俺の、専属調律師になって欲しい
それから、アレグッロ、ヴィヴァチェ、プレーストと地方都市を私とルートヴィヒは廻った。
各都市とも浄化聖曲の演奏は順調に進み、私もいろいろな神殿ピアノに触れて経験を積んだ。
そうしている間に、時はどんどんと過ぎ去って。
ルートヴィヒの巡回演奏の行程はすべて終わった。
「あのさ……契約期間はまだ残ってるし、せっかくだから王都に来てみないか?」
最後の浄化聖曲の演奏が終わった後、そう誘ってきたのはルートヴィヒだった。
「え?」
私はルートヴィヒからの提案に面食らってしまった。だって、契約期間にかかわらず巡回演奏が終われば私の役割は終わりでラウルゴに帰るんだと思っていたから。
「王都には神器シュタインウェイがある。いじらせてはもらえないだろうけど、中を見せてもらうくらいは、俺の権限で交渉できるかもしれない」
「ほんとに!?」
聖女かもしれないと、この世界に来てすぐに弾いた神器シュタインウェイ。
上手くは弾けなかったけど、とてつもなくすごいピアノだってことは弾いてみればすぐに分かった。その中を見せてもらえるなんて誘い文句は、師匠のような調律師を目指している私には効果抜群で。
「行きたい!」
思わず私は即答していた。
「わかった」
ルートヴィヒはそう返事をすると、急に私との間を詰めてきて、私をまっすぐに見つめてきた。
え、なに急に。
「アマネ、これからも俺のそばにいてほしい」
ルートヴィヒはそう言うと、私の手を取った。
「え? え?」
私は突然のことで頭が真っ白になった。だって、あの俺様のルートヴィヒが私にそばにいてほしいって言ったんだよ!?
「俺の、専属調律師になって欲しい」
「え、あ……ああ。そういう……」
ルートヴィヒはいつになく真剣なまなざしで私を見るから、私は一瞬勘違いした。専属調律師、ね。
たしかに、ルートヴィヒにくっついて調律して回ったのはすごく楽しかったし経験になった。これからも、ルートヴィヒとああでもないこうでもないって、演奏を作り上げていくのはきっとやりがいがあるんだろう。
でも、それは調律師として、演奏上のパートナーとして側にいてほしいってことなのよね。
そう考えたら、胸が一瞬だけズキンと痛んだ。
「報酬などのことも合わせて、しっかりと契約を結ばせてもらう」
そんな私の気持ちなんてつゆしらず、ルートヴィヒが私の手をさらにぎゅっと握りしめてきた。
「と、とりあえず、返事は今の半年契約が切れてからでもいいかな?」
巡回演奏について回るという契約はまだ1か月残っているはず。
「そうだな……そうしよう」
ルートヴィヒも私の気持ちを汲んでくれたようで、すぐに返事をしなかったことに文句は言わなかった。
でもまさか、ルートヴィヒに専属契約を結んでほしいと言われるなんて、思ってもいなかった。
一度、誤って寝ちゃったあの日から、なんとなく二人の関係性が変わったような気はしてた。でもそのあとそういうことは一回もなかったし、ルートヴィヒと砕けて話せるようになったけれど、色恋事っぽい雰囲気は全くなかった。これっぽっちも。
だから、まさかルートヴィヒが私のことを側にいてほしいって思うくらい気に入っていたなんて、全然わからなかった。
でも、悪い気はしない。私も、ルートヴィヒの望む音を弾きだせるピアノの調律は、自分にしかできないんだって、そう思ってたから。
