どうしてももう一度会いたいんです(ルートヴィヒ視点)
窓の外から差し込む太陽の眩しさを瞼の裏に感じて、それで俺は目が覚めた。
そう言えば、昨日はアマネの部屋で寝たんだったと記憶がよみがえってきて、俺は愛しいアマネを抱き寄せようと手を伸ばした。
「んん?」
隣にアマネがいるはずなのに、俺の手が触れるのはベッドのシーツの感触だけ。
「アマネ?」
ガバっと身を起こしてみれば、隣には誰もいなかった。
「アマネっ!?」
部屋の中を見回すもアマネの姿はない。というか、俺の部屋じゃない。
「なんだ? どういうことだ?」
俺は混乱した頭で昨日のことを思い出してみる。
昨日はアマネの部屋に無理やり入り込んで、自分の思いをアマネにぶつけた。
「ああ、そうだった……」
思い出した。俺がアマネにこれからも側にいてほしいってお願いしたけれど、アマネは俺の側にはいられないって受け入れてくれなかった。そして、俺の音だけが聞こえなくなったとアマネは告白してきて。
そんなことがあるのか? とも思ったが、アマネのここ最近の追い詰められている雰囲気を思い出せば、ありえない話でもなかった。
アマネに二度目のシュタインウェイの演奏は聞かせたくないと思ったのも、その予感があったからかもしれない。
その予感は当たっていたんだって、その時やっと気づいた。
「アマネ……」
アマネがもうこの部屋にはいないとわかって、俺の心が一気に冷えていく。
昨日、俺はアマネに思いを告げて、なし崩しに彼女を抱いて。それで受け入れてもらえたと思っていた。でも、そうじゃなかったんだ。
アマネは俺のことを受け入れてはくれなかった。
「くそ……」
アマネはもうここにはいない。それがひどく胸を締め付ける。
ベッドを抜け出して、ふとテーブルの上に何か置いてあることに気づいた。金貨の入った袋と、それからアマネの置き手紙。
お金が足りなかったらごめんなさい、と書かれていてさらには続きもあった。
「ミコトちゃんとお幸せに……? なぜ急にミコトが出てくる?」
好きだって、愛しているって言ったのはアマネ、お前なのに、なんでミコトが出てくるんだ?
何か、ひどい勘違いをされているような気がして、俺はこのままではいけないと、居ても立っても居られない気持ちになった。
俺は思わず部屋を飛び出した。宿屋の受付には、早朝から仕事をしているおかみさんがいて。
「あれ? もう出発ですか?」
「いや、アマネは!? 俺の隣に泊まっていた女性は!?」
俺の剣幕におかみさんが驚いて後ずさる。でも今はそんなことにかまっている暇はない。
「え、あの女の子? 急に出発しなくちゃいけなくなったって、朝早くに宿を出て行きましたよ」
「わかった。清算をしてくれ」
「え? あ、はい。先に頂いていた分から、差額を返金……」
「いや、それはいい」
俺は宿屋を飛び出した。
アマネがどこかに行くとしたらどこに行くだろうか?
俺は必死に考えた。アマネは異世界人で、頼れる人はほとんどいないはずだ。そう、アマネを拾ってくれたという調律師の師匠くらいしか、アマネには頼れるところはないだろう。
「ラウルゴか!」
ラウルゴに移動するのならば乗合馬車を使うのが普通だ。俺は乗合馬車の停留所へと走った。
乗合馬車など一度も利用したことがなくて、誰に聞けばアマネの足跡がわかるか悩んだが、チケットを購入しないと乗車できないと乗合馬車の御者が教えてくれて、俺はチケット売り場へと向かった。
「今日の早朝に、黒髪の女性が来なかったか?」
「い、いいえ?」
俺はチケット売り場の女性に息せき切って話しかけた。
「なぜだ?」
アマネは乗合馬車の停留所に来ていないのか? だが、アマネが王都に留まる理由はないはずだし、乗合馬車以外の手段、例えば徒歩などでラウルゴに向かうのは無謀すぎる。
ならば質問を変えてみようと思いつく。
「ラウルゴ行のチケットを求めた者はいなかったか?」
「ああ、それならフードをかぶった女性が一人いました」
それだ! とすぐに分かった。
アマネは自分の髪の色と短さを気にして、人通りの多い場所ではよくフードをかぶっていた。
「ではラウルゴに向かったのだな?」
「あ、いえ。ラウルゴ直通の馬車は3日後しか出なくて、その代わり乗り継ぎのできるフェルマッテ行の馬車をご案内しました」
フェルマッテなら馬を飛ばせば3、4時間で着く場所だ。
「すまない、助かった!」
アマネの向かった場所がわかればあとは行動するだけだ。
急いで馬を手配しなければ、とそう考えた時、思いついたのはしばらく足が遠のいていた自分の実家のことだった。
王都の真ん中に位置する王城のすぐそばに、自宅、つまりバルテマイ公爵家の屋敷がある。
そこにいけば、公爵家の所有する駿馬が何頭かいるはずだ。
背に腹は代えられない。
公爵家には足を踏み入れたくなかったが、今はそこで何としてでも馬を借りなければアマネに追いつけない。
俺は自分の感情にそう言い聞かせると、走って公爵家へと向かった。
バルテマイ公爵家は、シンフォリア王国で唯一の由緒ある公爵家だ。
現当主である俺の父親は、国王の右腕として働いているし、母親は王妃付きの侍女頭として働いている。
そして、2歳年上の兄は公爵家の跡取りとして父親の代わりに公爵家としての執務を受け持っていると風の噂で聞いていた。
2歳年上の兄、フランツは幼い頃から俺にとっては抜けない棘のような存在だった。
