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あなた一人だけにすべて背負わせない





 ラウルゴで見た空よりも、もっと深い闇が王都全体を覆っていて、まったく明かりのない夜道を歩くよりも濃い闇がまとわりついてくるような、そんな不快な感覚に私はごくりと喉を鳴らした。


「では、我々は国王陛下に報告に行く」


「ありがとうございました。お気をつけて」


 王立騎士団の人たちと別れて、大神殿へと入った。


 大神殿の入り口ではたくさんの人たちが溢れかえっていて、みんなが不安と恐怖を口々に吐き出しながら教団に助けを求めているようだった。


 無理もないよね。辺りが真っ暗になってただでさえわけがわかんないのに、聖女が神聖曲の演奏を成功させることができなかったんだもの。


「あの、大司祭様にお取次ぎを」


 わぁわぁと人のざわめきがうるさい中、私はとりあえず入り口に立っていた神官騎士に声をかけてみることにした。


「申し訳ございませんが、大司祭様はどなたともお会いになりません」


 けれども、彼は深く一礼するとそう私に告げてくる。


 まあ、そりゃそう言われるよね。見も知らずの小娘をそうそう簡単に取り次いでたら、警備体制として難ありだもの。


 以前のように落ちつた状態ならいざ知らず、こんなふうに混乱しているなかだと、かなり警備も厳しくなっているみたい。


「あの、マイスター・フランツに言われてきました! 調律師のアマネです! そう言ってもらえたら大司祭様にはわかりますから!」


 私は駄目押しで名乗ってみたけれど、神官騎士は首を横に振るばかり。


「大司祭様をはじめとして、聖楽師たちは皆この事態を収拾すべく動いておりますゆえ、お取次ぎはできません」


 神官騎士はそう言って再び頭を下げると、私から視線をそらせた。もうこれ以上は何も話すことはない、ということなんだろう。


 どうしよう。このまま中に入ることすらできなければ師匠が王都に着くまで、私は何もできないままだ。


 悩んでいる私の背後では、変わらずたくさんの人たちが口々に不安を神官にぶつけ、早くなんとかしてくれと懇願しているのが聞こえてくる。


 みんな、恐怖で落ち着かないのだろうし、気持ちが押しつぶされそうなほど不安を感じているんだろう。


 うん、まずはこの混乱している状況を落ちつけよう。


 そしたら、もうちょっとちゃんと取次の話を聞いてくれるかもしれないし。


 私はそう考えると、背中に背負っていたトイピアノをケースから取り出した。


 私が知っている聖曲は癒しと浄化の2曲だけ。けれども、元いた世界の曲ならば、たくさん知っている。


 人の気持ちを落ち着かせて、なんなら少し眠くなるくらいの曲。


 そうして私はトイピアノを構えると、そっと鍵盤を押した。


 弾いたのは落ち着いたゆったりとしたテンポの曲、トイピアノでも弾ける簡単な子守唄だけど、私は指に精一杯の想いと魔力を乗せて弾いた。


 落ちついて、みんな大丈夫だから。


 トイピアノのチープな音色が響き渡り、みんなの視線がいっせいに集まったのがわかった。


 不思議とあたりのざわめきは徐々に収まり、まるで奥の部屋のひそやかな声すらも聞こえるほどに静まり返って。


 そして最後に聞こえるのは私の奏でるトイピアノの音だけになる。


 どのくらい時間が経ったのだろう。私は最後の音を丁寧に鳴らし終えると、そっとトイピアノから手を離した。


 先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返り、その場にいた全員の視線が私に注がれていることに気づいた。


