拒絶している。今のままの状態で進んではいけないという事を、頭じゃなくて体が知っている。だから足が動かない。
領主の妹が俺の腕に触れた。そして俺を見上げて声を掛ける。
「森の異様さが分かりますか?と言っています」
トールが訳してくれた。
昨日までは普通だった、と領主の妹マージュは言った。朝起きると朝日を浴びて輝く筈の森の緑がくすんで見えた。変だと思い耳を澄ませても、鳥の声や小動物の気配が無い。城の馬や猟犬達も様子がおかしく、夜間に番をしていた兵に聞いてみると、夜中森の中で大きな音がしたという話だ。音がした場所は城から少し離れたところにある祠の辺りで、そこで何かあったのかと人をやって見て来させるものの、おかしな所は何も無かったらしい。
「祠って?」
「ナバラ領の守り神の祠だそうです」
神様か。
「ナバラ領は、古くから神に護られた地です。神殿こそ有りませんが、神が住い領民を護り助けています。なので、活性化した魔物の被害も今迄一度も無かったのです。それなのに、郊外で近頃被害が出始め、そして今朝から森がおかしい。大きな音がしたのは神の住む祠。何もない訳は無い、と領主のマールス氏が兵を連れて直に見に行き、そしてマールス氏だけが行方知れずになってしまったと」
「え?なにそれ大変じゃね?」
「はい。私も今聞いて驚いている所です」
「じゃさ、ハザンが向かった芋の方も、大元はこっちにあるかも知れないじゃん。先に言ってよ」
俺の言葉をトールが伝える。
「事が事だけに公衆の面前で言う訳にはいかなかったと。王城に助けを求めたものの、領主が行方不明という事を知られる訳にはいかず、そこを伏せていたから聞き入れてもらえなかったそうで」
「・・・そりゃそうだろうよ・・・」
「兄を助けて下さい。そう言ってます」
そこは訳してもらわなくても分かった。
さて、どうしたものか・・・。
「まずさ、領主行方不明なんだろ?それマズいから、変に隠さないで王城に報告したら?で、捜索隊送ってもらいなよ」
俺は率直に思った事を言った。そもそもなんで隠すんだか。
「とんでもない。神の護りも無く領主も不在と知れたら、攻め入られてしまいます」
攻め入られるって、穏やかじゃないな・・・。
「弱み見せたら攻め込まれるような国なの?ここって」
トールにそう聞いてみた。
「同盟を結んででもいなければそうなるでしょう。ナバラは神頼みでしたから孤立無縁。国外から攻め入られれば軍が出ますが、他領との内乱となれば、余程の事でも無ければ国として介入する事も有りません。負ければ属領となるか吸収されるかですね」
「そうなのか。思ったより崖っぷちだな」
思って俺は腕を組んだ。足は動かないが腕は動いた。
では、この状況を何とかするには・・・。
「じゃあさ、この森と周辺の詳しい地図くれない?後この領の兵ってどのくらいいるの?俺が指示して動いてくれるかな?」
「地図と兵ですか?」
「うん。俺森ん中入れないから、外から指示するしか出来ないじゃん?」
トールが俺の言葉を訳してマージュに伝えてくれる。と、その時。
遠くの方から金属を引っ掻く様な悲鳴の様な、奇妙な音がした。その音は凄い速さで近づきつつある様で、どんどんと大きく煩くなっていく。
「な・・・」
なんだ?と言おうとした。その瞬間、
空から落っこちて来た。巨大な鳥と、その鳥にヘッドロックを決めたハザンが。
周囲の草木を全部薙ぎ倒し、とんでもない量の砂煙りを巻き上げて、ドシャッという大きな音とズシンという振動を響かせ、たった今俺が立っていた場所が見えなくなる。
