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横暴だわ! 労働基準法ってものを知らないの!?





 それから1週間。ようやく次の地方都市、アダジオへと到着した。


 地方都市アダジオはレントンやラウルゴとは違った雰囲気で、木造の建物が並び立ち、道は石畳で舗装されていない、鄙びた田舎都市だった。人通りも多くはなく、どちらかというと静かで落ち着いた印象だ。


 途中から石畳のなくなった街道を通っての馬車の旅は正直快適さとは縁遠く、1週間も馬車に揺られたら体のあちこちが痛むし、お尻は爆発する寸前だった。


 けれども、レントンからアダジオに向かう馬車の中、何が一番つらかったかというと肉体的な疲労よりもルートヴィヒが始終無言だったこと。


 不機嫌、というわけではないんだけど、とにかくしゃべりかけてこない。何か用があるときや、私から話しかけた時は普通にしゃべってくれたのに。


 その上、じっと私のことを観察するように見てきて「一体何なのよ?」って何回も聞いた。けど、その度に「なんでもない」と返答する始末。


 頭がおかしくなったのかって思わず疑っちゃったもん。


 それもようやくアダジオに到着して解放されるのだと思えば、自然と笑みがこぼれちゃう。


「おい、すぐに神殿に向かうぞ」


「ええっ!?」


 到着したばかりのアダジオの街の入り口でルートヴィヒがそんなことを言いだした。


「そんな! やっと馬車移動から解放されたばかりなのよ!?」


 思わず私は抗議する。


 だって、体中のあちこちがギシギシ鳴るくらい疲れているのよ!?


 せめて1日でも完全オフの日が欲しかったのに!


「時間がもったいない」


 それなのに、ルートヴィヒはすぐに神殿に向かうと言ってゆずらない。


「1日くらい休ませてよ!」


「ダメだ。今から神殿ピアノの状態を確認して、調律が必要ならすぐ作業に入ってもらう」


 ルートヴィヒが口にした日程に私は頭を抱える。


「ラウルゴもレントンもそうだったけど、なんでそんなに急いでるのよ」


 レントンの司祭様に教えてもらったのだけれど、例年、浄化聖曲の巡回演奏というのはもう少しゆったりとした日程で行われているらしい。


 だからレントンでも1週間ほど滞在するだろうと司祭様がいろいろと準備をしてくださっていたのに、ルートヴィヒはたった4日でレントンを出発した。


「俺は早く王都に戻りたいんだ」


 ルートヴィヒが早く帰りたいという理由はなんとなくわかるけれど、それは私の休み時間と引き換えになることは許せない。


「1日くらい休ませてくれたっていいじゃない……」


 私は唇を尖らせて不満をあらわにする。そんな私を見たルートヴィヒはため息をついた。


「アダジオの滞在予定は3日だ」


 レントンの時よりも短い滞在予定に、私は驚いて言葉を失くす。


「レントンでは整調作業に時間がかかるとお前が言ったから滞在を1日伸ばした。基本的に都市には3日しか滞在しないつもりだからな」


 つまり、到着して神殿ピアノを確認して、必要に応じて調律したら、すぐに聖楽の演奏をする。ぎっちぎちに日程を詰め込んだ3日間、ということ?


 私に休みなんて初めからなかったってこと?


「横暴だわ! 労働基準法ってものを知らないの!?」


「なんだそれは。そんなものは知らん」


「ううう……」


 この世界ではそんなものは存在しないか。


「そんなに早く帰りたいの?」


 私がそうつぶやくと、ルートヴィヒは「ああ」とうなずいた。


「俺は一刻も早く大聖楽師になりたい」


 小説の中のルートヴィヒも大聖楽師になることにかなり固執していたことを思い出す。


 王国の中で唯一の公爵家の次男。けれども、長男の体が弱く、またルートヴィヒのほうが何事もすぐれていた。そんな兄弟の関係がこじれて家門の中で争いが生じることを懸念した彼らの母親は、ルートヴィヒに長男の影であることを言い聞かせて育てたために、彼の性格がねじ曲がった。


