元勇者と魔王の娘の思い出レシピ
久しぶりに父上に呼ばれた。
私は上機嫌で、でもそれを表に出さないように気を付けながら、父上の前に立った。
父上は、魔王城の最上階にある玉座に、いつものように腰掛けていた。
いずれ、私も座るところ。
いつもと違うのは、見慣れない人間がいたことだった。
私たち魔族は灰色の肌と、尖った耳を持つ。その二つの特徴がないのが、人間だ。
ぼさぼさの赤毛の、やたら逞しい体つきの女が、玉座の下に胡坐をかいて座っていた。
なんだこの女は、と私は顔をしかめた。
「カルラ、この魔術書の解読をお前に命じる」
そう言って父上、魔王テオフィロは私に一冊の本を寄越した。
手渡しではなく、魔術によって浮遊させ、ふわりと私の手元に降りてきた。
魔術書、という割には貧相な装丁の薄っぺらい本だった。中身を見れば、全く読めなかった。魔術的な封印がなされているようだった。
「それから、この者を供とするように」
父上は、目線だけを大あくびしている女にやった。
「は!?」
「よろしくね~、娘チャン」
女は暢気に手を振る。
「何なのですか、この者は?」
「『勇者』だ」
父上は何でもないことのように言った。
「は!?」
数年前まで、私たち魔族は人間との戦争をしていた。
魔族は大陸の北部に、人間は南部にそれぞれ国を築いていた。大陸の中央を分断するように広がる魔の森が、魔族と人の境界線だった。
しかし、突如として人間たちは魔の森を越え、魔族の国へ侵攻してきた。その先鋒を務めたのが「勇者」と人間たちが呼ぶ者たちだった。脆弱な人間でありながら、魔族と対等以上に戦える人間の戦士。それが勇者だ。
「勇者」は一人倒しても、すぐに新しい「勇者」が現れた。まるで死体にたかる蛆虫のようだ。
私は、人間との戦争が始まってすぐに王城から出されたから、実際に勇者を見たことはなかった。
戦争は魔族の勝利で終わった。
「な、なぜ勇者を生かしているのですか!?」
「生かしているわけではない。この者は殺せないのだ」
「そーそー。あたし二重に呪われた結果、不死になっちゃってさあ」
「は!? な、ならせめてこの者は拘束すべきでは!?」
女は武器を携帯していないものの、拘束具などは付けられていなかった。
「あたし別に復讐とか考えてないんで~ まあ、敗者は勝者に従うってやつ。ネッ、魔王サン? というか娘チャンと話しときなよ。親子のコミュニケーション足りなくない?」
「……そういうわけだ。この者に我々への害意はない」
「父上!?」
そうして私は、この勇者と二人、何だかよくわからない魔術書の解読をさせられることになってしまった。
父上は、父である以前に魔王だ。魔王の命令は絶対だ。
「娘チャン、溜め息ばっかつくとしあわせ逃げちゃうよ~」
「……何ですかそれ。意味が分かりません」
「あ、知らない? 人間に伝わる迷信なんだけど」
私は仕方なく、この勇者を自分の工房に連れてきた。
私は魔術師だが、実践よりも研究に重きを置く方なので、大抵はこの工房の中で全て事足りる。
勇者はその辺にあった椅子に勝手に座り、物珍しげに工房を見渡している。
私は改めて魔術書を調べた。
読めなくしている魔術書なんていうのは珍しくもない。だが、魔王に直々に解読を命じられ、人間の勇者というオマケ付きなのだから、曰くつきであることは確実だろう。
魔術書というのは、ただ魔術の技法が書かれた書物というだけではない。魔術そのものを封じ込めている。魔術ならば、同じ魔術で対抗すればいい。
なので、私は魔術を探る魔術を、書物にかけた。
私は攻撃魔術も、防御魔術も、回復や補助の魔術も苦手だが、魔術を探る魔術だけは大の得意だった。