私が手を入れたピアノでルートヴィヒが完璧な演奏をする。
それがいつしか当たり前のように感じていて、ルートヴィヒの演奏のためには私がいなくちゃって、そんな勝手な思い上がりを私がしていたから。
だから天罰が下ったんだと思う。
音楽の神さまから。
そんなことはないぞって。
王都に戻るとルートヴィヒはすぐに大神殿に向かった。
大神殿ではルートヴィヒの活躍を聞いていた神官たちが待っていて、彼らはルートヴィヒのことを熱烈に出迎えた。
それに一番驚いたのはルートヴィヒだ。
「なぜだ? 俺がここを出た時の雰囲気と全然違うのだが!?」
神官たちがルートヴィヒを褒め称えている姿に、彼は混乱していた。
そんなルートヴィヒを見て、私はなんとなく想像がついた。
だって、出会ったばかりの頃の傍若無人でTH俺様だったルートヴィヒのことを思えば、そんな彼が自分たちのいる場所から出て行ってくれたら清々したと思うもん。
それくらいに、ルートヴィヒのビフォーアフターがすごいってことなのよね。
「各地の司祭から、あなたの報告は受けていました。大きく成長しましたね」
そういってルートヴィヒをねぎらったのは、長い白銀の髪を長く伸ばした、ルートヴィヒよりも年上に見える男性だった。
「大司祭様。役目を終えて無事に戻りました」
大司祭ということは、実質シンフォリア教のトップの地位の人なんだろう。私はあわててフードを外した。さすがに目上の方の前でフードをかぶりっぱなしは失礼だろうし。
「お疲れ様です。とてもすばらしい浄化を行えるようになったと、そう聞いています」
大司祭様にそう言われて、ルートヴィヒは照れ笑いしそうになるのを必死にこらえているように見えた。
「これで、大聖楽師へ一歩近づきましたね」
「……はい」
返事をしたルートヴィヒの声音に、私はうん? って思った。心なしか、さっきまでのような嬉しそうな気配がなかったから。
大聖楽師になることはルートヴィヒにとってアイデンティティにも近い夢だったはず。
それに近づいたと言われたのに、その歯切れの悪さは一体何なんだろう?
「そう言えば、1週間ほど前にマイスターが来られて、神器シュタインウェイの調律をされて行きました。せっかくですから、試し弾きをあなたに頼もうかと思っています」
「!? シュタインウェイの、試し弾きを!?」
大司祭の言葉に、ルートヴィヒは驚いたような声を上げた。
「ええ。その出来如何で、大聖楽師と名乗れるかどうか、判断されるでしょう」
つまり、試し弾きという名の試験なのだと、ルートヴィヒはすぐに気づいたみたい。
「わかりました! ぜひ、やらせてください!」
大司祭にそう返事をしたルートヴィヒは、とても嬉しそうにしていた。
あれ? でも大聖楽師は聖女と結ばれる男主人公がなるはず。
まだ聖女の来ていない時間軸で、ルートヴィヒが大聖楽師になるのはおかしくないだろうか?
「アマネも演奏を聞いてくれないか?」
私の覚えている小説との矛盾に首をひねっていると、ルートヴィヒが話しかけてきた。
「え? ええ、もちろん」
私はルートヴィヒに返事をしながらも、やっぱり変だと思った。
もしかして、私がルートヴィヒと出会ったことで小説との流れが違ってきているのだろうか?
でも、私はただのモブ調律師だし、今は小説が始まる前の時間軸なのだから、そんなこともありえてしまうんだろうか?