「聖女様だ……」


 誰かがそうぽつりとつぶやく。


 そういえばフードもかぶらず黒髪を見せたままだったと思い出す。


「わ、私は聖女ではありません! マイスター・フランツの弟子、調律師のアマネです。シュタインウェイの修復と調律のために来ました。大司祭様にお取次ぎを!」


 私は、そう大きな声で叫んだ。


「アマネ殿!」


 すると大神殿の奥の方から、大司祭様の声が聞こえた。


「アマネ殿、こちらへどうぞ!」


 大司祭様に手招きされ、私はトイピアノを持ったまま慌てて彼の方へと走っていく。


「マイスター・フランツは?」


 私が大司祭様の近くまで行くと、彼は周りを見渡しながら私に尋ねてきた。


「師匠は後から馬車できます。先に私だけが早馬で来ました」


「わかりました。それではこちらへ」


 大司祭様は私の言葉を聞くと、すぐに踵を返して歩き始めた。私はその背中を追いかけるようについていく。


「その……私、新聞でしか状況を知らないのですが」


「あなたがおられなくなって数日後、王都に大いなる闇が現れました。それで、聖女様には神聖曲を演奏してもらったのですが大いなる闇を祓うことはできませんでした」


 大司祭様の語った出来事は新聞を通して知っていることだった。


「そのっ! ルートヴィヒも演奏に挑戦したと……」


「はい。神聖曲の演奏を成功させることができなかった聖女様はそれから部屋に引きこもられてしまい、ルートヴィヒが自ら代役をかってでました。ですが……何度演奏しても、大いなる闇の浸食を食い止めることはできても、祓うまでの魔力が発動しないのです」


 大聖堂にたどり着き、大司祭様は大きな扉をゆっくりと押し開いた。


 大聖堂の中はかつてみた神々しい空間ではなくなっていた。破壊された跡があり、あたりには瓦礫が散らばっている。そして大聖堂の真ん中に鎮座している神器シュタインウェイも、心なしかその神秘的な空気を失っているように見えた。


 そして、そこでは音の狂ったシュタインウェイで演奏を続けているルートヴィヒの姿があった。


「ルートヴィヒ……っ」


 見ただけでわかる。彼が満身創痍になりながらも神聖曲の演奏を続けていても、それは気力のみで持ちこたえている状態なのだと。


「い、今すぐ演奏を止めて!」


 私はルートヴィヒに駆け寄り、鍵盤の上にあった彼の手を無理やりにつかんだ。


「アマネ……?」


「これ以上無茶な演奏をしたら、指を壊してしまうわ!」


「だが、他に方法がないんだ!」


 ルートヴィヒの目には隈ができており、顔色も悪くなっている。きっとあまり眠っていないのだろう。


 それでも彼は演奏を止めようとはせず、私の手を振り払うと再び鍵盤に手を置きなおした。


「だめっ!」


 鍵盤の上に置いたルートヴィヒの手を、私は上から抑えつけるようにして演奏を止める。


「指が駄目になったら、ルートヴィヒの夢だった大聖楽師にもなれないわよ!?」


「構わない。元々大聖楽師になりたかったのは、両親や兄上に認めてほしかったからで、音楽に対して真摯な思いがあったからじゃない」


「っ……!」


 彼の言葉に、私は息をのんだ。


 そうだった。ルートヴィヒは自分の居場所を作る手段として、聖楽師の道を選んだだけだった。


「でも、今のあなたはそうじゃないでしょ!? こんなに……指先から血が出るまで演奏して……そんな程度の思いでできるはずがないじゃない!」


 本気で音楽でしか生きていけないと、ピアノを奏でることがイコール自分自身を表すことだと、それほどにのめり込んでいなければ指を壊してしまうほどに演奏などするはずがない。


 私は目からぽろぽろと涙がこぼれていることに気づいた。ここで泣いてしまったら余計にルートヴィヒを困らせてしまうだけなのに。


 でも、過去の私の姿を見ているようで、涙が止まらない。


「その時はそれでいいって思っても、後から後悔が生まれるの。一度故障してしまったら、ピアノを弾けなくなった自分と一生折り合いをつけて生きていかなくちゃいけないのよ!?」


 私はルートヴィヒの指を抑えたまま、そう叫んだ。そして、私は左手のひらをルートヴィヒに見せた。


 すると彼は何事かとしばらく私の左手のひらを見て、それから気づいたのか驚いた顔で私を見てきた。


「この傷跡は……?」


 ルートヴィヒが気づかうように、そっと私の左手を握ってきた。手のひらの、薬指の付け根から少し下。そこに残っている縫合痕を、彼の指がそっと撫でた。


「昔ね……。ピアノが上手になりたくて、毎日何時間も練習してたの。でも、左薬指に違和感が出るようになって、それでもコンクールが近いからって無視して練習していたら、どんどん痛くなっちゃって」


 高校2年生の夏。


 ようやく親に痛みがあることを訴えて連れて行ってもらった病院では、腱鞘炎だと診断された。


 しばらくは演奏を休むしかないとお医者さんには言われたけど、コンクール本番が1か月と迫っていた私にとって、休むなんてありえないことだった。


 地区大会、ブロック大会と通過して、やっと全国大会目前まで来たのに。


「私馬鹿だったから、親に隠れて練習を続けちゃったの。もちろん結果はさんざんで、腱鞘炎も悪化しちゃって、指が曲がったまま戻らなくなっちゃって……」


 ピアニストを目指しているとお医者さんには伝えた。手術をしても演奏は続けられるとお医者さんは答えたけれど、実際に筋を切開した薬指は、前みたいに早いパッセージは弾けなくなっていた。


