傲慢不遜なイケメン男 ルートヴィヒ
窓にかじりつくようにして流れていく景色を見れば、今ここで扉を開けて転がり出るのは断念せざるを得ないかった。
「それほど時間はかからないと思いますが、まあ……主があなたの技術を気にいらなければもっと早く終わりますね」
なーんか棘のある言い方よね?
ガタゴトと揺れる馬車の中で従者が言った言葉はちょっと癇に障る言い方だったけど、調律師として私が胡散臭いのは否定できないので黙っておくことにした。
だって、この世界に伝わる異世界人の伝承通りであれば私は聖女であるはずで、こんな地方都市で調律師なんてしているはずがないんだもの。
でも私は聖女ではなかったし、何なら今私がいる時間軸は私が読んでいた小説の時間軸よりも少し前の時間っぽくて、だから私はただのモブ調律師として今は生活している。
そのうちにこの世界に危機が訪れて聖女が現れ、小説通りに事が進めばきっと元の世界に帰られるはずだと信じて。
馬車はガタゴトと私を揺らしながら街の中心部へと向かっていく。
そうしてしばらくすると馬車の窓越し前方に、高い塔と3、4階建ての建物くらいの高さのある荘厳な白い神殿が見えてきた。
ここが、くだんのピアノを置いてある神殿だ。
この世界の神さまは音を使ってこの世界を生み出したのだという。だから、この神殿のつくりもただ荘厳に見せるために天井を高く大きく作っているだけではなくて、音がよく響く音響施設としてこんな風に作っているらしい。
馬車が車寄せにつくなり、従者はあわただしく馬車から降り、私に早く下りるように促してきた。
「ルートヴィヒ様に失礼のないようにお願いしますよ!」
どうやらこの従者にとって、ルートヴィヒという主人はとても厳しく恐ろしい存在なんだろう。キョロキョロとあたりを見回している従者の表情は引きつっていて顔色も悪い。
「とりあえずピアノの状態を確認しますね」
何はともあれ、私が見なければいけないのはまずピアノだ。
礼拝堂の奥、一段高くなった場所にきれいな赤茶色の木目が見えるグランドピアノが置かれていた。
「すごくきれいな子」
私はグランドピアノに近づき、そっとそのボディの表面を手で撫でてみた。
木目のやわらかい雰囲気にニスの光沢がさらりと滑って、とても品質のいいピアノだってそれだけでわかる。
大きさはフルコンサートグランドピアノ。コンサートホールなどに置かれる、グランドピアノの中で一番大きなサイズのものだった。
私はさっそく神殿ピアノの屋根、つまり蓋にあたる部分を開けて、つっかえ棒で支えると中を覗き込んだ。
この世界に来てからびっくりしたのは、私が住んでいた世界の現代のピアノとほぼ同じピアノがこの世界にあったこと。まあ、小説の世界だからそのあたりの設定は小説の作者次第だったのかも?
ピアノの機構も私が調律師養成学校で習った標準的なものとほぼ同じ。弦だけは鋼鉄という概念がなく、そのわかりにドラゴンの髭を使っているというファンタジー感には驚いたけれど。
基本的な調律はすでにされていると聞いたので、物は試しと半音階ずつ上がるスケールを弾いてみる。
ポロロロロ……と響く音にゆがみはない。高音域も低音域も問題なく調律はされているようだった。
あくまで、普通に弾く分には、という括弧条件付きで。
「なるほどね……ということは、ルートヴィヒとかいう聖楽師はこれでは満足できない部類の人なんだ」
ついさっきまでは正直めんどくさいって思ってたけど、こうなってくると話は違う。
私が経験を積みたい調律は、いわゆる普通に弾ける調律のその先。ただ鍵盤を押さえただけで鳴る以上の音を作り出す調律だから。
「お前が調律師か? 若いな。そいつに俺の満足する調律ができるのか?」
わくわくとした気分でさあ取り掛かろうか、と思って道具かばんを広げたときだった。
明るい金髪がとても目を引く、すらりとした手足に高い身長のどう見てもイケメンオーラをまとった男性が礼拝堂の中に入ってきた。すっごいイケメンだって思ったけど、深緑色の瞳で私を品定めするように見ながら、とっても失礼な物言いをしてきたから前言撤回。
その言葉と雰囲気だけで分かった。そいつが他の調律師たちともめた聖楽師ルートヴィヒだって。
他の調律師たちがもめた理由、わかる気がする。私もさっきのわくわくした気分がどっかに行っちゃったもん。
意志の強い光の宿った瞳と、すっと通った鼻すじ、それから艶のある唇と顔のパーツはどれをとっても整っている。明るい金髪は緩くウェーブかかっていて、それがまたさらにイケメン度をアップさせている。
多分黙っていたらすっごくモテるんだろうなって、そんな外見。
そこで、私は「あっ!」って小さく驚いた。思い出したのよ、こいつ。小説の中で聖女と一緒に浄化聖曲の巡回演奏旅行をする『ルートヴィヒ』じゃん! って。
聖女であるヒロインのライバルで、小説の中では何かと衝突していたんだけどそのうちに聖女のことが好きになっちゃって。ただ、最終的には男主人公に聖女をかっさらわれちゃうかわいそうな当て馬役。
それが、このルートヴィヒ・バルテマイ公爵令息。年齢はたぶん26歳だったかな?
