やっぱり聖女様はすごいな
翌日、王都は聖女が現れた話題で持ちきりだった。
御琴ちゃんを見たさに、朝早くからたくさんの人々が大聖堂に訪れていて、大聖堂の前は警備の騎士たちが出動する事態にまでなっているらしい。
私はそんなことを宿の主人から聞きながら朝食を食べていた。
今朝の朝ご飯はベーコンエッグにコーンスープとパン。
昨日の夕食をちゃんと食べていなかったから、コーンスープが胃にしみるほどおいしかった。
「やっぱり聖女様はすごいな」
「本当にな」
ベーコンエッグを食べていると、そんな声が聞こえてきた。
私は思わず手を止めて聞き耳を立ててしまった。だって、聖女様のことを話しているんだと思ったら気になるし。
「あの黒髪黒目に白い肌。それに清楚で可憐な容姿」
「さらには浄化の聖曲の効果もとんでもないそうだ」
「すごいな」
そう言って男たちは笑っていて。私は思わず着ていた服のフード部分を頭にかぶった。
黒髪黒目という特徴でいえば私も全く同じものを持っているのに、こんなにも扱いが違うものなのね。現実は残酷だ。
私はため息をそっとついた。
「アマネ、おはよう」
「んっ、ひっ!」
急に背後からルートヴィヒに声をかけられて、私は口に入れていたベーコンエッグをのどに詰まらせた。
「ごほっごほっごほっ!」
「だ、大丈夫か!?」
私は慌てて水を一気に飲み干すと、ちらりとルートヴィヒの様子を窺った。
「だ、大丈夫」
「そうか」
ルートヴィヒはそう言うと、私の横の席に座った。
「……アマネ、昨日のことだが」
「聖女様? あれから彼女と話をしたりしたの?」
私はルートヴィヒが言う前に先回りするように質問した。
「え? ああ……まぁ」
話そうとした出鼻をくじかれて、ルートヴィヒは口ごもる。
「ルートヴィヒが紹介されていたけど、お世話係にでもなった?」
「……まあ、そんなところだ。俺が先に神聖曲の練習をし始めていたから、彼女に教えることになった」
巡回演奏に一緒に行く代わりに、そうやってルートヴィヒと聖女の仲が深まっていくようにストーリーが改変されたのかもしれない。
主人公の補正力、みたいなものがあるんだろう。
「そっか」
私はなんとかそれだけを言うと、残りの朝食を食べることに集中する。
「ミコトは元の世界のコンクール? とかいうピアノの演奏の腕を競い合う試合でたくさん優勝していたらしい」
「ふーん」
もぐもぐと口を動かしながら、私は相槌を打った。
コンクール優勝の常連だってことは、相当な演奏スキルの持ち主だってことよね。
「すぐにでも神聖曲を弾けるようになりそうだ」
「でもまだ大いなる闇はあらわれていないんでしょ?」
そう言ったところでルートヴィヒの分の朝食が出てきた。
「予兆はあると大司祭様は言っているからな。いつ来てもいいように備えておくに越したことはない」
そう言うと、ルートヴィヒはパンをスープに浸して食べる。
「それで……」
ルートヴィヒが何か言いたそうに私を見ていたから、私は思わず身構えた。
「アマネはこれからどうする?」
「私? 私は……どうしようかな」
半年の契約期間はまだ終わっていない。といっても、残り2週間ほど。
ルートヴィヒと御琴ちゃんのレッスンを見学してみてもいいかなと、ふとそんなことを考えたけれど。
そんなことを思いついた自分を馬鹿だって私は思いっきり罵った。
「ルートヴィヒ様~、ここはどう弾いたらいいんですかぁ?」
一台のピアノの前に、二つの椅子を並べてルートヴィヒと御琴ちゃんが並んで座っている。
そして、彼女はルートヴィヒにまるでしなだれかかるようにして、質問をするのが見えて。
女の勘って、こういう時やたらと鋭くなるんだけど、御琴ちゃん、ルートヴィヒを狙ってるわね?
だって、ルートヴィヒの説明を聞いているときの彼女の目、完全にハートになっちゃってる。
「ああ、そこは……」
ルートヴィヒが説明をしているけど、それ、ちゃんと聞いてる?
