もしかしなくてもデートってやつでは?
次に私たちは、アダジオからモデラッドに向けて出発した。
またもや馬車の長旅になるかと思うと、少し憂鬱だったけれど仕方がない。
「あ、そうだ。アマネ」
「ん? なに?」
何かを思い出したかのようにルートヴィヒに話しかけられて、私は彼を見た。
「次の都市に着いたら、その……」
「何?」
ルートヴィヒは何か言いたそうにして、そして口ごもる。
「なによ?」
私は気になってしょうがなくて、思わずつっけんどんな言い方でルートヴィヒに続きを促した。
すると、彼は少し照れながらこう言ったのだ。
「一緒に都市を見て回って欲しい。今まではちゃんと浄化する土地のことなんて見てなかった。浄化聖曲を弾くには、まずそこの場所についてよく知っておかなければ、思いを込めようもないってわかったから」
それは、今まで旅路を急いでいたルートヴィヒからでた言葉とは信じられず、私は目をこすった。
「え~、なになに。すっごい心境の変化じゃない!」
「そうだな。ようやく巡礼演奏に時間をかける意味が理解できた」
「ふふっ、いいよ。着いたら、時間をたーっぷり使って、モデラッドを見てまわろ」
ルートヴィヒが成長していく姿がなんだかうれしくて、私は一つ返事で了承した。
でもふと気づいた。
それって、もしかしなくてもデートってやつでは? と。
それから私たちはモデラッドに着くまでの間、今までの旅路での出来事を語り合った。といっても、もっぱらしゃべっていたのは私だったけれど。
ルートヴィヒが嫌な顔しないからついついしゃべりすぎちゃった。
そしてようやくたどり着いたモデラッドは、やっぱり今までの都市の中で一番栄えている都市だった。
街の大きさも人の数もすごく多い。
だからお店などの商業施設や娯楽施設もたくさんあって。
まさに、デートにはもってこいの都市だった。
「ひゃー、ここは大きい街なのね……」
市場の入り口に行ってみれば人の波がすごくて、私は思わず背伸びをしてフードの奥から市場の大通りを眺めた。
「王都よりは狭い分、人口密度がすごいな」
「そうなの?」
「ああ。それよりも、早くいくぞ」
ルートヴィヒはそう言いながらも、全然物怖じしていない様子で人混みの中に入っていった。
「わっ、ちょ、ちょっと待って!」
私はとにかく人波に流されないように必死でルートヴィヒの背中を追いかける。
けれども、時折現れる逆走してくる人にぶつかって、私の体がよろめいた。
「きゃっ!」
転ぶ! って思って身構えたけど、いつまでも体に痛みがこなくって、おそるおそる目を開けたら私の視界には何か大きくて広いものがいっぱいに映っていた。
「気を付けろ。こんなところで転んだら大ごとになる」
それから、頭の上から声が降ってきて、それがルートヴィヒの声だって気づく。
え、もしかしなくても私、ルートヴィヒに抱きとめられてる!?
「はわっ! ご、ごめん!」
私は慌ててルートヴィヒから飛び退いた。
「いや、いい。それよりはぐれるなよ」
そう言ってルートヴィヒは、すっごく自然に、ごく当たり前のように私の手を握って歩き始めた。
わ……慣れてるぅ。めちゃくちゃ自然に手つなぎしてきたね?
「どうした? 行くぞ?」
「う、うん」
私は自分の心臓がバクバクと大きな音を立てているのを必死に抑えようとしながら頷いた。
私だって彼氏がいなかったわけじゃない。けど、調律師学校に通っていたころも、海外に留学していたころも、調律の事で頭がいっぱいで彼氏ができてもすぐに別れてばっかりで。
こんなオーソドックスなTHEデート! って感じになったのは初めてかもしれない。
つないだ手の熱さにドキドキしながらも、視線は市場に軒を連ねる出店を見ていた。
「あ、搾りたてジュース、おいしそう」
「わかった」
ルートヴィヒはそう答えて私の手を引っ張ったままその出店に近づいた。そしてすぐにお店の人に声をかける。
えっ、ただおいしそうって言っただけなのに「わかった」ってどういうこと?
