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異世界から現れた聖女





 私は宿に戻ると、頭からすっぽりと毛布をかぶって眠った。


 大丈夫。ちょっと無理をしたから体がおかしくなったけだよ。


 ひと晩ぐっすり眠ったら、ちゃんとよくなるはずだから。


 そう自分に言い聞かせて眠った。


 翌朝。私の泊っている部屋の扉をノックする音で目が覚めた。


「アマネ、起きているか?」


 扉越しに声をかけてきたのがルートヴィヒだと、私はすぐに分かった。


 無視するわけにもいかずに、私が扉を開けると、すごく心配した様子のルートヴィヒが立っていた。


「その、昨日のことだが」


「昨日はごめんね。急に体調が悪くなって先に休ませてもらったの」


 私はルートヴィヒに何も言わせないように、先に謝った。


「そうか。今は?」


「大丈夫」


 私は精一杯笑って見せた。


 そう。今日はきっと大丈夫。ちゃんと聞こえるように戻っているはずだって、自分に言い聞かせて。


「昨日のことを」


「先に大神殿に行ってて! 後から行くから。話もそこで聞くし」


 ルートヴィヒの言葉を遮って、私は大きな声を出した。


「……わかった。待っているから」


「うん」


 ルートヴィヒが去っていくのを見届けて、私は扉を閉める。


「大丈夫……大丈夫……」


 自分に言い聞かせるように、何度も呟く。


 そして、大きく息を吸ってからゆっくりと吐き出した。


「よしっ!」


 気合を入れて、自分の両頬を叩いて立ち上がる。


 もう大丈夫。ちゃんと耳は聞こえるようになっているはずなんだから! よしっ!


 私は気合いを入れると、身だしなみを整えて大神殿に向かった。


 大神殿に着くと、大司祭様が私を待ち構えていたかのように入り口に立っていた。


「昨日はすみませんでした。ルートヴィヒにシュタインウェイで練習したいとお願いされて、私が許可を出したのです」


 それで、昨日は待てど暮らせどルートヴィヒが練習室に来なかったのだ。


「でもなぜ、ルートヴィヒは私に演奏を聴かせたくなかったんですか?」


 そのことが私の中に苦い棘のように引っ掛かっていて、私は大司祭様に尋ねた。


「それは……」


 大司祭様が口を開いた時だった。


 カッ! と急にあたり一面が眩しい光に覆われた。


「きゃっ!」


 あまりの眩しさに私は両目を閉じて、さらに両手で顔を覆った。


 何? 一体何が起こったの!?


「これは……異世界からの……?」


 目を開けられないでいたら、大司祭様のつぶやきが聞こえて。


 異世界からの? なに?


 いったい何が起こっているのか、私には全く分からなかった。


 しばらくして、そっと手を外して目を開けると、あたりはいつも通りの明るさに戻っていた。


「大司祭様!」


 大神殿の奥からぞろぞろと神官たちが走ってくるのが見えた。


「上空に、異世界と通じる穴が開いたのが観測されました!」


 どきん、と心臓が跳ねた。


「それから、中庭に人が急に現れました!」


 私は、自分がこの世界に来たときのことをふと思い出した。


 いってきます、と玄関の扉を開けて一歩を踏み出した時、さっきのようなまばゆい白い光に包まれた。そうして、次の瞬間に自分の足が踏んだ地面は、異世界の、大神殿の中庭だった。


「すぐに行きます!」


 慌てた大司祭様の声が聞こえて、私の意識が引き戻される。


 わ、私も行っていいよね?