「一度弾いてみて」
「はーい」
促されて御琴ちゃんが演奏する。うん、やっぱりうまい。っていうか、ルートヴィヒに聞かなくたって弾けたでしょ、今のところ。
ただ、解釈の違いというか、御琴ちゃんはあまりバロック時代の曲は弾き込んでいなかったのだろうか。和声の動きを理解しているように聞こえるけれど、ちゃんと意識できていない部分もある。
「うーん……」
それは多分ルートヴィヒも気付いたっぽい。
「ここは、こんな感じで各声部の横の動きを意識するんだ」
そう言ってから、ルートヴィヒがお手本を弾き始めた。
でもやっぱり、ルートヴィヒの演奏する音だけが私の耳には聞こえてこない。
私、ルートヴィヒの音だけが聞こえなくなっちゃったんだって、ようやくはっきりと自分で認めることができた。
もうそうなったら私はここにいる意味がなにもないんだってことも。
ルートヴィヒがピアノを弾く姿を横で見て、その横で御琴ちゃんがピアノを弾く。それを横から眺める私。そんな構図を思い浮かべるだけで胸が痛くなる。
私はそっと練習室のドアを開けた。
「アマネ?」
「ごめん、私ちょっと出かけてくる」
そう言って私は外に出た。
王都の雑踏の中を歩きながら私は考え込んでいた。
いや、もう答えは決まっているんだけどね?
ルートヴィヒの音が聞こえないのに専属調律師なんてできるわけがない。その上、ルートヴィヒの今の役割は聖女に教えること。
彼と一緒に神聖曲の完成を目指すのは私じゃなくて御琴ちゃんだから。
でも、それで逃げるようにここを去るのは私としては好みじゃない。
契約期間が終わるまでは、あがいてみよう。それでもどうしようもなかったら、契約が切れると同時に帰ればいいだけなんだし。
「よし、決めた」
私はそうつぶやいて、大司祭様に会いに行った。
「調律の練習のために、大神殿にあるピアノを調律させてほしいと?」
「はい」
もしかしたらひたすら調律を続けていれば、そのうちにルートヴィヒの音が聞こえるようになるかもしれない。
それに、何もしないで契約期間が終わるまでを王都で過ごすなんて考えられない。それならピアノを調律していた方がいい。
「構いませんよ。未来のマイスターを育てるためですから、大神殿は喜んで協力いたします」
にっこりと微笑みながら大司祭様は快く許可を出してくれた。
「ありがとうございます」
私は深々と大司祭様にお辞儀をした。
「むしろお礼を言うのはこちらですよ。シンフォリア教団は今まで聖楽師の技術向上は考えていましたが、演奏に使うピアノの状態については何も考えてきていませんでした」
「え?」
大司祭様が私のことを見ながら、すっごく優しい微笑みを浮かべていた。
「アマネさんがルートヴィヒと一緒に各都市を回ってくれたおかげで、調律師の技術習得にばらつきがあったこと、そのために浄化聖曲の真価が発揮できていない状況が続いていたことが明らかになりましたから」
「そ、そうなんですね」
私の方からしてみれば、ルートヴィヒに半ば無理やり連れてこられたというか、師匠にお金で売られたような感じだったんだけど、でも巡回演奏は私にとっても、シンフォリア教団にとっても有意義なことだったのだと言われたら、素直にうれしかった。
「アマネさんの技術は、元の世界で身につけたものでしょうか?」
「あ、いえ。元の世界で身につけたものもありますが、整音とかのハイスキルに関しては、この世界で師匠に習いました」
「そうですか。一度あなたの師匠にもお会いしてみたいですね」
「いや~……。師匠って偏屈じじいなんで、会ってくれるかどうかもわかんないですね」
私の言葉に大司祭様が「へんっ」と言葉を漏らして一瞬むせた。
「大丈夫ですか!?」
「ごほっ、んんっ! はぁ……大丈夫です。調律していいピアノを置いてある部屋の鍵は後でまとめてお渡ししますね」
「ありがとうございます」
大司祭様はにっこりと微笑んでいたけれど、若干顔が引きつっていたような気がした。
あれかな? 年長者を敬っていない口調が気になっちゃったとか?
でも偏屈じじいに間違いはないんだもん。
まあ、そんなこんなで私は大聖堂にあるピアノを片っ端から調律して回ることにした。