 そして、自分の居場所を聖楽師に見出し、大聖楽師になることで母親に認めてもらいたいという歪んだ欲求が彼を突き動かしている。


 ルートヴィヒは、兄と比べられず、それでいて母親に認めてもらえる立場が欲しいのよね。


 けれども、ルートヴィヒは男主人公にヒロインを奪われるだけでなく、大聖楽師の座も奪われることになる。


 私の胸が、ずき、と痛んだ。


 そんなに巡回演奏の旅路を急いでも、あなたは大聖楽師にはなれないのよ、とは言えない。


 私と一緒に神殿ピアノの音を整えて演奏しても、それでもあなたは大聖楽師にはなれないのに。


 もやもやとした、どう表現していいのかわからない感情が私の胸の中に広がっていった。





 ルートヴィヒと一緒に訪れたアダジオの神殿は、街並み同様こぢんまりとして質素なつくりの神殿だった。


 ルートヴィヒの言うままに、司祭様は私が神殿ピアノを調律することを快く許可してくれた。


 アダジオの司祭様はとても穏やかな雰囲気の初老の男性で、私が神殿ピアノの調律具合を確認することにも何の反対もされなかった。


 その上、私が女性でさらには異世界人であると明かしても、顔色一つ変えず丁寧に接してくれて。


 師匠もわりとあっさりと私のことを受け入れていたけど、そういう人が他にもいるんだなぁって実感した。


 アダジオの神殿ピアノはかなり丁寧に調律されていて、私がやれることなんてほとんどなかった。


「ここのお抱え調律師の方にあってみたいくらいだわ」


 ルートヴィヒの試し弾きのあと、少しばかり微調整しならが私はつぶやいた。


「当神殿にはお抱え調律師はいないんですよ。ただ、先々代の大聖楽師様が住んでおられて、彼が時折神殿ピアノを見てくださるんです」


「え? 大聖楽師様が調律されているんですか?」


 驚いた私に司祭様がにっこりと微笑んできた。


「ええ、今はもう引退されておられますが、耳は衰えていないから、と」


「へえ……」


 私は思わず感嘆のため息を漏らした。それならこの整った神殿ピアノの状態にも納得がいく。


「じゃあ、その方に聖楽を演奏してもらえばいいんじゃないですか?」


 私がそう言うと、司祭様は微かに残念そうに眉根をよせながら首を横に振った。


「演奏技術は衰えなくても、魔力は年齢と共に衰えるのです、ですから、聖楽師という役割はあまり長くできるものではないんです」


「そうなんだ」


 私は司祭様の言葉に相槌をうった。


 そうして最後の微調整のような作業を終えて、私はすこしだけ浄化聖曲のさわりを弾いてみる。


「アマネ殿は浄化聖曲を弾けるのですね」


 聞いていた司祭様が驚く。


「ルートヴィヒが弾いていたのを覚えただけです。浄化聖曲は、曲の中に込められた意味を正しく理解しないと、魔力がちゃんと発動しないんですよね?」


「そうですね。正しく理解して、それを曲に込めて弾くことが大事だと、先々代の大聖楽師様もおっしゃられてました」


 ふと私は先々代の大聖楽師様ってどんな人なのか気になった。


「その方は今どちらにいらっしゃるのですか?」


「おそらく、明日の浄化聖曲の演奏も聞きに来られるとおもいます」


 司祭様はにっこりと優しく微笑むながらそう教えてくれた。


「音楽そのものをとても愛しておられる方ですから」


「へえ……」


 どんな人なんだろう、と考えてからふと、ルートヴィヒの姿が見えないことに気づく。


 いつもなら、調律終わりに試し弾きするのに。


「まあ、調律前の試し弾きの時点で文句はない感じだったから、もういいかな」


「アマネ殿?」


 司祭様が不思議そうに私に声をかける。私は「なんでもないです」と司祭様に返事をしてから、神殿を出た。


 もうすっかり日は傾いていたけど、まだ夜になるには時間がある。私は少し町を散策することにした。


 通りすがる人たちの好奇の視線を感じて、私は慌ててフードをかぶる。


 どうもルートヴィヒと一緒にいることに慣れてきて、この髪を隠さなければいけないということを忘れてしまう。


 アダジオの町の大通りには露店が並んでいて、美味しそうな匂いを漂わせていた。その匂いにつられて、私は串焼きを買ってみることにした。肉厚の牛肉にタレを塗って焼いただけのシンプルなものだ。