兄は優秀だった。けれども、兄は病弱だったためにいろいろなことに制約がかかり、そして後から生まれた俺の方が優秀に見えるようになってしまった。
そんな俺に対して、母はいつも「お前は兄の影でありなさい」と言い続けてきた。
今ならわかる。兄弟で争うことはとても醜く、家門の分裂を招きかねないことだと。そして、長男より次男が優れていると世間に知られることは、争いの種を呼び込んでしまうことだということも。
だから、母の判断と行動は間違っていない。実際、兄は病弱であってもそんな自分の体調と上手く向き合って、次期公爵として遜色ない働きをしている。
でも、幼いころから自分を抑えつけて、そして誰にも認めてもらえないという鬱屈した家庭環境は、俺にとっては重くて苦しい場所でしかなかった。
だから、俺は公爵家と距離を置いていたし、兄と母のことを見ないようにしていたんだ。
そんな俺に聖楽師という道を示してくれたのは、意外にも父だった。
父が俺の魔力の素質を見出し、シンフォリア教団と引き合わせてくれた。そのおかげでホロヴィート師匠に出会えた。
俺に聖楽師という居場所を与えてくれたのは父なりの償いなのかもしれない。
とにかく、今は俺の中にあるバルテマイ公爵家に対するわだかまりはいったん封印するしかない。
頼れるものは頼る。使えるものは使わなければ、アマネを掴まえることはできないのだから。
「ルートヴィヒ坊ちゃま!?」
何の前触れもなしにバルテマイ公爵家に現れた俺に、執事のヨハネスが目を丸くして驚いた。
少し神経質そうな顔をした彼が驚いている様はとても珍しくて、それくらい俺がこの家に帰ってきたことが珍しいことだったんだろう。
「父上は?」
「王城に行かれています」
「では兄上は?」
「し、執務室におられます」
ヨハネスはそう答えたけれども、俺を執務室に案内しようとはしなかった。
おそらく、俺がこの家に来たことを兄には伝えたくないのだろう。だが、兄に会わせてくれなければ困るのだ。
俺はヨハネスを押しのけて階段を上がり、執務室へと向かった。
「兄上!」
ノックもせずに執務室に入り込むと、驚いた顔の兄がそこにいた。
「ルートヴィヒ!? 急に訪ねてくるなんてどういう風の吹き回しだ?」
「お願いがあってきました」
「お願い? お前が?」
兄がおもいきり疑わしいという表情を見せたことに、俺は内心苦笑した。それもそうだろう。今まで一度も兄にお願いなどしたことがないのだから。
「そうです」
俺は兄に頭を下げる。
「馬を借りたいんです」
「馬だと?」
兄は訝し気に俺を見る。
「なぜ急に馬など必要としたのだ?」
そんなの決まっている。
「惚れた女を追いかけるためです」
「は……?」
「惚れた女を追いかけるために、俺は馬が必要です。だから、馬を貸してください」
俺はもう一度頭を下げた。すると兄は俺の言葉の真偽を確かめるようにじっと俺を見てから、大きなため息をついた。
「お前の口から惚れた女などという言葉が出るとは思わなかった」
「事実ですから」
そう、事実だ。俺はアマネに恋をしたし、そして愛してしまった。だから、彼女を追いかけたいんだ。
でもそんな俺の思いとは裏腹に、兄は俺を睨みつける。
「お前が惚れるくらいだから、よほど魅力的な女性なんだろうな」
「ええ。見た目は地味ですが、とても魅力があります」
「女性をとっかえひっかえしていたお前が、その女性ひとりに決められるのか?」
兄上は本当に意外だったらしく、目を細めて俺を見ている。それはそうだろう。俺は今まで誰かに心を奪われたことはなかったのだから。
「わかりません。でも、どうしてももう一度会いたいんです」
俺がそう言うと、兄はしばらく考え込んだ後、首を左右に振った。
「馬を貸すのはいいが、お前はバルテマイ公爵家の者なのだぞ? そのような浮ついた感情で行動していいとでも?」
「貸すのか、貸さないのか、どっちなんだ!」
まるで焦らすような兄の言葉に俺はカチンときて、思わず感情も露わに叫んでいた。
「いつも黙って俺の影に隠れるようにしてたのに、変わったな」
ふと、これまで見せたことの無いような表情を浮かべ、兄は目を細めた。なんとなく、それはとても優しく微笑んでいるように見える。
「いいだろう」
「兄上?」
「馬を貸してやろう。だが、ことが片付いたら必ず報告にくること」
そう言いながら兄はにやりと笑った。まるで、俺の恋路を楽しんでいるかのように。
「今まで私に腹の内を見せなかった弟が、初めて私にお願いしてきたんだ。聞いてやるしかないだろう」
「兄上……」
「好きな馬を使うがいい。ルートヴィヒの恋路がどうなるか楽しみにしている」
「あ、ありがとうございます」
兄は早く行けというように手を振った。
俺は兄に一礼してから、部屋を飛び出した。
屋敷を飛び出して馬屋へと向かえば、俺の姿に気づいた馬番たちが集まってきた。
「坊ちゃま! お帰りになっていたのですか!?」
そんな驚く馬番たちの横を通り過ぎて、俺は一頭の馬の前に来た。
「この馬を借りていく」
俺がそう言うと、その馬は嬉しそうにブルルンと嘶いた。それは、子供の頃に父から与えられた馬だった。公爵家を出てから何年も乗っていたかったが、彼は俺のことを覚えていてくれたようだ。
「かしこまりました。すぐに鞍を取り付けます!」
馬番たちは驚きつつも手早く準備を整えてくれて。
「ありがとう!」
俺の言葉に、馬番たちは一瞬顔を見合わせてから、笑顔で手を振って見送ってくれたのだった。