バルテマイ公爵家の次男で圧倒的なピアノの演奏スキルと魔力を持った聖楽師。
ヒロインに対して最初の頃はやたらと高圧的で、正直あんまり好きじゃないキャラだったんだけど、聖女に振られた辺りはちょっとかわいそうだなって思った。
けど、今のこいつは正直気にくわない。
天は二物を与えずとはよく言ったものよね。
「こいつの調律がダメだったら俺は王都に戻るからな」
こいつ?
いうに事欠いて初対面の女性に向かってこいつ!?
「そ、それは困りますっ! 1年に1度、神殿ピアノでの浄化聖曲の演奏は必ず行わなければならないのですから!」
ルートヴィヒの後ろにいたここの神殿の司祭様が顔色を真っ青にして叫んだ。
「俺でなくても聖楽師はいっぱいいる。もともと俺は巡回演奏になんて来たくなかったんだからな」
うわー、こいつ最低な性格してる。だって、浄化聖曲の巡回演奏というのは定期的に行ってその土地を浄化することで、王都から離れたところに住んでいる国民を守るためには欠かせないことだ。
それを、来たくなかったなんて言ってのけるんだもの。
私だってこんなやつのために調律をしに来たくなかった。それよりも今すぐ帰ってエールちゃんとあっつあつぷりっぷりのヴルストをきめたい。
けど、ここで何もしないで帰ったらきっとこいつは私のことを見下して馬鹿にしてくる。それだけははっきりとわかる。
せめて私はちゃんと調律したけどこいつがわがままだったんですって言って帰れるようにしないと、私の矜持が許さない。
「ねえ、あなたがどんなふうに演奏したいのか知りたいから、何か弾いてよ」
コンコン、と軽くピアノをノックすればルートヴィヒがまっすぐに私のことを見てきた。それから、頭の先から足先まで彼の視線が何往復かして。
「お前……女か!?」
驚いたようにルートヴィヒがそう言った。
「そうですけど、何か文句ある?」
ふんだ。こちとら、散々短い髪のせいで男と間違われてきたから、今更驚きもしない。
この世界では女性は髪が長いのが当たりまえ。ただでさえ黒髪で珍しいのに短いもんだから、嫌でも注目を浴びてしまうのだけれど、伸ばす気にはなれなかった。だって、調律する時に邪魔なんだもん。
「髪の短い女なんて見たことがない」
不躾なルートヴィヒの言葉と視線にいいかげん腹が立ってきて、私もルートヴィヒのことを下からにらみ上げるようにまっすぐに見てやった。
ふんだ。そんなことで視線を反らすようなやわな女じゃありませんからっ。
「っ……」
私がじっと視線を反らさなかったからだろう。ルートヴィヒの方が視線を反らせた。
うん、勝った。いや、こんなことで勝ったところで別になんなのって話なんだけど。
それからルートヴィヒは黙って私の方に近づいてくると、ちょっと身構えた私をよそにピアノの椅子に腰かけ、そしてすっと指を鍵盤に乗せた。
意外にもルートヴィヒが素直に演奏してくれるっぽいことに驚きながらも、私は音の響きを聞くためにピアノから離れ、礼拝堂の中央よりすこし後ろの席に座った。
私が席についてから一呼吸あって、ルートヴィヒは演奏を始めた。
私はこの世界の曲についての知識はまったくない。というのも小説内では演奏しているシーンは書かれていも、それがどんな音楽でどんな旋律なのかまでは書かれていなかった。それは小説という媒体なのだから当たり前なのかもしれないけれど。
何度か調律に尋ねた家や師匠が弾いている曲を聞いた感じでは、とにかく音がきれいに響き合うことを重視した、古典やバロックに近い響きだった。
そしてルートヴィヒの弾く曲もまた、対位法を用いた調和のとれた旋律の曲だった。
さらには、私がこの世界に来てから初めて弾くように与えられた楽譜もこの曲だったことを思い出す。
おっと、これはあんまりいい思い出じゃないから思い出さなくていい。
とにかく、この世界にきて師匠に出会ったときにまず叩き込まれたのが、この世界の音楽は調和の力によって魔力を紡ぎ出し、不可思議な現象を呼び起こすということ。そして、その響きや表現の仕方により魔力の広がり方も、完成度も変わってくるということ。
調律師はピアノの音を整え、聖楽師の演奏が完成する土台作りをする、ということ。
なんとなくだけど、ルートヴィヒはこの曲をもっとやわらかな音で弾きたいんじゃないかなって、そう感じた。
でも、ここの神殿ピアノの音はちょっと硬い。調律も問題ないし、響きだって悪くない。でも、ルートヴィヒの求めている音質とは違う音が聞こえてくる。
聞いたことの無い曲だけど、ルートヴィヒが緻密にミスなく演奏していることはわかる。そして、彼がこの演奏を通してどこまでも限りなく透明な糸のようなもので、すべてを覆うようなイメージを持っているのだと気づく。
そのイメージを完成させるには、このピアノでは物足りない。
ルートヴィヒが最後の一音を弾き終えると、私はその最後の余韻を楽しんでから席を立った。そしてピアノに近づくとルートヴィヒが場所を開けてくれた。
私は道具を取り出すと、ピアノを解体し始める。
「おい、俺の希望を聞かないのか?」
「もう聞いたわよ?」
私の言うことが理解できないのか、ルートヴィヒは変なものを見るような目で私のことを見た。