俺とマージュはトールに抱えられてその場から飛び退いた。馬達は驚いて森の中に投げ込む。馬車も進んで逃げ、見えなくなった。
砂煙りの中から抜刀する音が聞こえた。同時に砂利と砂を踏み締める音も響く。ギャーという耳を劈く鳴き声と共に巨大な翼が羽ばたく風圧。小石や砂が容赦なくぶつかって来る。腕を顔の前に掲げて直撃を避けるものの、すり抜けて当たるのは防ぎきれない。
横からキャッという小さな悲鳴。マージュは腕や肩が露出した服を着ていた。当たったら怪我しそうだ。そう思って俺はマージュを抱き込む様にして小石や砂から彼女を守った。
「アキラ、そのまま少し下がって下さい。まだ来ます」
トールが切迫した声でそう言い、俺達の前に立って抜刀した。上からまた、あの金属を引っ掻く様な嫌な音が迫る。見上げると4つの影があった。
俺はマージュを連れて森の入り口ギリギリまで下がった。
活性化した鳥型の魔物。砂煙りの中でハザンが1匹と格闘しているそこに加勢する様に、上から1匹滑降して来た。嘴から体を細めて空気抵抗を最小限に抑えてスピードに乗る。鍵の様に曲がった嘴と焦げたみたいな茶色い体が速すぎてブレて見えた。
そいつが地上に届く前に、トールがそれよりも速いスピードで飛び掛かった。落ちて来た巨鳥の2つの目を正確に切り裂く。飛び散る赤い血と、ギャーという巨鳥の叫び声。首から地面に落ちたそいつは、振動と共にグキッという嫌な音を立てて少しの間のたうち回り、そして動かなくなった。
それとほぼ同じタイミングで、砂煙りの中からザッという音が響き、ドシンという振動が2回響く。砂煙りが落ち着いて引くと、頭を斬り落とされた巨鳥が血溜まりの中に倒れていて、横に返り血を浴びて真っ赤に染まったハザンが立っていた。
やべー、2人共カッコいいわ。
思わず感心してしまった。
と、残りの3匹が嫌な音を立てて、スーッと逃げて行った。
ハザンが空を見上げて呟く。多分「逃したか」と言っているのだろう。
「あれが畑荒らした犯人?」
俺も空を見上げてそう言った。
俺の言葉にハザンはこちらの言葉で答える。それを通訳するトール。このワンクッションは無くならないのか。無駄だ・・・。
「あれは畑を荒らす別の魔物を捕食しに来ているそうです。魔物の数がやたらと多いと。畑を荒らす魔物が5〜6種、それぞれが二桁の数いるようです。今の鳥型の魔物の様に、それらを捕食する魔物も一種類では無く、数も少なくない。・・・多過ぎますね・・・。こんなに数多く一度に出るなんて、聞いた事がないです」
ハザンの言葉に自分の感想も加えてそう言うトール。
「今迄は魔物なんて殆ど出なかったんだろ?護り神に何かあったせいでその反動で一気にいっぱい来たのかな」
そう言った俺の言葉に顔を上げるハザン。神様関連の話はまだ知らないのだからまぁそうなるよな。
「ハザン、この森の異常と畑の魔物活性化、関係あるみたいなんだよ」
俺のその言葉を聞いて、ハザンは俺を睨んだ。そして、俺の腕の中にいるマージュに向かって話し掛けた。多分森の異常について聞いてるんだろう。
マージュは、血塗れのハザンに怯えて少し震えた。言い方も威圧的で怖いのかも知れない。言い方だけじゃ無くて顔も怖いか。
「昨日の夜中にさ・・・」
俺は、彼女に代わってハザンに伝えた。又聞きで若干内容にズレが生じそうだけど、怯えてる子に説明させるよりマシだろ。
説明していると、森から馬車が戻って来た。反対側からは、ハザンと一緒に芋畑に居たであろうナバラ領の兵達が巨鳥とハザンを追い掛けてやって来た。
御者にマージュを任せて、俺はトールとハザンと兵達とで、この領内の地図を見ながらこれからの対策を話し合った。




