あなたがどこの誰と何をしようが、私には関係ありません。
その日の夕食時。
私は鮭のムニエル香草添えとジャガイモのポタージュスープ、それから平べったいパンを頼んで食べていた。
ルートヴィヒは子羊肉と野菜のワイン煮と、おなじ平べったいパン。
この平べったいパン、私の世界で言うフォカッチャみたいなもんなんだろう。ルートヴィヒはオリーブオイルに塩を混ぜたものをたっぷりひたして食べてた。
すると、昨日の夜の女性二人も少し離れたテーブルに着席したのが見えた。
ちらりとだけこちらを見たのが見えて、それから何ごともなかったのように二人は食事をとり始めた。
どうやらもうルートヴィヒに声をかける気はなくなったみたい。そのことに私は少しだけホッとした。
いや、別にルートヴィヒが色んな女性とお楽しみになっても全然かまわないんだけど、揉めたりしてそのとばっちりがこっちにくるのは避けたいから。
「あの二人のこと気になるのか?」
私の視線の先をたどって、ルートヴィヒが声をかけてきた。
「は? 気になるわけないでしょ」
きっぱりと私が言い切ると、彼は不思議そうに首をかしげる。
「そもそも私には関係ないし」
そう、私はルートヴィヒの彼女でもなければ恋人でもなんでもない。だから、ルートヴィヒが誰と何をしようと私には関係ない。
「そうか」
ルートヴィヒはそれ以上何も言ってこなくて、私もまた食事に戻った。
なんとなく、妙な空気が流れているような気がして、私は急いで食事を終えると、何かもの言いたげにしていたルートヴィヒを置いて二階の部屋に戻ることにした。
部屋に戻ってもまだなんだかルートヴィヒの視線が刺さっているような気がして、私は落ち着かない気持ちを落ち着けるため持ってきていたトイピアノを弾くことにした。
音はチープというか可愛いんだけど、それが気に入っていて私はトイピアノを相棒にしている。しかも、この子はトイピアノとはいえ、私なりに改良を加えてある特別製。
鍵盤が小さくて速いパッセージは弾きにくいけど、中の鉄琴部分は魔力と親和性の高い金属に変えて、もっと音が伸びるようにした。
そんな相棒で私はゆっくりと落ち着いた曲を演奏する。
可愛くて丸い粒のそろった音がぴんぴん、とはじけるように鳴って。理由はわからないけれど、胸の中にあったもやもやがスーッと消えていくような気がした。
曲が終わったところで、コンコンと部屋のドアがノックされた。
「アマネ、ちょっといいか?」
ルートヴィヒ!? なぜ私の部屋を訪ねてきたんだろう?
「ええと、何か用?」
私は扉越しにルートヴィヒに返事した。
「その……なんだ。音が聞こえたから……」
歯切れ悪くルートヴィヒが答える。
「ああ、うん。トイピアノを弾いてたわ」
音が聞こえたからと言って、ノックする理由にはならないだろうと思いつつ、私は少し冷めた声で答えた。
「……」
扉の向こう側にはルートヴィヒが立っている気配があるのに、彼は黙ってしまったようだ。
「ねえ、何か用があったからノックしたんじゃないの?」
ここでこうやっていても埒が明かないし、ルートヴィヒが扉をノックした意図がはっきりしないうちに扉を開けてあげるつもりにもなれないし。
「昨日の女性たちとは、何もなかった」
少しして、やっとルートヴィヒが口を開いた。
「あっそう」
そのことはすでに彼女たちの口から聞かされていたから、今更なんでそんな報告をルートヴィヒから聞かなくちゃいけないのよ。
「あの女たちとは、ただ飲んで話しただけだ」
「へえ、そうなの」
私は全く興味がなかったので適当に相づちを打った。
そのことに気づいたんだろう。扉の向こうでルートヴィヒが動揺した気配がした。
「アマネ、怒っているんだろ?」
「なんで私が怒らなくちゃいけないのよ」
私は呆れながらそう答えた。
「あなたがどこの誰と何をしようが、私には関係ありません。私はただあなたに雇われた調律師なんです」
「そう、だったな」
扉の向こうでルートヴィヒが傷ついたような声を出した。
「すまない、邪魔をしたな」
そして、彼はそれだけを言うと、扉の向こうで立ち去っていく気配があった。
ルートヴィヒが何を考えて扉をノックしたなんてわからないし知りたくもないけど、彼が傷ついたような声を出したことがなぜか私の胸に引っかかった。
翌日、ルートヴィヒが私の調律した神殿ピアノを弾く場に司祭様と調律師のティムも同席した。
私はいつものように中央よりすこし後方の席に座り、ルートヴィヒが弾く姿をただ眺めていた。
ラウルゴで聞いた彼の演奏を思い出しながら。
そうして、ルートヴィヒの演奏はやはり素晴らしかった。彼の思い描いている情景がありありと浮かんでくるような演奏に、私は目を閉じて耳だけでそれを味わった。
神殿ピアノから響く音の粒に合わせるように、きらめく光が昇華していく。それはやがてこの教会を中心に瘴気によって穢れていた空気や大地を浄化していくのだろう。