まあ、魔王の子としては残念な感じだと自分でも思っているけれど。
「地点指定……? え、そんな単純な」
「お、娘チャンなんかわかった?」
「……その呼び名やめてください」
「わかった。名前なんだっけ?」
「カルラです」
人間の、しかも勇者になんか自分の名前を教えたくなかったが、仕事と割り切る。
「カルちゃんね。あ、そうだあたしも名乗ってなかった。アリサだよ、改めてよろしく」
「その呼び方も……」
「あれ、かわいくない? カルたんにする? カルルーとかもいいなあ」
「最初のでいいです……」
「おっけー。で、何わかったの?」
勇者になんかに教える筋合いはない、と言おうとしてその言葉を呑み込む。
「……この魔術書は特定の場所に行けば封印が解けるようです」
「へー どこに行けばいいの?」
「それが……わからないんです。ただ全て開放するには複数の場所に行かないといけないようです」
ヒントになるようなものがないか、私は改めて魔術書を探る。しかし、それらしきものは見つけられず、私は思わず顔を顰めた。
すると、アリサが言った。
「行き詰まった感じ? あたしにも見せてよ」
手を差し出すアリサに、私は躊躇したものの、結局魔術書を手渡した。
アリサはパラパラと捲る。
「ふーん、なるほどね」
「読めるんですか?」
「ううん、まったく」
何なんだ、この人間。
「でも、ここの絵、見覚えがある」
「え?」
そう言って、カルラは魔術書を開いて、とあるページを指し示した。
私が見たときには、読めない文字以外何も無かったはずのページを。
そこには鄙びた村らしき風景画が浮かび上がっていた。
「うそ!? こんなのなかった」
「うん、なんかさっき現れた」
私はその挿絵を再度眺める。
海に面した小さな村だ。特徴らしき特徴はないように見える。
「ここ……どこなんですか?」
「えっとね、えー、あ、あれだ旅立ちの村的なやつ!」
「はあ?」
「そうそう、ここ! 始まりの村」
「……ケープ村ですね」
あのあと転移魔術で、私たち二人はここに移動した。
ケープ村は、大陸最南端にある人間の村だ。もちろん、魔族の支配下にある。
「始まりの村」という名は勇者が最初に訪れる街であるため、そのように呼ばれるようになったらしい。
勇者は異世界から召喚される。召喚自体は村のすぐそばの岬で行われるらしい。そこに古代から伝わる召喚の陣がある。いや、あった。当然魔族によって徹底的に破壊されていた。
「なっつかしーなー」
アリサはきょろきょろと周りを見渡す。
「あ、村長じゃん。やっほー」
杖をついた老爺にアリサが手を振る。老人はアリサを見て、こちらに近付こうとしたが、隣にいる私を見て、そそくさと去っていった。
「うっわ、つめてー」
「あなた敗北した勇者でしょ。石投げられないだけマシでしょう」
「カルちゃんがそれ言うー?」
「それよりも、本当にここなんですか?」
魔術書は全く反応していなかった。
「うん。間違いない。ていうか聞いてよー、うちのパーティ最初弱くてさー」
勇者は戦士や魔術師などとパーティを組んで、進軍するらしい。
アリサにも当然仲間はいたはずである。
「だからこの辺りで三ヶ月ずっーとレベル上げみたいなのしてたんよ」
聞き慣れない単語が耳に入った気がする。よくわからないが、三ヶ月この場に留まっていたということらしい。
三ヶ月あれば、魔の森を越えて魔族の国へ行けるはずだ。
「随分お気楽だったんですね」
「まーねー。あっ、だから負けたのかな、アハハ!」
私は呆れて何も言えなかった。
この女には誇りはないのか。
怒鳴りかけて、ふと我に返る。なぜ人間ごときにムキになっているのだろう。
「空振りでしたね、戻ります」