「おじさん、2本ちょうだい」


「あいよ!」


 威勢のいい返事とともに肉が焼かれていく。いい焼き色がついたら、完成だ。私は2本のうち1本を受け取って頬張る。口の中にじゅわりと肉汁が広がってとても美味しい。


「お嬢ちゃん、観光かい?」


 屋台のおじさんは愛想よく私に声をかけてきた。


 本当は違うけれどいろいろと説明するのもややこしくて、「はい」と返事をしながらもう一口かぶりつく。やっぱり美味しい。この味付け、なんていう調味料なんだろ?


 そんなことを考えながらふと背後に人の気配を感じて、私が振り返るとそこには一人のお爺さんが立っていた。


「おいしそうなにおいがしておるのぉ」


「えっ! おじいさんだれっ!?」


 私が驚いて声をあげると、お爺さんは「フォッフォッフォ」と愉快そうに笑った。


「お嬢ちゃんにお願いがあるんじゃがのぉ」


 おじいさんは目を細めて私を見る。私は警戒して一歩後ずさった。


「お願い……?」


 おじいさんはこくん、とうなずいてからまた口を開く。


「この串焼きを1本くれないか?」


「……へ?」


 私は拍子抜けして気の抜けた返事をしてしまった。


「い、いいですけど」


 ルートヴィヒからもらった先払いの給料のおかげで私の懐は潤っているし、串焼き1本ぐらいおじいさんにおごってあげても問題はない。


「はい、どうぞ」


 おじいさんに串焼きを手渡してあげると、おじいさんは微笑みながらそれを受け取った。


「そこのベンチで少し話をせぬか?」


 私はおじいさんに言われるがまま、彼とベンチに並んで腰かけた。


「お嬢ちゃん、お主は調律師じゃな?」


 いきなり言われて私は心臓が跳ねる。


「なんでわかったんですか?」


「その荷物じゃよ」


 おじいさんが指さした私の膝の上には、調律道具を詰め込んだかばんが置かれていた。


「ワシはこのアダジオに長く住んでいるが、新顔の調律師が定住したことを聞いておらなんだ」


「ああ、私は浄化聖曲の巡回演奏のお供に来ただけなので、またすぐに別の都市に行くんです」


「ほう? 巡回演奏のお供、とな?」


「はい。私は神殿ピアノの音を整えるために、各地方の都市を回っているんです」


 おじいさんは私の話に興味を持ったのか、じっと私のほうに顔を向けている。


「何か?」


「いや、調律師を連れての浄化聖曲の巡回演奏とは、また珍しいなと思っての」


 おじいさんは感心したようにうなずいた。


「おじいさんもお詳しいんですね」


「まあな、ワシも若い頃は聖楽師として各地を巡っておったからのぉ」


 おじいさんはそう言ってからまた串焼きにかぶりついた。


「それで、その聖楽師であるおじいさんがどうしてここに?」


 私は気になっていたことをストレートに聞いてみた。


 おじいさんはもぐもぐと口を動かしながら私の質問に答える。


「ここは落ち着いた雰囲気の都市じゃからのう。老後を過ごすにはちょうどいい」


「それは、なんとなくわかる気がします。あまり人が多くないから、かえって落ち着いているというか、自然も豊かですし」


 おじいさんは「フォッフォッフォ」と嬉しそうに笑う。


「生まれ故郷をそう言ってもらえると、うれしいもんじゃな」


 私は相槌を打ちながら話を聞いていた。おじいさんは食べ終えた串を横にあるゴミ箱に捨てると、また口を開く。


「明日の浄化聖曲の演奏が楽しみじゃわい」


「え?」


 私は驚いておじいさんに聞き返す。


「ではの」


 私が聞き返す前に、おじいさんは立ち上がった。そうして、私に手を振ってからおじいさんは歩いて行った。


「明日の演奏が楽しみってどういうこと?」


 おじいさんの後ろ姿を見送りながら私は首をかしげた。





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