 思わず私も大司祭様を追いかけて走ったけれど、誰もそれを咎めなかったからそのまま中庭までついていった。


 中庭に出ると、そこにはたくさんの人々が集まっていて。


「おぉっ!」


「若い女性だ」


 ざわざわとした騒ぎ声が聞こえてきて、私は大司祭様のあとをついていくようにして前に出た。


「黒い髪に黒い瞳をしている」


「異世界人だ……」


 辺りから聞こえてくる声に、私の緊張が高まる。


 もしかして、という気持ちが膨らんでいく。


 そうして、中庭にへたり込むようにして座りながら、あたりをきょろきょろと見回している女性の姿が見えた。


 ロングヘアの黒髪にくりっとした大きな目。年のころは17、8歳だろうか。なにより、着ている服がどう見ても制服で、しかもお嬢様学校っぽい清楚なデザイン。


 うん。まさに小説に書かれていた聖女の登場シーンそのままの状況に、私は彼女が聖女なのだとすぐにわかった。


「あ、あの……ここは、いったい?」


 聖女が、か細い声で私たちに問いかけてきた。


「ここはシンフォリア王国にある大神殿です」


 大司祭様が答えると、聖女は私たちをぐるりと見回した。


「私はどうしてここに?」


「それは、私たちにも詳しいことはわかりません。ただ、大いなる闇の再来が近づくと、この世界に異世界人が現れるのです」


「異世界人……私が?」


 彼女は不思議そうに、大司教様の顔を見つめた。


 私の時は、大神殿の中庭には現れなかった。王都の外れの森で気が付いたのを覚えている。


 だから、自分が聖女かもしれないなんて全然知らなかったし、右も左もわからない状態で王都をさまよう羽目になったことを思い出す。


 モブとヒロインの扱いの差をこんなところで感じてしまう。


 数日間飲まず食わずでさまよって、行き倒れかけたところを保護されてようやく異世界人だってことがわかって。


 大神殿で介抱されたまではいいけれど、聖女かもしれないから演奏してみろと言われて演奏したら、聖女じゃないって追い出されて。


 ちゃんとした聖女なら、大神殿の中庭に到着して、すぐに保護されるんだって思ったら、なんだか悔しくなった。


「私はシンフォリア教の大司祭を務めております。あなたのお名前を聞かせてもらえますか?」


「私は小鳥遊たかなし 御琴みことといいます」


 それは小説の中のヒロインと全く同じ名前。聖女が現れて、これからストーリーが進んでいくんだって、私はようやく理解した。


 でも、それならルートヴィヒが大聖楽師になるという話はどうなってしまうんだろう?


「ミコトさん、一つお願いがあるのですが」


「なんでしょうか?」


「この楽譜に記されている曲を弾いてほしいのです」


 そう言って大司祭様は浄化聖曲の楽譜を彼女に手渡した。


 そういえばこのシーン、小説で読んだのと同じだ。


 であれば、この後彼女が神器シュタインウェイで神聖曲を弾きこなし、そして聖女としての素質を認められる。


 確かそうだったはず。


 そして、小説のストーリー通りに御琴ちゃんは神器シュタインウェイで浄化聖曲を弾いた。


 それはもう、初見であることが信じられないくらい完璧な演奏で。


 ルートヴィヒよりも上手だった。


「素晴らしい演奏だ!」


「先日のルートヴィヒ殿の演奏よりも、魔力がすごかったぞ」


 御琴ちゃんが演奏を終えると、大神殿の中庭は拍手喝采に包まれた。


「ありがとうございます」


 御琴ちゃんはそう言って、嬉しそうに微笑んだ。


 その微笑みに、私は胸が締め付けられる思いだった。


 私はもらうことのできなかった賞賛で、そして聖女の登場によってルートヴィヒに与えられるかもしれなかった大聖楽師の座も不明瞭になってしまうかもしれなくて。


 そして何より、ルートヴィヒが小説のストーリー通り、御琴ちゃんのことを好きになるのだとしたら。


「これは文句なしでミコト様が聖女ですね」


「……そうだな」


 ルートヴィヒの声が聞こえて、私が慌てて声のした方を見れば、大司祭様の隣にいつの間にかルートヴィヒが立っていた。


「本当に素晴らしい演奏だった。俺には到底できない」


 ルートヴィヒが淡々とそう口にするのを聞いて、私はぎゅっと手を握りしめた。


 そんなことない! ってそう叫びたかった。ルートヴィヒの演奏だって、とても素晴らしい演奏だった。でも、今の私にはその音が残っていない。思い出そうとしても、その音が何一つ頭の中に響いてこない。


 それがすごく悲しかった。


 たくさんの人たちに囲まれる御琴ちゃんの姿を見ていられなくて、私は目を伏せてうつむいた。


 そんな私の耳には、聖女様のことを褒め称える人々の声が響いていた。


「アマネ、大丈夫か?」


 不意にルートヴィヒに声をかけられて、私は驚いて顔を上げた。


 すごく心配している顔でルートヴィヒが私のことを見ている。でも、今はこんなふうに私のことを心配してくれていても、いずれは御琴ちゃんのことを好きになってしまうんだと思ったら、それがすごく嫌だった。


 え、いや? なんで?