「あ、ちょいまち。折角だから寄りたいところあるんだけど」
「何ですか」
「メシ食ってこ。ちょうど昼時だし」
私は再び言葉を失った。
「いっただきまーす」
目の前には湯気を立てた具だくさんのスープ、満面の笑みでそれを今まさに口に入れようとする元勇者の女。
アリサはスプーンに掬ったスープを口に含むと、途端にさらにふやけた表情になった。
「うま〜 オッチャンのスープさいこー」
カウンターの奥にいる店主らしき中年男性がその言葉にニカッと笑う。しかし、私が怖いのか、話し掛けてはこない。
私たちは村に唯一ある食堂兼酒場にいた。
テーブル席に向かい合って座る。他の客は誰もいない。私たちが来てすぐに去っていった。
私はスプーンで、皿を混ぜる。
透き通ったスープの中に、エビ、イカ、アサリに各種香草が入っている。見た目は素朴だが、香りは良かった。
一口含む。口内に広がる磯の香りは悪くない。だが。
「どうして人間の食事は薄味なんですか」
「そうかー? つうか、そっちはとりあえず激辛にしとけばよいと思ってない?」
「食事とは辛さを味わうものでしょう?」
「極端すぎー ……って、魔術書なんか光ってない?」
横に置いた魔術書に目をやる。確かに魔術書自体が光っている。しかし漏れ出たようなぼんやりとした小さな光だ。
私はスプーンを置き、魔術書を開く。どうも一部のページが光るようだ。
もしや、と思えば、挿絵の載ったページが光っていた。いや、正確には書かれた文字だ。文字は虫のようにもぞもぞと動き出すと、形を変えていった。
「読める……」
「やったじゃん」
次第に読み取れる内容になっていくそのページを見つめるうちに私の眉間に皺が寄るのを感じた。
「なにこれ……」
材料、いか、えび、あさり、玉ねぎ……
まずは具材を食べやすい大きさに切り分け……
それは、何度読み返しても、調理方法が書かれていた。
「何なのこれ!! 薬の調合方法ならともかく、なんで調理方法なのよ!!」
「あはははは」
笑うアリサを私はキッと睨む。
「どういうことなの、これ!?」
「あたしもさーっぱり。魔王サンからはカルちゃんの手伝いしてとしか言われてないし」
「父上も何考えてんの!?」
「どうどう。いやーしかし、これなんか見覚えあるな」
「は!? やっぱり何か知ってるじゃない!」
「なんだっけ……あ」
そう言うとアリサは動かなくなった。
しばらくたっても身じろぎしないアリサに、私はなんだか落ち着かなくなった。
「ちょ、ちょっとどうしたんですか……」
「これ、そっかあ……」
やっと口を開いたアリサは得心いった様子だった。
アリサは私の目を真っすぐ見て、告げた。
「作ろう、これ」
「はあ!?」
アリサの勢いに押され、私たちは食堂の厨房を借りて、魔術書に書かれた内容通りに調理をすることになった。
材料はそこにあるもので賄えた。
「カルちゃん、料理苦手?」
私が切った、全て繋がった玉ねぎをびろんびろんと振りながらアリサは言った。
「……それが何か?」
「ううん。あたしもそんな得意じゃないし」
そう言う割に、アリサはそつなく具材を切っていく。
「なんでこんなことしてるんですか、私たち」
「魔術書の調査だよ」
ただの料理になっているのだが。
記述の通りに、作業を進める。
切った具材を香辛料と一緒に炒めていく。
何とも言えない独特な匂いが広がる。
「随分色々入れるんですね、これ」
「うん、そういうもんだから」
水を入れたのち、しばらく煮込む。
「うん、こんなものかな」
やっぱり何か知っていると思いながら、追加で調味料や香辛料を入れて味の調整をしていたアリサを軽く睨んだ。
「よし、完成!」
「……茶色」
匂いは芳しいが、スープと言うにはドロドロのそれを見て、私は唸った。