「二つくれ」
そう言ってルートヴィヒがお金を払えば、私の目の前でいかにもとれたてですって感じの大きな柑橘が絞り機の中に入れられて、ぎゅーっと絞られる。
たっぷりの果汁が入ったコップを二つ受け取ると、ルートヴィヒは私に一つ手渡してくれた。
「あ、ありがと!」
私はお礼を言ってそれを受け取った。そして一口飲むと、搾りたてのオレンジジュースのようなさわやかな甘みが口の中いっぱいに広がった。
「おいし~!」
私が思わず声を上げると、お店の人も満足そうに笑った。
「このジュースはモデラッド名産のティプヘイを使ってるんだ」
「ティプヘイ? へぇ~、そういう名前なんだ、これ」
私は感心しながら、もう一口ジュースを飲む。
「アマネの元居た世界にも、似たような果物があるのか?」
「うん。オレンジって言うんだけど、味も見た目もそっくり」
そう言ってから、この世界が小説の世界であることを改めて私は思い出す。
私の元居た世界と似通ったものが多いのは、小説を書いている作者がそういうふうにこの世界を作ったからなんだろう。
けれども、こんな果物の名前までは作者も決めていなかったはず。
私は小説の世界に入り込んだと思っていたけど、本当は違う世界なんだろうか?
そもそも、小説とはすでに大きくストーリーが変わってきている時点で、違う世界になったんだろうか?
ルートヴィヒは聖女と一緒にこうやって巡回演奏旅行をするはずで。でも、今は私がルートヴィヒの同行者になっている。
そうだった……本当は、ルートヴィヒは聖女とデートをして、こうやって聖女と仲良くなっていくんだった。
そう思ったら、急に胸がずき、と痛んだ。
「どうかしたのか? 浮かない顔をしている」
私が急に黙ったからだろう。ルートヴィヒが心配そうに私を見ていた。
「ううん、何でもない。それより、次はどこに行く?」
私は慌てて笑顔を作ってそう答えた。でも、うまく笑えているかは自信がなかった。
それから私たちはモデラッドの街を散策して回った。
モデラッドの市場はとにかく広くて、そして活気があった。
食べ物もたくさん売っていて目移りしてしまうし、洋服やアクセサリー、そのほかにもいろいろなお店があった。
「あ、これかわいい」
アクセサリーを並べた出店の前を通り過ぎた時、私は無意識の内に呟いていた。それは、小さな輝石を花のようにちりばめた髪留めピン。この世界では女性らしくないと言われるショートヘアをしているけど、ショートでも私はヘアアクセに興味はあるし、時にはこういうかわいいものを欲しくなる時もある。
「ふーん? そういうものが好きなのか?」
にゅっとルートヴィヒが覗き込んできて、私は驚いた。
「普通、もっとこういうネックレスとか、指輪を欲しがるんじゃないのか?」
ルートヴィヒが指さした先には、いかにも貴族様がつけていそうな宝石ドーン! 貴金属バーン! みたいなアクセサリーが置いてあった。
「そりゃ、今までルートヴィヒが相手してきた女性はそうかもしれないけど、私はそういうのはあんまり好みじゃない。それに、仕事の邪魔になるしね」
指輪もネックレスも、調律の時はつけていたら邪魔になるもので。だからか、私は自然とそういった類のアクセサリーは選ばなくなっていた。
「おじさん、これをください」
私は一目ぼれした髪留めピンを手に取って、お店のおじさんに見せた。
「あ、おい。俺が買ってやる」
「いやよ。これは私が気に入って私が買うんだから」
私はそう言っておじさんにお金を渡す。
「おや? フードをかぶっていたからわからなかったが、お嬢さんかい? それ、恋人に買ってもらわなくていいのか?」
「こっ、この人は恋人じゃありませんから!」
おじさんが笑いながら言った言葉に、私は思わずムキになって反論した。
「おやおや。だったら兄ちゃん、もっと頑張んな~」
そう笑いながらおじさんは意味深な目でルートヴィヒを見ていた。
私は受け取った髪留めピンをさっそく髪につけようとした。
「ほら、こっち」
「え?」
すると、さっと横からルートヴィヒの手が伸びてきて、髪留めピンを取り上げてしまった。さらには私の手を引いて裏路地に入っていく。
「ちょ、ちょっと待って!」
何ごと? と思って手を引くルートヴィヒに声をかけたら、ルートヴィヒはひと目のないところで立ち止まった。
「人混みの中でフードを外したら目立つだろうが」
言われてああ、と思い出す。
「そっか、そうだったね」
「まったく……」
ルートヴィヒはあきれたように言いながら、さっと私のフードを外してきた。
そしてそのまま、私の髪に髪留めピンをつけてくれた。
「ふん。まあ……いいんじゃないか?」
そう言ってルートヴィヒは私からふい、と顔を背けてしまった。でも、その瞬間はっきり見えた。ルートヴィヒの耳が赤かったの!