「それでは、こちらへどうぞ」
大司祭に連れられて、私たちは神器シュタインウェイのある大聖堂へと案内された。
「すごい……」
ピアノを見た瞬間、私はすごい、としか呟けなかった。
大聖堂の中心に、天窓からの日の光を浴びて白く輝く大きなピアノが見えた。
神器シュタインウェイ。
ただそこにあるだけで、聖なる空気を放っているような圧倒感を感じる。
真っ白な外装に黄金の装飾が所々施されているのが見えて、それが陽の光を跳ね返して輝いているのだろう。
「大司祭様。私の専属調律師に、シュタインウェイの中を見せてもいいですか?」
ルートヴィヒが、大司祭様にそう尋ねていた。大司祭様の視線が私を捉える。しばらくじっと見つめてきてから、はっとした表情になった。
「あなたはもしや……一年以上前に、聖女かもしれないと大神殿に連れてこられた方では?」
うん、その黒歴史は忘れておいて欲しかったな。
「あはは……まあ、そうですね」
「あの後どうされていたのかと思えば、調律師になられていたのですね」
全く罪悪感の無い微笑みを見せられて、私は内心穏やかではなかったけれど、大人な対応でそれは隠した。
「マイスターのような細やかな調律をされると聞いております。未来のマイスターのためにも、見てもらっても構いませんよ」
「あ、ありがとうございます!」
大司祭の許可が下りたことで、ルートヴィヒは嬉しそうに目を細めた。
「アマネ、来てみろ」
ルートヴィヒに手招きされて、私もシュタインウェイに近づいた。近くで見ても美しいピアノだ。
「触っても大丈夫なの?」
私の問いかけに、大司祭が微笑みながら頷いた。
私はそっとシュタインウェイの鍵盤に触れる。
「あ……」
その瞬間、私は理解した。このピアノがなぜ神器と呼ばれているのかを。
「わかるか? このピアノは特別なんだ」
鍵盤に触れたとたんに自分の中の魔力があっというまにシュタインウェイの中に吸い込まれていくのを感じた。
この世界に来てすぐにもこのピアノを弾いたはずなんだけど、その時はまだ魔力というものがどういうものがも全く分かっていなくて、師匠の元でやっと魔力使い方を覚えた今だからこそシュタインウェイの異常さがわかった。
今までの神殿ピアノにも魔力を持っていかれる感覚はあったけど、シュタインウェイはその比じゃない。
「屋根を開けても?」
「ええ、どうぞ」
大司祭様の許可をとってから、私はシュタインウェイの屋根を開けた。中身は普通のフルコンサートグランドピアノと同じ構造。
「鍵盤に使用しているドラゴンの牙が魔力との親和性が高く、弦に魔力が特別伝わりやすくなっているんだ」
「へぇ……でも、それ以外は神殿ピアノと変わらない感じね」
ルートヴィヒがなぜか得意げに教えてくれたことを聞きながら、私は内部構造に髪などが触れてしまわないように気を付けながらあちこちを覗き込んだ。
「試し弾きは明日でよろしいですか?」
「はい」
大司祭様の質問に、ルートヴィヒがそう返事をした。
「ではまた明日お越しください」
深々と頭を下げる大司祭様に別れを告げて、私たちは大神殿を後にした。
「ねえ、今夜の宿を探したいんだけど手伝ってくれる?」
「手伝う? 俺も宿が必要なのだから一緒に探せばいいだろう?」
巡回演奏の時は大神殿が手配した宿に泊ればいいだけだったけれど、今夜は大神殿の手配もなにもなくて宿を探さなくちゃいけないのはわかっていたけど。
「なんで? ルートヴィヒは王都におうちがあるんだよね?」
バルテマイ公爵家は王都にあると思っていたんだけど、まさか違うのだろうか。
「家はあるが……あまり帰りたくない」
「え? なんで?」
そう聞いてから、ルートヴィヒの顔色が曇っていることに気づいて、聞くんじゃなかったって気づく。
ルートヴィヒは家族と確執があるんだった。
いや、たぶんルートヴィヒのお母さんもお兄さんも、彼に対して何も悪い感情はもっていない。ちゃんと家族だって思っているだろう。
ただ、ルートヴィヒにとってはそうじゃない。
「あの家にいると……息がつまるんだ」
小さな声で、独り言のようにルートヴィヒが告白した。
やっぱり。
「じゃあ、一緒に宿を探しますか!」
私はわざとおどけた口調で言った。
ルートヴィヒは驚いて私を見たけど、すぐに微笑み返してくれた。
「そうだな」
私たちは宿を探して王都の街中を歩き始めた。