 私はこの瞬間、自分が感じた気持ちに驚いた。


 ルートヴィヒが小説のストーリー通りに御琴ちゃんのことを好きになったとしても、それは彼の自由で私が口出しすることじゃない。そもそも、私とルートヴィヒは調律師と聖楽師という関係でしかないのに。なのに。


 なんで私はこんなに嫌だと思っているんだろう?


「顔色が悪い。やはり体調が悪いのか?」


 ルートヴィヒがそう言って私の肩に触れた瞬間、私は思わずその手を振り払っていた。


「あ……。その、ほら。ルートヴィヒは大聖楽師候補なんだし、聖女様の面倒を見てあげなくちゃ」


 私はそう言って笑ったけれど、上手く笑えているかはわからなかった。


「ルートヴィヒ殿!」


「あ、ほら、呼ばれてる」


「だが……」


「いいから。私は大丈夫だから」


 なおも何か言おうとするルートヴィヒの背中を私は力づくで押し出した。


「……わかった」


 ルートヴィヒは渋々と言った様子で頷くと、御琴ちゃんのところに向かっていった。


「こちら、ルートヴィヒ・バルテマイ公爵令息。今、もっとも大聖楽師の座に近い優秀な聖楽師だ。これから聖女として神聖曲を弾いてもらうのにあたって、ルートヴィヒ殿から色々と習うといい」


「はい」


 御琴ちゃんが嬉しそうに微笑んで、ルートヴィヒに頭を下げた。


「ルートヴィヒ・バルテマイだ。よろしく」


「小鳥遊御琴です。こちらこそ、よろしくお願いします~!」


 そうして二人は握手を交わした。


 私はそんな二人から目をそらすと、くるりと踵を返して大神殿の出口に向かって歩き出した。


 なんでだろう? なんで私はこんなにイライラしているのだろう? いや、本当は分かっているんだ。でもそれを認めたくないだけで。


 私は自分の心が分からなくなって、ただただ混乱していた。


「はぁ……」


 私は大きくため息をつくと、人通りのない廊下で大きな柱の陰に隠れ、壁に寄り掛かるようにして座り込んだ。


「聖女があらわれたけど、私の知っている小説のストーリーとはずいぶんと違っている……」


 私の記憶にある小説のストーリーは、御琴ちゃんが聖女と認められた後に紹介されるのは、男主人公に当たるフレデリクという聖楽師だ。けれども、紹介されるはずのフレデリクの代わりにルートヴィヒが紹介された。


 しかも、本来なら紹介されたフレデリクと共に御琴ちゃんと一緒に浄化聖曲の巡回演奏に出て、二人の仲が深まっていくはずだった。


 でも、巡回演奏は私とルートヴィヒで終わらせてしまった。


 このままでいいんだろうか? 御琴ちゃんとルートヴィヒが結ばれる未来が来るのだろうか? 大いなる闇は? 私は元の世界に戻れるんだろうか?


 そんなことをぐるぐると考えていたら頭痛がしてきて、さらに気持ちも悪くなってきて、私は上を向いてゆっくりと息を吐いた。


「考えても仕方がない」


 私は小さくそうつぶやいた。


 だって、そもそも私はモブだ。本来のストーリーには一切出てこない調律師という存在。深く関わらない方がいいに決まってる。私が関わらなくても、物語は勝手に進んでいくはずだし。


 そうだ。私が二人にかかわる必要はない。


 その日、私はよろめきながら大聖堂を後にし、宿屋へと帰った。





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