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俺はこいつの調律したピアノしか演奏しない





「レントンまでよくいらっしゃいました。私はこの都市の司教をさせていただいております」


 そう言って私たちを出迎えてくれたのは、年若い男性だった。シンフォリア王国では各都市に教会を置き、そこにシンフォリア教の神官を派遣することで行政などの様々な管理を行っている。


「聖楽の演奏は2日後でいいか?」


「は? あ、はい。2日後で構いませんが……」


 司教様の歯切れの悪い答え方に、ルートヴィヒは片眉を跳ね上げた。


「何か問題が?」


「いえ、毎年来られる聖楽師様は1週間ほど滞在していかれますので……」


「滞在に1週間も必要ない。3日もあれば十分だ」


 ルートヴィヒは私のことをちらりと見ながら、そんなことを言った。


「3日!? たったの3日で次の都市に行くって言うの?」


「おまえ、いちいち突っかかってくるのはやめろ」


 司祭様が見ているというのに、私とルートヴィヒはバチバチっと火花が散るようににらみ合った。


「あの……そちらの方は?」


 まるで値踏みするような視線に居心地悪さを感じて、私は深くかぶっていたフードをさらに深くかぶるように引っ張った。


 普段の私は、なるべくフードをかぶるようにしている。黒髪のせいですぐに異世界人だと気づかれちゃうし、それから髪が短い女性であることにも気づかれると、めんどくさいことこの上ないからだ。


「今回の巡回演奏旅行に帯同することになった俺専属の調律師だ」


 ルートヴィヒが私に視線を送るから、私はそれに返すように小さく頭を下げた。司教様は相変わらず私のことを見ていたが、ルートヴィヒの言葉を受けて驚いていた。


「調律師、ですか? 各都市の教会にはすでに専属の調律師がおりますが……」


「俺はこいつの調律したピアノしか演奏しない」


 ルートヴィヒはそう言って私の手を握ってきたから、私はあわててその手を引っ張り返した。


「聖楽師専属の調律師なんて聞いたことがございません。それに、当神殿のピアノもすでに調律済みです。一度試し弾きしていただけたら、わかるはずです」


 司教様はそう言って引き下がらない。


 私も一度試し弾きはしてみるべきだと思った。ただ単にラウルゴの神殿お抱え調律師の技術が足りなかっただけで、レントンの神殿お抱え調律師は私よりも技術的に優れている可能性もあるのだから。


「一度弾いてみてからでいいと思うんだけど……」


 私がそう言ってルートヴィヒを見上げると、彼は明らかに不機嫌な顔をしていた。


「弾かなくてもわかる。お前に出会うまでの神殿のピアノは、どれもゴミみたいな音だったからな」


 ゴミ、とはひどい言い草よね? ラウルゴの神殿ピアノだって、ホームチューナーとしての調律師ならちゃんとお給料のもらえるレベルだったよ?


 だからおそらく、各都市の調律師の技術の差はあれど、みんなちゃんとピアノを整えるために日々耳と技術を鍛えてきた調律師であるはずだ。


 それからふと考えた。


 私は偶然師匠のような優れた調律師の弟子になれたから気づかないだけで、他の調律師のレベルはどんなものなんだろう?


「私のためにも弾いて聞かせて」


 強い口調でまっすぐにルートヴィヒを見上げながらそう言えば、彼はいったん口をつぐんで考え込んでから、やがてあきらめたかのように肩をすくめた。


「わかった」


 そうして司教様は礼拝堂へと私たちを案内してくれた。


 ラウルゴにあった神殿とたがわなず、高い天井と荘厳なつくりの礼拝堂は、ステンドグラスから差し込む七色の光が幻想的な空間を作り出していた。


 そして、その光が浮かび上がらせているのが1台のフルコンサートグランドピアノだった。それはラウルゴにある神殿ピアノとはまた違って、深い飴色の美しい木目が特徴のピアノだった。