「食べよ、食べよ」
「食べないと駄目ですか……?」
「だーめ。あとは白米……はないんだったか」
少し深さのある皿に、どろどろを注いでいく。
「オッチャンもどうー?」
皿を持って、アリサは食堂の方へ行く。私も渋々それに付いていく。
店主も交えて、試食する。
早速一口食べたアリサが顔をきゅっと寄せて、無言で震えた。おずおずと口にした店主は、一瞬目を白黒させるが、続けて二口目を口に入れた。
先ほどスープを飲んだあとなのに、と思いながら私は一口含んだ。
私は言葉を無くした。
なんだこれは。
甘く、しょっぱい。でも甘すぎず、しょっぱすぎることもない。
とにかく今まで味わったことがない。
そして何より。
「からっ」
「あー、ごめんやっぱ辛くしすぎたかー」
「えっ、これ、カレー?」
「うん、そうよ」
銀髪の少女はおっとりと笑う。奥にいた禿げ頭の男もにやりと笑う。
「アリサの話を聞いて作ってみたの。どうかしら?」
あたしの中で色んな感情と思考が渦巻いた。
めっちゃおいしい、嬉しい、魔術師チャン最っ高、懐かしい、寂しい、帰りたい。
私はぐいっと腕で目元を拭った。
「おいおい、泣くなよ勇者様」
「うるさい、鼻水出たの」
もう二度と味わうことはないと思っていた、故郷の味。
帰ることのできない故郷の。
「アリサ、あなたの世界のごはんのこともっと教えて? 他のものも作ってみたいの」
あたしは「うん」と言って頷いた。少女はふんわり笑った。
「あなたの世界の料理のレシピ?」
「うん、そう。あたしの仲間の魔術師、コレットというんだけど、あの子が書いたものみたい」
「何でそんなものが……?」
「さあね」
そう言うとアリサはにかっと笑った。
「父上はどうしてこんなものを……」
「魔王サンも異界の料理に興味あるんじゃない?」
「そんなわけないでしょう」
「でもカレー美味しかったでしょ?」
「…………まあ」
「カルちゃんは、この本の解読を頼まれたんでしょ。ほーら、依頼された内容通り」
「……まずは父上に今回の件を報告してからです」
アリサは「はーい」と間の抜けた返事をした。
父上に仔細漏らさず報告したものの、私たちは引き続きこの魔術書、もといレシピの解読をすることになった。
城に戻り、魔王へ報告した結果を憤慨しながら伝えたカルラと別れたのち、ぽつりとあたしはつぶやいた。
「まあ、魔王サンにとってもふるさとの味だし」
勇者は異世界から召喚され、魔王は死んだ異世界人の魂を宿す。
あたしの本当の名前は井上亜梨沙。もう意味を無くした名前だ。
あたしたち一行は現代日本の色んなごはんを作って食べた。
最終決戦の前の晩まで。
その日はカツ丼だった。よくも野外で揚げ物までしたもんだ。
あたし以外もう誰もいない。
魔王に殺されたのではない。人間どもに殺された。
あたしたちは知らぬ間に強力な魔術をかけられていた。
魔王の前でだけ発動する、周り全てを巻き込んで自爆する魔術が。あたし以外の仲間は皆発動して死んだ。魔王の側近たちは巻き添えにできたが、魔王には傷一つ付かなかった。
あたしも死んだ。一度ぐちゃぐちゃの肉片になった。
けれど、あたしだけにかけられた魔王を殺すまで死ねない呪いによって蘇った。
あたしは勇者なんかやめた。
実は元現代日本人だった魔王サマの方がよっぽど話がわかるし。
最後に残った人間の王を殺したのはあたしだ。そいつに仕えた宮廷魔術師長と共に。コレットたちを殺した男だ。
それ以来、魔王のところでのんびり余生を送っている。
コレットが何を考えてこんなのを残したかはわからないが、あの娘チャンと懐かしの味巡りをするのは、まあまあの暇つぶしにはなりそうだ。