なんだかわからないけれど、私も顔が熱くなるのを感じちゃって。
「ありがとっ……」
「あ、ああ」
ルートヴィヒはそう答えて、すぐにまた歩き出す。
私は慌ててフードを被りなおすとその背中を追いかけた。
「どこに向かってるの?」
「ん? さっき教えてもらった場所があって……」
そう言いながら再びルートヴィヒは私の手を握ってきた。しかも、今度は指を一本一本絡める、通称恋人つなぎで!
私はこれ以上ないってくらい顔が熱くなるのを感じた。
何? 今日のルートヴィヒはなんでこんなに積極的なの?
私の手を引いて歩くルートヴィヒを見上げながら、私はドキドキしっぱなしの左胸を押さえた。
そうこうしているうちに市場を抜け、それから中心から離れたところにある大きな公園へと来た。
「ここは……」
「ここから見る夕日がきれいだと教えてもらった」
「へぇ……」
ルートヴィヒに言われて、私は沈み始めている太陽のある方角を見た。
そこには噴水があって、水しぶきがきらきらと夕日に赤く照らされて光っていた。
「きれいだな」
「うん」
私は静かにそう言ったルートヴィヒの言葉に頷きながら、夕日を見る。なんとなく、ルートヴィヒの視線を感じたけど、気づかないふりをしてずっと夕日を見つめていた。
「こうやって、それぞれの都市のことを見て回って、人とか景色とかを見ることが、浄化聖曲の演奏につながるということを初めて実感した」
「うん」
ルートヴィヒの言葉を聞いて、私も頷く。
「これまで、浄化聖曲を弾くのは大聖楽師になるためのただの義務だと、そんなふうに思ってた。それが……それだけではなかったとわかったんだ」
夕日を眺めたままそう言ったルートヴィヒの横顔がまぶしくて、私は思わず目を細めた。
「じゃあさ、残りの都市も今日みたいに街を回って、いろんな景色を見て回る旅にしようよ」
私はそう提案した。
「ああ。そうだな」
ルートヴィヒはそう答えてから私を見た。そして、私の髪をそっと撫でてきた。
「それ、俺にプレゼントさせてほしかったな」
「えっ……」
なんで? って言葉にしなかったのは、そう言ったら彼が傷ついちゃいそうな気がして。
でも、こんな髪留めピンをわざわざルートヴィヒに買ってもらうのは気が引けちゃったんだもの。
「今度は、何かプレゼントさせてほしい」
そう言ってから、ルートヴィヒは私の手を取り、そっと手の甲に口づけを落とした。
胸がドキドキを通り越してバクバク言っているのが耳にうるさい。けれども、彼のキスは嫌じゃなかった。むしろ、うれしかった。
以前よりもルートヴィヒと私の距離が近くなったような、そんな気がして。
ただの契約関係だってそう思っていたけど、もしかして、違う関係に足をつっこんだんだろうか?
なんて。
そんな風に思いながら、私は口づけられた手の甲をもう片方の手でそっと撫でた。
不思議と嫌じゃない。多分、アダジオでルートヴィヒの葛藤にふれた時から、少しずつ私の中でルートヴィヒに対する思いが変わっていったんだと思う。
もしも、ルートヴィヒもそれを望んでいるのなら……。二人の関係を契約だけの関係から進めてもいいんじゃないかって、そう思った。
思ったんだけど。
でもね、体の関係にまでなだれ込んじゃったのは、まだちょっと早すぎたと思うのよ?