 私は礼拝堂の中央より後方の席に着くと、ルートヴィヒは神殿ピアノの椅子に座り、鍵盤の蓋を開けた。


 そうして、あの浄化聖曲を奏で始める。


 うーん……これは、ラウルゴの調律よりもひどいかもしれない。


 私は目を閉じて、ルートヴィヒの調律したピアノの音に集中した。


 フルコンサートグランドピアノのあの華やかで豊かな音色が、まったく表現しきれていないのだ。


 ピアノで奏でられる音は一音が一音で完結しない。元々一つの音を鳴らすために3本の弦を貼っていて、それが一つの音となる。


 それがすべていっぺんにハンマーで叩かれていなくて音にムラがあるのかもしれない。もしかするとハンマーの当たりが不ぞろいなのかも? そう考えたら早く中を開けてみたくてうずうずしてきちゃった。


 ルートヴィヒもそれがわかったのか、ものの数小節を弾いたところで弾くのを止めてしまった。


「音は狂っていないが、豊かさがまったくない」


 ルートヴィヒの言葉に司教様はあからさまにうろたえだした。


「で、ですが去年まではこの調律で問題なく浄化聖曲の演奏は行われていたんです!」


「だとしたら、今まで派遣された聖楽師の耳には泥でも詰まっていたんだな」


 うわー、そこまで言い切っちゃうのがルートヴィヒのすごいところいうか傲慢な所というか。小説の中でもルートヴィヒは己の才能を隠さず、未熟な聖楽師に対してはとても辛辣だった。だからこそ、自分と同じレベルの演奏ができる聖女に惹かれるんだけれども。


 人格破綻者にも程があるでしょ?


「このピアノ、とても年季の入ったいいピアノですね」


 仕方なく私は助け舟を出した。


「え、ええ、ええ! そうなんです! 数ある神殿ピアノの中でも古くからある由緒正しい神殿ピアノなんです」


 司教様は自分の管轄している神殿ピアノが伝統のあるものだとアピールしてきた。


「ただ、調律はされていますけど整調はあまりされていないみたいですね」


「整調、ですか? 私はそちらの方面はさっぱりでして、20年前にマイスターに調律してもらって以来、ずっと今のお抱え調律師であるティムにお任せしております」


 マイスター、と司教様がその単語を口にしたとき、ルートヴィヒの表情がかすかに歪んだ。


「マイスター、って誰ですか?」


「ご存じない? ああ、あなたは異世界人ですし知らなくて当然でしょうね。マイスターは王都にある大神殿の神殿ピアノ『神器シュタインウェイ』を調律することのできる唯一の調律師です」


 そんなすごい調律師がいるのなら、その人が神殿ピアノの調律をして回ったらいいんじゃないかって、私は一瞬そう考えた。そしたら、それがどうやら表情に出ていたみたい。


「あのジジイはもうずっと前から行方をくらましている。一年に一度、神器シュタインウェイの調律をしにふらっと現れては、また行方をくらますんだ」


「ルートヴィヒはマイスターを知っているの?」


「まあな……」


 そう短く言葉を切って、ルートヴィヒはピアノに視線を移す。そして、一つ大きく息を吐いた。


「おい。お前ならこのピアノをなんとかできるか?」


「え?」


 突然の言葉に私は戸惑った。できるか、と言われたらわからないけど、やってみたい、とは思った。調律というよりも整調の作業にはなるけれど、もっといい響きを引き出せるんじゃないかって、私はそう思っている。


「やってみたい。ただ、通常の作業よりは時間がかかるわ」


「どのくらいだ」


「丸一日は見てほしい」


「かまわない」


 ルートヴィヒはうなずくと、司教様に視線を送る。


「こいつの調律が終わるまで俺は浄化聖曲を演奏しない」


「っな……!?」


 司教様が驚くのも無理はない。彼にとってはここの神殿ピアノは調律できていると信じていたのだから。


「悪いが俺は自分が気に入ったピアノ以外を弾くつもりはない」


「いやでも……」


 司教様が食い下がろうとすると、ルートヴィヒはきつい視線で彼を見上げた。


「……お抱え調律師に弱みでも握られているのか?」


「い、いいえ! そんなことはありません!」


「だったら黙って受け入れるんだ」


 ルートヴィヒの強い言葉に、司教様はそれ以上何も言うことができなかった。






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