「お医者さんに言われたの。一度腱鞘炎を起こした手は、また腱鞘炎を起こしやすいって。だから今までの弾き方とは全く違う奏法を身につけないといけないって」


 そんなことをして、大学受験に間に合うのだろうか。前のような音を出せなくなるんじゃないか。そんな恐怖に私はつぶれてしまった。


「ルートヴィヒになんで左手を鍛えないんだって、そう言われた時ドキッとした。リハビリしようとも思ったけど、また指を故障させたら怖いって気持ちもあって、逃げちゃったんだよね、私」


 あの時のことは今でも後悔している。


 だけれど、それをどう乗り越えればわからなかった。だから、ピアニストではなくて調律師の道を選んだ。


「今でこそ調律師の仕事に誇りをもっているけど、どこか根っこの部分で……逃げた結果なんだって、そう思っているんだろうね」


 ルートヴィヒは何も言わずにただ私の左手を包んでくれる。その温かさが心地よくて、私は言葉をつづけた。


「あなた一人だけにすべて背負わせないから。ルートヴィヒが神聖曲を完成させるの、私も手伝う。だから、無理な練習はやめて。私みたいに後悔しないでほしいから……」


「……アマネ」


 ルートヴィヒは私の左手を自身の口元に近づけて、手のひらに口づけてきた。


「っ!」


 そしてそっと手を握られると、そのまま指を絡めるように握ってくる。私はもう何も言えなくて、ただルートヴィヒがそうすることを見ていることしかできなかった。


「わかった。いったん弾くのを止めよう。俺はピアノを弾かない人生なんて考えられない。だから、アマネの忠告を聞くよ」


 ルートヴィヒはそう言うと、私に微笑んで見せた。


 その微笑みは、今まで見た中で一番優しいもので。私は思わず見惚れてしまった。


 そう、あんまり意識してなかったけどルートヴィヒってば、めちゃくちゃ顔面偏差値が高いんだった。


「ところで、どうしてここに?」


 急に私が大神殿に現れたことにルートヴィヒは疑問を持ったみたい。


「あ、それはね」


 私は大司祭様にしたのと同じ説明をルートヴィヒにもした。


 実は師匠がマイスター・フランツだったこと。


 フランツに押し出されるようにしてシュタインウェイの修復に来たこと。


 師匠は後から遅れてくるからとりあえず修理は私がすること。


「そうだったのか……。まさかあの食えないじじいがラウルゴにいて、アマネの師匠だったなんてな」


 食えないじじい……とルートヴィヒが口にしたことに、私は思わず吹き出しそうになった。けど、それよりも引っ掛かったのは、彼が師匠のことを知っているっぽい口ぶりなこと。


「ルートヴィヒは師匠のことを知っていたのね?」


「ああ。俺の師匠、つまり大聖楽師ホロヴィートとマイスター・フランツのコンビは、聖楽師たちの中では憧れだからな。だが、俺にとっては師匠と同じくらい食えないじじいだって印象しかない」


 なるほど。師匠とホロヴィートさんにそもそもつながりがあって、その関係でルートヴィヒはたぶん、師匠にいろいろとからかわれたんだろうな、と想像がつく。


「まあ……二人とも尊敬はしている」


 けれど、そうやってぽつりとつぶやくのを聞いて、ルートヴィヒは私たちの師匠をちゃんと尊敬していて、影響を受けているんだってわかった。


「うん、私もホロヴィートさんも師匠も、すごく尊敬している。音楽に対しては、妥協しなくてまっすぐの人たちだもの」


「そうだな」


 ルートヴィヒは、私の言葉を噛みしめるようにして頷いた。そして、ピアノから立ち上がると私の方へと近づいてきた。


「あの、なに?」


 あまりにも近い位置に彼が立ったものだから私は後ずさった。でも、ルートヴィヒはそのまま私のことを抱きしめてきた。


「えっ!?」


 突然のことに私は目を白黒とさせた。


「来てくれて、ありがとう」


 それは、一人で何もかもを抱え込んで疲れ切っていた声で。


 私は戦友にするように、ルートヴィヒの背中を軽く叩いてあげた。


「私が修理している間、しっかりと休んで、ね?」


「ああ」


 ルートヴィヒが体を離してくれたことで、いったん彼が落ち着いたんだって理解した。






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