そう考えれば、神殿ピアノと聖楽師というのはつくづく不思議な存在なのだと気づく。
最後の一音が空間に放たれて、そうしてしばらくの余韻の後、誰からともなくそれまで呼吸することを忘れていたかのようにため息をついた。
「素晴らしい……」
司祭様が感嘆の声を漏らすと、その横でティムは悔しそうに唇をかんでいた。
「司祭、どうだった?」
ルートヴィヒが鍵盤から指を離して立ち上がると、司祭様に尋ねた。
「いやはや素晴らしい演奏でした。さすがは大聖楽師を目指されるだけのことはあります」
「だが、俺の技術だけではないとわかっているよな?」
ルートヴィヒがちらりと私のいる方を見れば、司祭様もつられて私を見た。
「お連れの調律師様も素晴らしい調律の腕でした。疑って申し訳ございませんでした」
「ありがとうございます」
私は軽く頭を下げた。
「ちっ……」
ティムは私の方を見ないように顔をそらせたまま舌打ちした。
「なんだその態度は」
「っ!」
ルートヴィヒの地を這うような低い声がびりびりと響いて、私は思わず身震いした。
「アマネの調律がどれほどの価値があるかもわからず、彼女を侮辱したこと、しっかりと謝罪してもらおう」
ルートヴィヒがティムの方に一歩足を踏み出せば、ティムは途端に顔を真っ青にしてがくがくと震えだした。
「申し訳ございませんでした!」
「俺に謝っても仕方ないだろう」
ルートヴィヒは冷たい目でティムを見下した。
「アマネに、だ」
「……アマネ殿、昨日は大変失礼なことを申し上げました。お許しください」
ティムのその言葉には、ありありと屈辱感がにじみ出ていて、彼が本心で言っていないことはすぐに分かった。
でも、まあ、謝罪は受け入れてもいいか。
それよりも気になったことがあった。ティムは、整調や整音の作業を知っていてやらなかったのか、それともそもそも知らなかったのか。
「謝罪は受け入れるわ。その代わり、質問に答えてほしいんだけど」
「な、なんでしょうか」
口元を引きつらせながらティムは私を見た。本当は答えたくないんだろうけどルートヴィヒと司祭様がいる手前、邪険にできないんだろうな。
「私がやっていた作業、あれは本当に何をしているか知らなかったの? それとも、知っていて整調や整音の工程を省いていたの?」
「……し、知りませんでした」
ティムは肩を震わせながら声を絞り出した。
「師匠から教えてもらったのは、音程を合わせる調律だけです……」
「そう。なら仕方がないわね」
「アマネ?」
私の質問の意図がわからなかったようで、ルートヴィヒが首を傾げながら私を見てきた。
「この世界の調律師の技術レベルがバラバラなんじゃないかなって思って」
「どういうことだ?」
私はルートヴィヒに、この世界の調律師は基本的に師匠について習い、師匠に認められると調律師として独立すると師匠から教えてもらったことを説明する。
「つまり、ティムの師匠がそもそも整調や整音を知らなかったんじゃなかったかなって。だからティムも知らなかった」
そうじゃない? と目線で尋ねたらティムは必死に首を縦に振っていた。
「私は元の世界で専門学校に通ったから整調と整音についても習っていたし、師匠も整調や整音のことも知っていた。だから、そもそも調律師の知識と技術に差があって、だからその弟子にも差がついているんじゃないかって思ったのよ」
「なるほどな……」
ルートヴィヒは納得したようにうなずいた。
「ティム、アマネが言っているのは事実なのか?」
「は、はい! だから、ここの神殿ピアノの音が悪かったのも、私のせいではないんです!」
まるで渡りに船だと言わんばかりに、ティムは自分のせいではないと弁明する。
そういう態度にカチンときて、私は思わず声を荒げた。
「ですが! ピアノの音が悪いことに疑問を持たない姿勢もどうかと思いますけど!」
ティムにしっかりとくぎを刺しとかないと、この男は多分また同じことを繰り返す。
「は……はい」
明らかな正論に彼もぐうの音も出なかったみたい。
しゅんとうなだれながら私の意見に同意するように頷いた。
「今からでも、知らない技術を身につけてください。レントンの神殿ピアノは伝統あるピアノです。これからも長くこのピアノが歌えるように整えてあげるのが、私たち調律師の仕事です」
「はい……」
私が念を押して言ってあげれば、ティムはしおらしく返事をした。
「アマネ殿、私のほうからもお抱え調律師の技術のばらつきについて、大神殿のほうに報告させていただきます」
司祭様が私に頭を下げてきた。
「そうですね。それがいいと思います」
私は二つ返事で了承する。きっと、調律師という仕事に誇りをもってやっている人だったら、今回のことがいい刺激になるかもしれない。
そうして、私とルートヴィヒの二つ目の都市での浄化聖曲の巡回演奏は終了した。